縁の下にいる妖怪 3


 暗い暗い、澱んだような空気はどこか情けなくどんよりと沈んでいて。
『……はァ』
『……ふゥ』
『……はァ』
『……ふゥ』
『いや〜〜〜……なんてゆーか……』
『おいおい、みんな元気ないぞ? いつも元気な木霊まで。なぁ、どうしたんだよ!』
『どうした、って。むしろあんた、なんでそんな元気なの?』
『いや〜、怖がってくれませんねぇ、全然……どうしてでしょうね?』
『さぁー……でもほんとに、怖がるっていうかぁ。むしろ楽しまれてない?』
『全然、手応え、感じない。あいつら、怖がって、ない』
『あたちなんて、ハタキ投げつけられちゃったよぉ。痛かった……』
『何言ってんだよみんな! そんなん、まだ怖がらせ方が甘いんだって!』
『そうかなァ……? 今までの人間たちとは、なんか全然違う感じがするんだけど』
『これまでと立場が逆ですよね。人間たちのほうが不気味に思えます』
『何を悠長なことを……』
『そうだよ。大体お前もフレコもまだ出てってねぇだろ、サボってばっかいやがって!』
『あたしはあんたらみたいなタイプじゃないのよぉ〜、っだ』
『せや』
「……まだ頑張ってるの?」
『長!』
『長、ちょっとどうしたらいいんですか〜アレ! ちっとも怖がってくれませんよ』
「なら怖がらない人間なんでしょうよ。そんなことより、あの子供の名前知ってる?」
『またそんな投げやりな』
『子供? って……あのちっちゃい子です? ろくろ首がいいようにやられてた』
『うるせーなっ!?』
「うん、まぁ、そっちもだけど……あの、男の子のほうも。なんて名前?」
『確か……男は勇弘、その妹は美織と呼ばれてましたけど』
『それがどないかしたんかいの? 長』
「ゆうひろ。……ううん、別に」
『つーかよ、こうなりゃもう、総攻撃だぜ! みんな総出で。それしかない!』
『そうよねぇ。あたしもそう考えてたトコだよ〜』
『やっちゃろか』
『やりましょう、今夜! 本当の意味で、眠れない夜にしてやりましょうよ!』
『長もそう思いますよね!?』
『ね、長!』
『長!?』
「……どーでもいいってば」


 さて。
 同じ屋敷の暗いどこかで交わされる会話など知る由もなく、勇弘は照りつける日差しの中、黙々と庭の掃除を続けていた。縁側から見える大体の雑草を取り除き、ひっそり立っていた石灯籠を磨いて綺麗にし、獅子脅しにへばりついた苔を取る。脳が溶けそうなほど地道で先の長い作業だ。
 真っ昼間の気温は容赦なく高く、彼はすぐに汗だくになってしまった。特に苦には思わなかったが、さすがにダルい気持ちが積もる。一緒に朝飯――もはや、昼飯といっても差し支えない時間になってはいるが――を摂ろうと思っているというのに、美希と美織はまったく起きてくる気配もない。この暑い中、よくもぐーすかと寝続けられるものだと逆に感心して、勇弘はぬるい水を飲み、また草むしりを再開した。
 じりじりと、直射日光は土の地面ごと勇弘を灼く。帽子代わりに頭に巻いたタオルが、汗を含んでじっとりと熱い。こりゃいい減量になるな、と苦笑混じりに彼は思った。
 と、
「やっほ♪」
 声に、顔を上げる。庭を囲む木塀の上に、麦藁帽を乗せた頭がちょこんと突き出ていた。にこにこと、明るい笑顔を勇弘に向けている。
 取り巻く現状が現状なので、おのれ妖怪とか言いながら草を投げつけたい気分ではあったが――勇弘は、立ち上がって小さく頭を下げた。
「……どうも。遠峰さん、でしたっけ」
「やっだ、そんな他人行儀な。円でいいよ、ま・ど・か」
 あはははー、と笑う彼女に、とりあえず勇弘は持っていた草をバケツに投げ込んだ。他人行儀な、と言われても、実際他人なんだからそれでいいんじゃないのか――などと、取っつきにくいことを思う。
「なにか? あ……引越祝いはありがたくいただきました。昨日のうちに」
「え、もう? 早いねぇ、美味しかった? あのお饅頭あたしも好きなんだ。てゆーか汗だくだね、うわぁ草むしり!? すごーい、えらーい、たいへーん」
 速射砲のように打ち出される言葉の数々。よくこうまで舌が回るものだと思いながら、顔の前でぱちぱちと手を叩く円に苦笑する。彼女はすぐに拍手をやめ、塀に片手を掛けて背伸びしながら、足元に置いていたらしい小さな紙袋を差し出してきた。
「はいこれ!」
「……は?」
「これ! 取って取って」
 わけがわからないながらも、呼ばれるままに草を踏み分けて近寄る。驚いたバッタが跳ね飛ぶのを横目で見ながら、手を伸ばして紙袋を受け取った。
「なんです? これ」
「ええと、母さんが作ったきんぴらごぼうだって。お裾分け。食べて食べて」
 は? と思わず聞き返してしまう。背伸びした円は、にこにこしたまま小首を傾げた。
「嫌い? きんぴら」
「い、いや……そうじゃなくて。そんな、二日連続でいただいちゃうわけには」
「あ〜、いいのいいの。紙パックで申し訳ないしね。全然、お返しとかそゆのはいらないから!
 それよりさ、高校はどこ通うの? いつから? 街にはもう慣れた?」
 相変わらずの質問の嵐。戸惑いながらも苦笑して、勇弘はなんとなく、紙袋を持ち替えた。
「高校は、たぶん……同じとこだと思うけど。いつからってのは、ちょっと事情で決めてない。家の中のことで精一杯で、まだ全然街を見れてもいないし」
「わお! そうなんだー!」
 律儀に全ての質問に答えると、円はまた大きなリアクションを見せた。デフォルトでこれなのだから、本当に元気な女の子だ。
「じゃあ、今度街案内したげるねっ。小さいトコだけど、見る場所は結構あるんだよ!」
「……いや、そんな。別にいいよ」
「いいからいいから、そんなとこで遠慮なんてしないで? 早く一緒にガッコ通えたらいいね! じゃねーっ」
 強引に遠慮と決めつけて、彼女はブンブンと手を振って塀の向こうに消えた。麦藁帽のてっぺんが、ぴょこぴょこと上下して走り去ってゆくのが見える。勇弘は、土のついた軍手で後頭部を掻きながら見送り、小さくため息をついた――ああいうタイプは、正直あまり得意ではない。
(あんな忙しく喋って、疲れないのかな……でもなんとなく、美織が大きくなったら、ああいう感じになりそうな気はするなァ)
 げんなりと思い、とりあえず縁側にでも紙袋を置こうと踵を返す。と、ちょうどがばりと母が起きあがった。掛け布団を跳ね飛ばし、寝惚けつつ怯えた器用な目で、きょろきょろと周囲を見回している。
「おはよう、母さん」
「……ゆ、ユウちゃん? あれ? おじーちゃんは……?」
 いるわけがない。また怖い夢でも見たのだろうか。
 昨夜の混乱を引きずったままの美希に苦笑して、お向かいからだと紙袋を渡し、勇弘は草むしりを再開した。