縁の下にいる妖怪 6


 その夜の正弘の特別授業は、明け方まで続いたようだった。日本妖怪の伝統ある怖がらせ方などを延々個別指導していたらしいが、勇弘はさっさと眠ってしまったので詳しい内容などは知らない。だが、その夜を境に、妖怪たちの襲撃方法は、明らかに変化したのである。
 まず、夜半の襲撃がなくなった。襲撃自体がなくなったわけではないが、団体で現れてどんちゃん騒ぎまくるという、お祭り的手段を取らなくなったのだ。彼らは単体で、時にタッグを組んで、その間合いやコンビネーションを使い個別に山神家の面々を襲いはじめた。
 そう、まさに古くから伝わる、日本の怪談を再現するかのように。


 たとえば目目連。
 見た目は異様だが、声も音もまったく出せないその妖怪は、まさしく正弘の言うビックリアタックを敢行した。標的になったのは美希である。
 昼食が終わって、後片づけ。機嫌がよいのか、彼女はフンフンと鼻歌混じりに流しに向かっている。正弘は日雇いに出掛け、なんとか生活を繋ごうと頑張ってくれている現状、自分ができるのはしっかり家庭を守ることだと心得ているようだ。まこと、天晴れな妻である。
「ユウちゃ〜ん? そのアルバイト情報誌、あとで母さんにも見せてねー」
 座敷でバイト探しに励んでいる息子に声を掛け、蛇口の水を止めて振り向く。微笑む彼女の眼前に広がるは、食器棚一面に張り付いた、大量の目。目。目。
 声もあげずに卒倒した美希を勇弘が発見したのは、ほんの一分ほど後のことだったが。その間に、作戦成功してやったりとばかり、悠々と目目連はどこかへ消え去っていたのである。


 たとえば一反木綿。
 ゲ○ゲの鬼太郎では善玉側として知られる彼(?)であるが、今回は頑張った。標的となったのは、またも美希である。
 家の二階で洗濯物にアイロンをかけている美希に、背後から忍び寄るひらひらな影。床を這うように近づき、いきなり巻き付いて驚かそうというのだろうか。細く開いた、切れ込みのような目と口が、にんまりと笑みの形に歪んだ。
 と、次の瞬間。
「よいしょ」
 後ろも見ずに伸びてきた美希の手に掴まれ、一反木綿はアイロン台に叩きつけられた。面食らった刹那、超高温の鉄塊が、容赦なくその顔面に押しつけられる。
『ぅぃあっぢゃ、ああああっ、ああああっ、あああああああああーっ!?』
「ひッ!?」
 いくら妖怪でも、これは堪らない。
 咆吼し、暴れ、アイロンを跳ね除ける一反木綿。いきなりのとんでもないダメージに、しばしピンボールのように部屋中を跳ね回った。壁に激突、床に激突、天井に激突を繰り返した挙げ句、ひらひらぽてりと畳に落ちる。
 さらにしばらくしてから、ようやくへらりとその身を起こした。
『あ、あつ、あっつっ……ちょ、無茶苦茶、するなよ!? って……あ、れ……?』
 くっきりと焼け焦げのついた体をねじって怒鳴るが、反応がない。見ると、美希は仰向けに畳にひっくり返り、またしても気を失っていた。ぺちぺちと、布の端で顔を叩いてみても、気付く様子はない。
『……。まぁ……いいか』
 どこか寂しげに呟いて、一反木綿はするすると天井裏に消えていった。


 しかし、攻め方を変えたからといって、必ずしも怖がらせるのに成功したわけではなかった。というか、相変わらず敗色濃厚なことには変わりなかったのである。
 ぼんやりと座敷に座り、掃除の完了した庭を眺めていた勇弘。なにやら物音がしたので立ち上がり、続きの間への障子をカタリと開けてみる。  一瞬、何がなんだか分からなかったが、隣の座敷の真ん中に、人の首らしきものが転がっていた。頬骨や顎がはっきり浮き出るほどに痩せこけ、ギョロリとした両目をいっぱいに見開いて、じっと勇弘を見つめている。
 ノーリアクションで突っ立っていると、その首は言った。
『にーらめっこしーましょ、あっぷっぷ』
 パタン
 という、障子を閉める音だけが、勇弘の返答だった。やれやれと、何事もなかったかのように元の場所に戻り、また黙然と庭を眺める。
 そのまま、しばし――なんだか、定年を迎えてやることのない老人みたいだな、と虚しくなり、出掛けてみようかと立ち上がった。その時、障子の向こうからすすり泣きが聞こえ、再び近づいて開けてみる。
 部屋の中央に立ったずぶ濡れの女が、潤んだ眼差しを彼に向けて言った。
『わたしの話を聞いてください』
『頼むわほんま』
 パタン
 という乾いた音は、端的な拒否をのみ現して響いた。
 ふと、眉根を寄せる勇弘――今見えたのは、濡れそぼった奇妙な女一人だけだったが、声はふたつ聞こえたような気がする。気の所為か? ……うん、気の所為だろう。違ったところでどうでもいい。
 小さくため息をつき、縁側に置いていた帽子を被って、小銭を少しポケットに入れる。いくら貧困を極めているからといって、散歩途中に生水を飲む気にはなれない。アルバイト情報誌を手に入れる傍ら、コンビニでジュースでも買うつもりだった。
 さて出掛けようとしたその時、トストスと、障子を向こうから叩く音がした。なんとなくおずおずとした、控えめな響きである。一瞬考えてから、三度そちらに足を向ける。
 障子を開けた向こうには、小坊主の格好をした子供の妖怪が、たったひとつしかない瞳をどこか訴えるように彼に向けていた。
『自分自身、ちょっと酷いな〜とか、思わないんですかあなた』
「全然」
 パタン
 一言をサービスして、閉じる。そのまま背を向けてすたすたと、勇弘は座敷を出て行った。玄関で靴を履き、先程立てた予定の通りにコンビニへ向かうため家を出る。
 障子を開け閉めしただけで、彼は実に三体の妖怪を退けてしまったのである。


 果敢にも正弘、美織に挑んだ妖怪たちの結果は、のきなみ悲惨なものだった。
 どんな戦法で掛かろうが、マイペースにとことん楽しむのが基本姿勢である彼らにとって、それは何ほどのことでもないどころか、余興が増えた、程度のことでしかなかったのである。
 意味無く蛍光灯の光を遮るだけの役だった天井下りが、今こそ真の実力をと意気込み、初めて床近くまで降りてきた時。正弘は、天井下りの恐ろしげな顔ににこやかに笑いかけ――ひょいと美織を抱え上げて、その背に乗せてしまった。大はしゃぎの美織に髪を鷲掴みにされ、天井下りは遊園地のアトラクションよろしく、泣きながらゆうらりゆうらりと部屋中を動き回るはめになった。
 掌ほどの大きさしかない鎧武者たちは、少し力を入れる方向を間違えてしまった。大将格の提案で、それまでてんでバラバラ好き放題に戦っていたのを、紅組白組に分かれて本格的な戦闘を再現しようと試みたのだ。結果、見事なチームワークでその目的は達成されたが、怖さが増すどころか娯楽的な要素が増加してしまった。酒代わりの水が入ったコップを片手に、正弘がいい気分でそのミニ時代劇を楽しんでいたりする。
 妖鳥以津真天もその類だ。鳥の翼に蛇の胴、人の頭にクチバシをもつ不気味な風貌の以津真天たちは、何を勘違いしたものか、その歌で勝負を挑んでしまった。美織の周りをぱたぱた飛び回り、イツマデイツマデとおどろおどろしいメロディで唄い続けたのだが――なぜか美織も一緒に唄い出し、最終的には『美織 with ITUMADE Chorus』として「森のクマさん」を合唱するに至ってしまった。もはや何がなにやらである。
 そしてろくろ首。屋敷の妖怪群の威信を懸けて挑んだ彼は、天井裏から突然釣瓶落としのごとく頭を垂れ下がらせるという、なかなか考えた手法をとった。工夫次第でいくらでも恐怖心を煽ることができる、有効な戦法であるといえよう。
 真夜中。トイレに起きだした正弘に、彼は早速狙いを定めた。相手の歩調を見計らい、首を伸ばしてずるりと垂れ落ちる――が。できるだけ目の前に出現せねばならない、と気負ったのが災いした。彼が落ちた位置は正弘に近すぎ、あろうことか、勢い余って情熱的な接吻を交わしてしまったのである。
 柔らかかつ絶大なショックを受けたろくろ首は、涙目で天井裏に逃走。
 対して正弘は、
「おいおい、いきなりだなァ。最初は、交換日記からはじめようナ」
 と、気色の悪い冗談を言って、カラカラと笑いながら去っていった。なんとも泣けるとしか言いようがない。