山神家がやってきた 2


「……まぁ、うちの現状から見つけてこれるくらいだから、ただの家じゃないだろうとは思ってたけど」
「よもやここまでとは、考えもしなかったわね……」
 いつの間にやら隣りに立っていた母が、ため息もつかずに呆然と呟く。言うまでもなく、板塀の向こうの惨憺たる光景に呆れ果てているのだろう。自分もまったく同じ気分で、勇弘はそれでもため息をついた。現実逃避する暇はない。
 しかし彼らと対照的に、正弘と美織は元気であった。ボロいボローい、と何やら上機嫌な美織と、そうだなーボロいなーとやはり上機嫌な父を見るにつけ、ずんずんと気分が重くなる。
 そんな彼に、追い打ちをかけようとしたわけでもないのだろうが、
「でもなぁ、美織」
 正弘は、美織を肩の上から地面に降ろし、にやりと笑って言った。
「この家はな、ボロいだけじゃないんだぞ」
「えー?」
 きょとんと見上げる娘に、父親は得意げな表情で頷いた。
「ただボロボロな家ってだけじゃない。さぁ、何だと思う?」
「う〜〜〜ん……?」
「……ちょっと、父さん。まさか」
 勇弘は、背筋を走った嫌な予感に呻いた。おにーちゃん、と寄ってくる妹の頭に片手を置き、もう片方の手の親指で、塀の向こうを指し示す。
「この家、本当にやたらめったらボロいけど。ひょっとして、なんか……出る、ってんじゃないだろな?」
「でる?」
「その通り! さすがは父さんの息子だな。よく聞け美織、美希!」
 なおも首を傾げる美織に、正弘は大きく頷いて両腕を組んだ。傲然と胸を反らし、今組んだ両腕をもう解いて、妙に決まったポーズを取りつつ掌でボロ屋を示して叫ぶ。
「この家はただの家ではない。なんと、幽霊屋敷なのだー!」
「え〜〜〜っ!?」
「えぇぇ〜っ!?」
 その瞬間。明らかに質の異なる二つの声――多分に興味を惹かれた感のある歓声と、多分に強烈な嫌悪感を含んだ怒声と――があがり、直後。
 キラキラした瞳の父の胸ぐらを、母が掴んで強引に揺さぶった。
「ちょっと、あなた!? いくら切羽詰まってるからって、あれほど、あれほどいわくつきの物件にはしないでねって言ったのに! あたし聞いてないわよー!?」
「やっはっはっ。すまんすまん、美希。びっくりさせたかったんだよ」
「そんな子供の悪戯レベルの話じゃないでしょ!? あなた、ちょ、ほんっとに今の状況わかって……ああ、ああもうっ!」
「ねーパパー! ゆーれーヤシキって、お化けさん? お化けさんが出るのー!?」
「ああ、たくさん出るぞーきっと! 見に行こうか!」
「わぁ〜いっ♪」
 するりと妻の手を逃れ、娘を抱きかかえて走ってゆく正弘。半眼で、ぼんやりとそれを見送ってから――勇弘は、地面に視線を落とした。母、美希が、その場にうずくまって頭を抱えている。
「……母さん。……大丈夫?」
 とりあえず、なんと言葉をかけていいかわからなかったので、そう訊いてみる。美希は、うずくまったままぶるぶると首を横に振った。
「全然大丈夫じゃないわ。ああもう、あの人はほんとに……どうしてこんなことになったのか、そこがまったく分かってないじゃないッ!」
「まぁ、父さんだからね」
「……。たまに思うんだけど、ユウちゃんって誰に似たのかしらね。そのいつでも変に冷静なトコとか」
「さあ? 父さんも、あれはあれで意外に冷静なのかもよ」
「あの〜〜〜、山神さん……?」
 ん、と振り返ると、引越屋のおじさんが立っていた。微妙に所在なさげに掌を摺り合わせ、ちらちらと正弘のほうを気にしつつ言う。
「そのー、もうお荷物、下ろしはじめてもよろしいんでしょうかね?」
「……あ〜」
 勇弘は、父のほうを見た。ぴょんぴょん跳ねる美織を足元に従えた正弘は、長い板塀の端のほうにある門の鍵を、嬉しそうに開けている――確かに、母が怒りの余り脱力するのも、無理からぬ父ではあるなと思った。
 門が開いたらしく、突撃だーとか言いながら塀の内側へ彼らは消えていく。ため息をついて、勇弘は引越屋に言った。
「とりあえず、家を開けて荷物下ろす場所の見当つけてきます。ちょっと状況が状況なんで、すいませんけど、それまで待っててもらえますか」
「あ、そうですか。わかりました」
 これってそれこそ親父の役目だよな、と、はや疲れはじめた頭の片隅で考える。これまで生きてきた十七年の経験で、どうにもならないことではあると知ってはいるのだが、やるせない。
 勇弘は、いまだうずくまっている母の肩をぽんぽんと叩き、家の門を指さした。
「ほら、行こうよ、母さん。幽霊屋敷にさ」
「だから、お母さんそーゆーの苦手なんだってばぁぁッ!」
 往生際の悪い美希を引きずって、勇弘は歩き出した。


 山神勇弘が、今まで住んでいた都会を離れ、未踏の地に引っ越してきたのは、ある意味ありきたりな理由からだった。今、なかなか開かない玄関の鍵に苦戦している父、正弘が、勤めていた会社を突然辞め、新たに着手した仕事に失敗。それまで住んでいた家を追い出されるはめになってしまったのだ。
 幼い妹と高校二年の自分、母の三人を抱え、頼れる身内も親戚もいない。お先真っ暗な状況の直中、しかし正弘は、少しもうろたえることなく言い切ったものだ。
『大丈夫だ! お前たちは何も心配するな。父さんが撒いた種だ、父さんがなんとかするからな』
 きっぱりと胸を張った父の姿に、勇弘は少なからぬ感慨を覚えた。大きく環境が変わることを余儀なくされる現実も、どうにか受け止められようというものだ。
 しかし、今に至ってはこの体たらくである。
「……父さんが、そういう心霊ーとか、幽霊ーとか、大好きだってのはもちろん知ってたけど」
 がちゃがちゃがちゃ、がきんッ、とやかましく、磨りガラスのはまった格子状の玄関ドアと格闘する正弘の背後で、勇弘はぼそぼそと呟いた。鍵が合わないのかレールが錆びついているのか、引き戸はガタガタいうだけでなかなか開いてくれない。
 勇弘は、はめ殺しになっている天窓を見上げてため息をついた。
「まさかほんとにこんなトコ見つけて、しかも買うーなんて思ってもいなかったよ……」
「ほんとにね……」
「買ってはいないぞー?」
 鍵穴をいじくり回しながら、肩越しに振り向いて言う正弘。半眼で見やる勇弘と美希に、額に浮いた汗を拭って大らかな笑みを浮かべる。
「父さんの知り合いの紹介で借りてるだけだ。家賃三万でな。三万! すごいだろう!? そりゃ本当は買いたかったんだけど――」
 がちゃん、と音がして、正弘は言葉を切った。引き戸を動かすと、まるでメジャーを引っぱり出すような音を立てて、古びたドアが横にスライドしていく。
「おお、開いたぞ!」
「あいたー!」
 それっとばかりに突入してゆく二人を、勇弘は呆れて見やった。
(ドア開けたってだけで、どうしてそんなに騒げるんだか……)
 八歳、小学三年生の美織は仕方ないとして、正弘もてんで子供と変わりない。
 もう一度玄関の屋根を見上げてから、勇弘も早速一歩――踏み出そうとしたところで、振り向く。
「……何やってんの? 母さん」
「だから、あたしはこういうトコ苦手なの! 先に行って、ほらっ」
「……。何にもないっての」
 息子の背中に縮こまるようにしている美希を、呆れたような目で見てから、勇弘はゆっくりと玄関に踏み入った。これから暮らす場所だというのに、父の戯れ言ひとつを本気にしてどうするというのか。