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山神家がやってきた 1
引越トラックがタイヤを軋ませて停車したのは、郊外の住宅地の表筋から、もう一歩内側に入り込んだような区域だった。目立って太い交通要路も、歩道のついた道路もない。連なる民家の古風な瓦屋根が、ふと途切れたように思えた瞬間停止したのである。勇弘は、なんとなく小首を傾げて訊いた。 「……着き、ました?」 「ええ、着きました。こちらの……家です」 「そうですか」 引越屋の指さす方向はあえて見ず、勇弘はトラックを降りた。 七月にしては光が優しい、と思えたのは、冷房の効いた車内にいたからのようだった。一歩外に出ただけでも、全身を包み込む温もった空気と、情け容赦ない直射日光が、両手を繋いで勇弘の体内から水分を奪いはじめる。うげー、と顔をしかめながら、涼しい車内を名残惜しむかのようにゆっくりとドアを締めた。 「……ふう」 吐息して、トラックが走ってきた道路を振り向く。アスファルト補整された道に、『飛び出すな』と書かれた幼児の絵が描かれた看板。その両側に延々と立ち並ぶくたびれた民家とのコントラストが、都会と田舎の狭間で揺らめく町を代表して彼を出迎えた。なんだかなァ、と、戸惑いにも似た微妙な感覚をおぼえる。 (蝉……すげぇうるさいな) ジーワ、ジーワと暑さを誘う大合唱に、さらに憂鬱を積もらせる。こんな多重奏、山かどこかに行かなければ聞けないと思っていた。変な町だ――それとも、こう感じる自分がおかしいのだろうか。 なんにせよ、どうでもいい。 勇弘は、トラックの後ろにまわった。既に引越屋のおじさんが、荷台のドアの鍵を開け、大きく開こうとしている。それを手伝いながら、彼は荷台の中に声を掛けた。 「おーい、父さん。着いたって。早く降りてくれよ、人に見られると恥ずかしいから」 「おおっ、到着か! よしよし」 応える声。直後に荷台から飛び降りてきたのは、ポロシャツにジーパンの地味な男だった。大柄だが、やや撫で気味の肩に太鼓腹と、丸みの多い体型。中年を過ぎたくらいで、日に焼けた顔を大量の汗にまみれさせながら、それでも晴れやかに笑っている。やや薄くなりかけた髪の、なんというか、これぞ日本人という雰囲気をもったオヤジだった。 その妙に無邪気な笑顔を見て、勇弘は小さくため息をついた。男は、抱きかかえていた子供を地面に降ろし、楽しげに言う。 「そーら美織、着いたぞぉ。新しいお家だ!」 「わぁ〜〜〜! ミオのおうち? おうちっ?」 地面に降ろされた幼い少女は、元気良くはしゃいで飛び跳ねた。跳ねて後ろに下がった拍子に、開いたトラックのドアでゴンと後頭部を打つが、まったく気にした様子なく勇弘の足にまとわりついてくる。 「おにーちゃん! ミオのおうち? おうち?」 「俺はお前の兄ちゃんだから、おうちじゃないけどな。あっちにあるってさ……まだだ」 早速教えた方向に駆け出そうとする妹――美織の襟ぐりを掴んで止める。と、トラックからもう一人、中年の女性がよろめき降りてきた。やはり汗だくで、着ている青いTシャツも色が変わっている。 彼女は外に出るなり、前髪を大仰にかき上げて悪態をついた。 「も〜〜〜っ、最、悪ッ! 暑いわうるさいわ痛いわ、ああほんと最低よ! やっぱりやめとけば良かった」 「痛い?」 無表情に聞き返す勇弘。女性は、朗らかに笑っている中年男に顎をしゃくって言った。 「足は踏まれるわ頭は打つわ、カーブのたびにコケそうになるわで、散々よ。まったく、正弘さんがこんな無茶するから!」 「まぁ、そう言うな。お前もきゃーきゃー言って楽しんでたじゃないか」 「楽しい声に聞こえたかしら、あれが!?」 「……ほらな。だからトトロ気分は無理あるって言ったのに」 ぼそりと呟く勇弘に、父――正弘は、何を言う、と反論した。ポケットから長方形の、今なお息づく森永キャラメルの箱を取り出して、 「家族揃っての引越とくれば、誰もが一度はあのシーンを夢見る! それが日本人だ。トラックの荷台に乗って流れる景色を堪能しつつ、キャラメルを食べるピュアな青春。わかるか息子よ、ほのぼのだろう」 「家族揃わない引越なんてする必要ないし、父さんたちに景色が見えてたわけないし、ピュアな青春とか言われても年齢考えろくらいしかツッコみ浮かばないよ……ほのぼのな割にはすげぇ汗かいてるし」 「引越とはそういうものなのだ。とりあえず、そらっ」 正弘は、ひょいと美織を抱き上げて肩車した。突然高く持ち上げられて無邪気に騒ぐ少女に、体ごと道端を振り向いて、告げる。 「ほーら美織。ここが今日から美織の家だぞ〜っ」 無闇に明るいその声に応えたのは、 「うわぁ〜〜〜っ……!」 「……うわぁ」 似ているようで似ていない、兄と妹の呻きと歓声だった。 父の向いた先――同じく勇弘が視線を向けたほうには、アスファルトが切れて少し地面を挟んだ、ぼろぼろの木の塀が横に伸びていた。柵ではなく板塀で、身長百七十後半の勇弘の肩よりやや低いくらいの高さがある。腐ってしまっているのだろう、そこかしこの表面が剥げ、穴が開いている。 そしてその塀の向こう側に、呻きや歓声の原因があった。 一軒の家が建っている。 ぼろぼろの塀に囲われた敷地。その見えている土地も、ぼうぼうと伸び放題になった草でほとんど覆われている。しかし広さだけは十分にあるらしく、その敷地の奧に大きくデンと建つ家屋は、一見して相当大きなものであると知れた――暗い色をした、木造の壁面。きっちりと閉まっている雨戸は、錆びついた鉄のような禍々しい色合い。二階に見えているガラス窓は割れており、真っ暗な内部が僅かに窺える。数カ所抜け落ちた瓦屋根の端っこで頑張る鬼瓦が、なぜかやたらと目に付いた。 一見しただけでそんな風情。 もうなんだか、言葉にならない。いや、無理にでもするのなら、 「ボロっち〜ぃ!」 と、極めて端的に美織が要約してくれたような。そんな表現しか浮かばないほど、それは見事にぼろべろな家なのであった。人が住んでいるなどとは到底思えないどころか、これから誰か住むなどとも考えられない。どこか不吉ですらある佇まいを見せている。 しかし彼らは、勇弘たちは、たった今引っ越してきたのだった。他ならぬ、この家に。 |