山神家からの挑戦状 2


 暗い暗い、澱んだような空気はいまや上を下への大混乱で。
『大変だよ!』
『大変だね!』
『大変だよ!』
『大変だね!』
『いや〜〜〜、ついに! ついに向こうから仕掛けてきましたね。どうしましょう!?』
『どうしましょう、って言ったって……』
『これは、明らかに反撃の兆しやなぁ。攻めてくるど〜』
『そ、そこまで言うほどでもないんじゃない? 話し合いがしたい、ってだけでしょ?』
『きっと、俺たちを、油断させるためだ。本当は、逆に、俺たちを、追い出そうと……』
『そうだよ。こんなの、信用できない。なぁ、ろくろ首?』
『……どーでもいい……』
『うっわ。まだショック引きずってるよこいつ』
『やれやれ。ちゅーのひとつやふたつで……情けないったら』
『うるせーな!? よ、よりにもよって、あんな親父と……最悪だ! もう許さねぇ!』
『うちのろくろ首は男ですからねぇ。女だったら、まぁ、まだ良かったのに』
『いや同じだと思うよ』
『てゆーか、話戻そうよぉ! どうするの、これ?』
『果たし状だよ』
『果たし状だね』
『決まってる。こうなりゃ受けて立とうぜ! 話し合いとか言ってるが、言葉通りのわけがねぇ。これは決戦だぜ……妖怪と、人間のな!』
『おおお〜〜〜』
『なにやら、燃えてきますね!』
『やろう、やろう! 人間を追い出すんだ!』
『そうと決まれば、早速代表決めだ! えーと、四人だよな。まずは長だろ――』
「ちょっと……なんであたしなのよ」
『あ、長!』
『長! あのですね、さっき、人間たちから果たし状がですね――』
「聞いてたわよ。勝手にそんな代表に入れないでよね……てゆーか、果たし状? あんたら、人間の文字読めたの?」
『ううん〜。鬼蜘蛛さんに読んでもらったんですよぉ』
『持ってってん』
『読める読めるって言ってたろくろ首が、実はさっぱりだったもので』
『悪かったな!? ちッ……なにも、あんな人間かぶれのはみ出しもんに、力借りなくたっていいのによ』
『それはそれとして、長には代表やってもらわないと』
『だよね。そうでないと困りますよ』
「なんでよ。あんたらで頑張りゃいいじゃないの」
『そりゃ、あたしたちもやりますけど……やっぱり、まとめの長が出なくちゃ!』
『そうですよ。それに、なんだかんだ言ってみんな不安だし』
『てゆーかまぁ、長だしね!』
『長だよ』
『長だね』
『よし。じゃ、残り三人を決めるとするか』
「ちょっと。おい、あんたら。聞けってば…………あー、もう」


「いや、ほんとに! 今日という今日は遠慮するから!」
「あっはっはっ、まったまた〜」
 山神家に、インターホンなどというテクニカルなものはない。というかまず電話すらない。ビーッ、という古ぼけた音が鳴ると予想されるブザーは表門の脇にあったが、配線の異常か他の理由でか、押しても叩いても作動しない。
 よって訪問者は、門を開け、玄関までいそいそと入ってきて、ガラス戸を直接叩くことになるのだ。
(一回ほんと、何か考えなきゃならないかもな……)
 にこにこと、押し売りのセールス嬢のような笑顔を演技ではなく浮かべ、手にした紙袋をぐいぐい押しつけてくる遠峰円を両手で押しとどめながら、勇弘はげんなりとそう思った。ここのところ、彼女はこうして毎日差し入れを――そう、山神家に対して、差し入れを持ってくるのである。お礼はいらない、というのを決まり文句にして。
「もう、勇弘くんってば、相変わらず遠慮が好きだね! でも、今日はおいなりさんだよ? 美味しいから。はい♪」
「いや、だからな!? ありがたいけど、こう毎日毎日差し入れもってこられても、はっきり言って困るんだよ!」
「えー、どうしてぇ? お隣さんとして当然のことでしょ? 無問題無問題! ところで、今日はまた暑いよね〜。勇弘くんって暑いの平気? あたし全然ダメなんだぁ」
「ああ、俺もあんまり暑いのは……ってそうじゃなくて、だから、ああもう!」
 ぐいっ、と勇弘は、初めて女の子を乱暴に押し戻す、などという真似をした。相変わらずのマシンガントークにテンポを奪われないよう、腰に片手を当ててきっぱり言い放つ。
「だいたい、おかしいだろ!? どうして俺たちがお礼に行ったら行ったで、いつも門前払いなんだよ。不愉快だとかそういうんじゃなくて、わけがわからないんだ……なんなんだ、一体? 言いたかないけど、どういうつもりだ?」
「門前払いじゃないよ〜。いつもあたしが出迎えてるじゃない?」
「いや、そういう問題じゃなくて……こっちは、親御さんにもお礼がしたいんだよ。そのために――」
「だから、うん、お礼とかいいの。全然。気にしないでオッケーなの」
 この調子である。
 苛立ちを隠しもせずに深いため息をつくと、円は小さく肩をすくめた。
「言いたいことは分かるけどさ。でも、ほんとに……ぶっちゃけちゃうと、うちには普段誰も居ないようなものだから。母さんは仕事で日中ずっと出てるし、父さんはすごく気難しい人だから、滅多に他人と会おうとしないしね」
「……そうなのか」
「うん。だから、お礼はいらないっていうのは、そういうことだよ。逆に悪いな〜、とは思ってるんだけどさ」
 あっけらかんと言う円の笑顔は、本当に憎めない。越してきてからというもの、なかなかな頻度で顔を合わせているが、いつもいつでも元気な少女である。正弘などは大層気に入って、『あんな子が娘にいたらなァ。な、ユウ?』などと不穏なことを口走ったりしている。なら美織をそう育てろよ、と言ったら断固拒否された。あれはあれでいいらしい。
 ともあれ。事情は分かったが、そういうことだからお礼はいい、と改めて言われたところで、こちらの問題の根本的な解決にはなっていない。
「じゃあ……なんでそんな、そういう事情なのに、こう何度も差し入れもってきてくれるんだ?」
「さぁ? それは父さんにでも訊いてくれる?」
 思わずその場にコケる勇弘。言っていることがバラバラだ。
 あははは〜、という頭上の声に、今度はちゃんとムカッとくることができた。
「と……とにかく、今回はほんとに遠慮するから! 気持ちだけ受け取るよ。あとまた近々ご挨拶に伺います、って親父さんによろしく! じゃ!」
 立ち上がり、ガラガラピシャン、と円の鼻先で戸を閉める。がちゃりと鍵まで掛けてから、勇弘はもう一度ため息をついた。少し、やりすぎかとも思ったが――いつもいつも、あの娘と喋るとペースを掻き乱されてしまう。いっそノッてしまえば心地よいのかとも思うが、問題が問題なだけにそうもいかない。
「悪い子じゃないんだろうけどな……」
 呟きながら、勇弘は縁側に戻った。眺めた空は、すきっと気持ちのよい夏晴れだ。
 読みかけのページで伏せていた、アルバイト情報誌を取り上げる。なかなかどうにも、いい条件のものが見つからないのだ。移動手段が何もないというのが、彼にとっての痛手だった。そう、今の勇弘は、いや山神家は、自転車すらも保有していないのである。
「ゆ〜ぅひーろくぅーん!」
「ん? ぅおわッ!?」
 パッとあげた顔のすぐ前に迫っていた紙袋を、勇弘は驚異的な反射神経で受け止めた。板塀の向こうから背伸びして、麦藁帽をかぶった円がパチリとウィンクする。
「さすがだね、山神勇弘っ♪」
「お、おい!?」
 としか声を掛けられず、円はてってっと自宅のほうへ走り去っていった。しばしそれを見送って、投げつけられた紙袋――中身はいなり寿司なのだろう――に視線を落とす。
「……さすが、だって……?」
「もし」
 訝しげに小首を傾げると同時、小さな声がした。何の気なしに目を向けて――無言のまま硬直する。
 縁側の片端、書斎へ続くドアが半分ほど開いて、若い女性が半身を覗かせていた。