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縁の下にいる妖怪 2
ぎくりと一歩退く勇弘に、彼女はただ淡々と、 「人間にも、縄張り意識はあるんでしょ。妖怪と人間だって、共通するものがあれば同じじゃない。ただそれだけのことよ」 共通するもの。昨夜の妖怪たちが、自分たちを襲った理由。それはすなわち、 (この家、か……) デ・テ・イ・ケ 極めて明確に示された、そう、気に食わないという意志。目の前の彼女の言う通り、そして正弘が予想した通り、妖怪たちは突然この家に現れた人間たちを嫌い、怖がらせて追い出そうとしているのだ。 なんてこった。 「……って、そういえば、いいのか? その……あんたは。人間とこんな、話してて」 「だから、どうでもいいんだってば。あたしは」 「……あ、そう。じゃあ、そうだ、あんたは何ていう――」 「いや〜〜〜やっぱり夏は水風呂だなァ」 いきなり座敷に正弘が現れ、勇弘は思わず言葉を切った。縦縞トランクスにランニングシャツというオヤジな出で立ちの正弘は、タオルでガシガシと頭を拭きながら縁側にやってきて言う。 「おいユウ、風呂なかなかいいぞ。広いし明るいし、いい湯、じゃなくて水だった……ん、どうした?」 「……いや、別に。なんでもない」 答えつつ、ちらりと縁の下を見る。意識が逸れた一瞬の間に、少女はそこから消え失せていた――改めて、人間ではなかったのだなと実感する。鼻歌を唄いながら書斎へ入ってゆく父に聞こえないよう、勇弘は小さく呟いた。 「つまり、ほんとに親父の言う通り……妖怪たちとの根比べってわけか」 どうやらそれだけは、疑いようもない事実のようだった。 夜九時を回って、山神家にはやや遅い夕餉の香りが立ちこめた。 美希はなんとか台所周りを使えるレベルまで持ってきたらしく、夕飯は鰯の梅煮と鰯フライ、くず野菜の付け合わせに榎茸と豆腐の味噌汁、それに昨日はなかったほかほかゴハンだった。貧相なのは致し方ないが、とりあえず食卓らしいものを囲めて勇弘はほっとした。 美織も正弘も、やはりこういった食事が嬉しいのか、美味しい美味しいとにこにこしている。庭と納戸以外の掃除が大体終わったため、いくぶん気も楽なのだろう。正弘は、明日早速生活の繋ぎに日雇い労働に行ってくると張り切っていた。妙な趣味さえ考えなければ、彼は基本的に働き者なのである。 久々にゆっくり食事を楽しんだ後、勇弘は美織を連れて風呂に入った。正弘が言っていた通り、広い風呂場はなかなかに快適で、美織はおおはしゃぎで走って滑って転んだ。さすがに水風呂ということはなく、勇弘は大きな湯舟で存分に体を伸ばし、昼間の疲れを癒した。 その夜も座敷に布団を並べる。なんにしろ、一家揃って眠れるというのは幸せなことに違いない。四人でゆったり過ごす時間に、彼はそんなことを考えた。 そして――翌朝。 「……あ〜〜〜……」 朝日が眩しい。眩しすぎる。 縁側にぺたりと、幼い少女のように座り込んで、勇弘は空々漠々とした――といえば聞こえはいいが、まぁ単に気合いの入らない――視線を、ぼんやりと庭に向けていた。日光とはこんなにも黄緑だっただろうか。それとも庭の植物が反射しているからだろうか。 「疲れた……もう、当然のごとく疲れた……」 「あ〜〜〜……」 呟く勇弘の隣で、こちらは本当に幼い少女が同じようなポーズで座っていた。やはり気力のない様子でぼけらーとしているが、彼女、美織に関しては、まだ意識が夢の中にいるだけではないかとも思える。こっくりこっくりと前後に揺れる妹を倒れないよう支えてやりながら、勇弘は背後の座敷を振り向いた。 ごっちゃりと絡まった掛け布団の山の中、埋もれるようにして美希が倒れている。泣き疲れ、叫び疲れ、その他色んなことに疲れ果てて、泥のように眠っているのだ。 昨夜また、妖怪たちの襲撃があったのである。 「母さーん。……母さーん? 朝だよ〜、大丈夫〜……?」 「寝かしといてやろう」 既に起き出して、着替えも済ませた正弘が言う。日雇いバイトに行くのでさすがにランニングシャツスタイルではなく、ポロシャツに長ズボンという出で立ちである。 「あれだけ、明け方近くまできゃーきゃー騒いでたんだ。ようやく眠れたんだし、そのままそのまま」 「……その言い方だと、なんか楽しんでたようにも聞こえるけど。まぁ、よくもああまで騒げたとは思うよ……」 昨夜襲ってきた妖怪たち。その顔触れは、初日とそうそう変わらなかったように思う。正弘と違って、そんなによく観察しているわけではないので、ひょっとしたら新顔もいたのかもしれないが。ともかくも、連中はまた山神家の平和を存分にぶち壊していってくれたのだ。 はっきり言って、勇弘はずっとぼ〜っと座り込んでいただけである。一体何の意味があるのか、嬉しそうに何度も枕をひっくり返す小鬼や、構ってほしそうに愛想良く近づいてくる尻尾の分かれた猫などを、しっしっと追い払っていたのみだ。しかし彼と違って、美希はあっちへ行ってはきゃー、こっちへ行ってはぎゃー、と景気良く悲鳴をあげ続けていた。疲れてしまうのも当然だろう。 明け方近くまでどたばたやって、勇弘がもう別にこのまま寝てもいいかなとか思いはじめた頃、ようやく妖怪達は引き上げていった。勇弘たちはそれからすぐに眠ってしまったが、美希だけはいつまでもぐずぐずと怖がっていたようなので、体力的にも精神的にも相当参っているはずだ。 「まぁ、母さんは本当に怖がりだからな。お前みたいに早く慣れれば問題ないんだが、なかなかそうもいかんのだろう」 素のままの水道水を飲みつつ、肩をすくめる正弘。勇弘は、少し眉根を寄せた。 別に自分だって、こんな状況に慣れているわけではない。ただ、あの妖怪たちの非現実さが、こちらを怖がらせようとガンバル姿が――その諸々の行動自体が、まったく怖く感じられないというだけである。慣れているのではなくて、ただ怖くない。それがどうしてか理屈は分からないが、実際そうなのだから仕方ない。 お化け屋敷の得意不得意と大して変わらないのではないか。そう言うと、正弘は苦笑した。 「お化け屋敷とは、さすがに全然違うと思うがな。普通、母さんほどとは言わないまでも、こういう状況に放り込まれたら、そうは客観的に対処できんだろうに。まったく、誰に似たんだか」 (明らかにあんたに似たんだと思うけど) 母親に似ていたら、今頃自分も闇雲に騒いで怖がっていただろう。高校生の男子がやると、きっとみっともなさもひとしおに違いない――たとえそれが普通なのだとしても、客観的な対処どころか状況を楽しんでいる正弘に言われても、なんだかなァという感じである。 コップをテーブルに置き、正弘は視線をそのまま落として言った。 「やっぱり、正隆おじさんのおかげか? 大抵の事態に冷静なのは」 「……。さぁ。そうかもね」 一瞬の沈黙を挟み、ぽつりと呟いて返す。この態度が、自分の地の性格だとは思いたくなかったが、とりあえずその話題からは逃げたかった。そうか、と頷いて、正弘は腕時計を見る。 「じゃあ、行ってくるからな。お前、庭の続きと、できたらなんか木の枝を刈れる道具探しといてくれ。生け垣がひどいことになってるからな」 「わかった」 ドスドスと廊下を歩いてゆく。少しして、勇弘は言おうと思っていたことを思い出し、座敷から廊下に身を乗り出した。 「おーい、父さーん? あの草刈り鎌、全然切れないんだけど――」 ガラガラピシャン、と台詞に重ねて扉が閉められる。勇弘は言葉を切り、小さく肩をすくめた。縁側から回って声をかけようかと思ったが、なんとなくそこまでする気にならない。そのまま、ごろりと寝転んだ。 思ったより綺麗な天井の木目を視線でなぞる。こういうところだけ見れば、貫禄ある立派な日本家屋なのだが。この薄い天井の裏側には、一体なにが隠れているんだろう――そう想像しても、やはり別段怖いとは思わなかった。既にどこか醒めた感覚でこの家を捉えだしている自分に、心の片隅でため息をつく。いつか父に言われたように、感受性が薄いのかもしれない。 ただ、ひとつだけ、 (あの、縁の下の女の子だけは……わからないよな) ここを妖怪屋敷だと教えてくれた、ピンク色の服を着た少女。無関心、無感動、無表情の全てを備えた言葉や態度。そこだけ見ても、二夜連続で襲ってきた妖怪たちとは差違があるのだが、勇弘はどうも彼女の存在自体が、他とは違う気がしてならなかった。 『さぁね。どうでもいいわよ。あたしは襲ってないもの。興味ないわ』 昨日、庭で聞いた彼女の声が脳裡に甦る。どうしてあんな場所にいるのだろう? そういう妖怪なのだろうか? (今もいるのかな……?) 確かめてみようか、と起き上がる。しかしその前に、座ったまま完全に眠りこけている美織を発見して、彼は苦笑した。ひょいと抱き上げて美希の横に寝かせる。いまだしかめ面で眉根を寄せた美希は、うつぶせに転がったままぶつぶつと呻いた。 「う〜〜〜、うー、うぅ〜……そっちがぁ、出てってよぉ……」 「……そうしてくれれば、どれだけ楽か」 ひょいと肩をすくめて、勇弘はパジャマを脱いだ。適当に服を着て、台所を覗く。正弘は、存外器用に味噌汁を作ってくれていた。 一人で食うのも味気ないしな、と先に庭の掃除をすることにし――思い出したように、ひょいと縁の下を覗き込む。 もちろん、そこには誰も、何もいなかった。 |