山神家の妖怪たち 6


 声をあげて笑った円は、あ、と気づいたように口元を手で隠し、継いで控えめにうふふと笑った。
「面白いお父様ね。それにお家も楽しそう」
 この女大丈夫か?
 一瞬真剣に思う勇弘。その反応には気づかずに、円はもう一度正弘にお辞儀した。
「それじゃ、あたしはこれで。お忙しいところお邪魔しましたー」
「いえいえ、とんでもない! またいつでも遊びに来てくださいよ〜〜〜」
 ガラガラガラ、と戸が閉まってからも、しばらくひらひらと手を振り続け――やおら、正弘はバシッと勇弘の背を叩いた。
「いてっ。なんだよ!?」
「良かったなァ勇弘! あんな可愛い子が近くに住んでたぞ? 年も近そうだったじゃないか!」
「ああ、同い年だってよ……つーか、恥ずかしいからやめろよな、ああいうの」
「なにがだ?」
 バリバリと箱の包み紙を破りながら、正弘は板間に上がった。付いていきながら言葉を継ごうとする勇弘を遮り、言う。
「ま、それよりそろそろ昼飯にしようか。ちょうどやる気も出てきたところだし、勢いをつけて午後からも頑張ろう!」
「……なんで今更やる気出してんの?」
 疲れた声で呟き、勇弘はこの頃多くなってきたため息を、またひとつ深々と吐きだした。


 風呂場を掃除していた美希と美織を呼び、早速昼食――遠峰家からもらった、とねり饅頭をテーブルに広げる。いきなり食うのかよ、と勇弘はぼやいたが、確かに普通に昼食を摂るよりは豪華な品物なので、別にいいだろと言われればそれ以上反論の仕様もなかった。
「……写ってなかった?」
 塩気の利いた饅頭を頬張り、勇弘は正弘に訊いた。
「なにがだよ?」
「だから、昨夜の妖怪たちだよ」
 同じく饅頭を食べながら、正弘はテーブルの傍らに置いていたカメラを取り上げる。
「現像ができないから、デジカメしかチェックしてないんだがな。あの天井下りも、枕返しも、他の妖怪たちも、まったく写っていない。ただひとつだけ――」
 ピッピッとペンタックスを操作し、差し出してくる。液晶モニターには、S字にうねった細い奇妙な物体が写っていた。肌色で、なぜかそのすぐ近くに立った美織が満面の笑みを浮かべている。意味不明な光景だった。
「……なにこれ?」
「ろくろ首だな。なんでかわからんが、首の伸びた部分だけ写ってるんだ。一部でも妖怪が撮れてるのは、この一枚だけだよ。さっきトイレで出た、何がしたいのかイマイチわからん顔も撮れてない」
「そんなもんにまでカメラ向けるなよ……」
「え、ヤだっ。また出たの!?」
 饅頭を食べこぼす美織の口元を拭きながら、嫌そうに美希が眉をひそめる。対して、正弘はまた嬉しそうに、
「うむ。ま、出たと言っても、そんな大袈裟なシロモンじゃなかったがな。そっちは何か出なかったのか?」
「出なかったわよ! ……って、残念そうな顔しないで!?」
「ミオね〜、おそうじがんばったよ」
 にこにこと主張する美織。何やらがっかりしていた正弘も、つられて笑顔で頷く。
「おお、そうか。えらかったな〜。父さんも頑張ったんだぞ?」
「頑張ってシャッターばっか切ってたんじゃないでしょうね……? ミオはほんとに頑張ったわよね〜。垢がきれ〜に落ちてたもんね」
「うんっ。シタさんがね、手伝ってくれたんだよ!」
 変わらぬ笑顔で言った美織に、一瞬その場の空気が止まった。
 しばらく沈黙してから、おそるおそるといった感じで美希が言う。
「え〜と……ミオちゃん? シタさん、って……?」
 問いつつも、どこか答えを聞きたくなさげな母の言葉に、しかし娘ははっきりと、
「タワシさんもって、ゴシゴシしようとしたらねー、カベからながぁーいシタさんが出てきて、見てたらべろんべろーんっていっぱいなめて、すぐキレイになったよ」
「……ええと。壁から出てきた、シタ? 舌か?」
「垢嘗だな」
 子供特有の、やたら読点の多い一気喋りを整理しきれない勇弘に、二、三度頷きながら正弘が言った。聞き覚えのある単語に、思わず問い返す。
「アカナメ?」
「うむ。聞いたことはあるだろ? 風呂場に出てくる妖怪で、昨夜見せた画図百鬼夜行にも載ってる。湯舟とかの垢を嘗め取るんだ。垢嘗自体、元はその垢から化生したんだと言われているな。子供の姿をしてるらしいが、そうか、舌だけ現れたのか」
 すらすらと諳んじて、正弘はわっはっはと笑った。美希の肩をぺしぺしと叩き、
「なんだ、ちゃんと出てるんじゃないか。お前が気づいてなかっただけだよ」
「ちゃ、ちゃんと、って……! ちょっとミオ、どうしてママに教えてくれなかったの!?」
「えー、だってママ、ほめてくれたし。それに、言ってもきっとびっくりして、コンランしちゃうと思ったんだもん」
 またまたきっぱりと答える美織。極めて判断力に富んだ小学生であるといえよう。
「まぁ、ともかくだ」
 ガツガツと、最後の饅頭を頬張って(結局全部昼食になってしまった)、正弘はすっくと立ち上がった。カメラを首から下げて、何やら気合いの入ったポーズを取る。
「あれだけ撮ったのにまったく写らない妖怪たちが相手だ。父さんも久々に燃えてきてる! 午後からの掃除も頑張ろう! な!」
「それでやる気出してたのか……」
「あぁ〜〜〜もう嫌。ほんと嫌。誰か助けて……」
 呟き続ける美希に心の底から同意して、勇弘は水を飲み干した。


 これぞ夏晴れといわんばかりに、空はまさしく抜けるように蒼く、太陽は彼方から強烈な光をギラギラと地表に投げつけてきている。蝉の大合唱に包まれて、勇弘はしばし脱力した。ゆっくりと、視界に広がる緑を見回す。
 場所は中庭。
 縁側から外へ出て、ムダに広い庭のムダに膨大な植物たちを前に、リアクションに困っているところである――少しばかり正確を期して庭を表すならば、縁側から板塀までは十メートル余り。塀に向かって左手側、越えれば玄関と門を繋ぐ石畳へ出る生け垣から、逆側の木塀までは二十メートル足らず。裕に二百平方メートルはある敷地に、所狭しと雑草の群が生い茂り、山茶花やツツジ、椿の木が点在し広がっているのだ。
 塀の手前には眼鏡型をした小さな溜池もあり、フレームにあたる位置にこれまた小さな石橋がかかっている。向かって右手側、突き当たりのほうには名前のわからない大きな木が数本あり、豊かに茂った枝葉がさわさわとそよ風に揺れていた。ちらちらと揺れる木漏れ日が、思わず眠気を催しかねないような穏やかな風情を醸し出す。
 なかなかに広い、純和風な庭園なのである。草を刈り、木々を剪定し、砂利か何かを敷き詰めて池に水を張り鯉でも放てば、さぞかし心和む情景になることだろう。これぞ、ニッポンの庭。
 だが現状はかくのごとし。
「どーすりゃいいんだ、こんなもん……?」
 午前中掃除した二階と同様、一体何年ほったらかしになっていたのか、推測も不可能なほどなのである。落ち葉が積もり重なった地面はよほど良い栄養状態になっているのか、雑草の類はほとんど膝に届くくらいに伸びている。池の底にも草が生えているが、おそらく六月頃は大変な状態だっただろう――雨が降って水が溜まり、蚊や羽虫が大量発生したに違いない。渇水も予想される今日この頃、この池がカラカラに干上がっているのは本当に運が良かった。
 とにかく、何からはじめたらよいのかにすら戸惑ってしまう状態だ。軍手をはめ、正弘が裏の井戸端から見つけてきたというボロボロの鎌を片手に、ただ眺めるだけの時を過ごしてしまっているのも無理はない。
 しかし、いつまでもぼ〜っと突っ立っていたところで、埒が明かないのも事実だった。
「……仕方ない。ぼつぼつやるか……はァ」
 ため息をつき、腰を屈めよう――としたところで、刹那、動きが止まる。
 右手に持った鎌の刃が、真っ赤な血の色に染まっていた。どころか、ぼたぼたと血液が地面に滴り落ちている。