山神家からの挑戦状 3


 長い綺麗な黒髪。ほっそりとした面立ちで、暗く深い色合いの和服を身に着けている。一見無地の喪服のようにも見えたが、裾の部分に大きく真っ赤な蜘蛛が刺繍されていた。相当な美人ではある――しかし、ぼんやりとした表情や意志の見えない半眼などが、その魅力を半減どころかマイナスにまで引き落としている。近寄りがたいどころか、見ていてなんだか辛かった。
 強烈に怪しい雰囲気。たとえ人間であった場合でも、百パーセントまともではないと思える。そして、まず間違いなく人間ではない。
(こ……この家は、まったく……。しかし、初めて見る妖怪だな)
「もし」
「……は、はい……?」
 目を向ける以外の反応がなかったからか、再び呼びかけてくる妖怪に、なんとか返事をする。彼女は、ぼんやりとした表情を保ったまま薄く笑み、片手を挙げて掌を見せながら言った。子供が見たら夢に出そうな風情である。
「どうぞ、警戒なさらないでください……少々お伺いしたいだけでございます」
 雰囲気と裏腹の丁寧な言葉遣いに、なんとなく気圧される。ゆっくりとした、綺麗な発音で女は続けた。
「先日、あなたのお父上様が、この書斎をお掃除してくださいましたね……?」
「あ、ああ……ええ」
「大変嬉しゅうございました。ですが、その折り……不要物に混じって、あたくしの本を数冊、持ち出されてしまったようなのです。どこにあるか……ご存知、ございませんか?」
 どうも、今までの妖怪と様子が違う。片手を挙げているのも、害意はない、と示しているのだろうか。なんともおかしな気分だったが、勇弘はとりあえず立ち上がった。
(本……は、まだ捨ててないはずだよな)
 確か正弘は、処分が難しいものや分別不能なものを、手当たり次第納戸に放り込んでいた。もしかすると、そこにあるかもしれない。
「たぶん、分かりますけど……探してきましょうか?」
「まぁ。嬉しい……お願いできますでしょうか」
「ええ。なんて本です?」
「王国菓子職人の真実、という本でございます……愚にも付かないどこぞの似非物書きの、多分に意味不明な小説の裏設定などが、上中下冊に延々とつづられているものですわ」
「……はぁ」
 なんでそんなの読みたいんだろ、と微妙に疑問に思いはしたが――ともかくも、勇弘は納戸に向かった。床に直接積み上げられている諸々のがらくたを、適当にひっくり返す。すると、案外簡単にその本は見つかった。
 玄関のほうからも書斎に入ることはできるが、なんとなく気分的に入りづらく、わざわざ廊下を通って縁側に戻る。書斎のドアは完全に開いていて、女性がその全身を見せていた。なんとなくビクッとしたが、少なくとも外見上は、暗めの着物を着た普通の人間となんら変わりない。
「えっと……これですか?」
 差し出すと、彼女は嬉しそうに本を受け取って胸に抱いた。にっこりと、思ったよりもずっと親しみやすそうな笑みを浮かべて、深々と腰を折る。
「ええ、これでございます。ありがとうございます……助かりましたわ」
「あ、いえ。こっちこそすいません、親父が勝手に持ち出しちゃって」
 思わず、ぺこりとお辞儀を返す。大変感謝しております、と言って、妖怪はさらに頭を下げた。
 なんだか妖怪のほうが人間ができてるな、と胸中でこっそり苦笑する。なんとなく気分が軽くなり、同時に多少の興味も湧いて、勇弘は顔をあげた彼女に訊いた。
「あの。こんなこと言うのも難なんですけど……あなたも、妖怪、なんですよね?」
「左様でございます……あたくしは、鬼蜘蛛と申します。お見知り置きを」
 ――って、蜘蛛かよ、おい。こりゃ訊かなきゃ良かったなァ……
 中途半端な笑顔のまま、二の句が継げなくなる勇弘。妖怪も本を読むんですね、とか言ってみるつもりだったのだが、相手が蜘蛛だと分かっただけで、どうにも背を向けて見なかったことにしたくなる。世の中、知らないほうがいいこともあるのだ。なんというか、ひどすぎるギャップである。
 しかし、妖怪――鬼蜘蛛は、あくまで人間っぽく、再び深々とお辞儀して言った。
「この場で申しますのも、妙な話ではございますが……同宿の者たちが、大変ご迷惑をお掛けしております」
「ああ、あ、いえいえ……そんな、気にしないで……」
「関わらないように、と思っておりましたのですが……あたくしも一度、あなたのお母上様に姿を見られ、不本意ながら驚かせてしまいました。以後注意して、距離を保っておりましたが……本のこととなりますと、どうにも自制できかねまして。ならばせめてと、こうして人の姿をとった次第でございます」
「……なるほど」
 それで初日、美希は書斎の入り口に倒れてたのか、と納得する。しかしまたなんとも、慎み深い妖怪もいたものである。出て行け出て行けと迫る様子でもないし。正弘が聞いたら、涙を流すほど感激した挙げ句、あれこれと質問攻めにするに違いない。
「じゃあ、ずっとこの書斎にいるんですか?」
「左様でございます。この屋敷に棲むあたくしの眷属は、皆ここ一部屋に棲んでおりますわ……お父上様に掃除していただいた折りに、揃って天井裏に移らせていただきましたが」
「ああ、それで他の部屋に蜘蛛が――と……」
 ふと、勇弘はズボンの後ろポケットを意識した。
 強烈なインパクトの所為でまたしても忘れていたが、正弘から渡された果たし状が入っているのだ。ちょうど、目の前で妖怪鬼蜘蛛が、なんともフレンドリーに微笑んでいるし――今なら、大変スムーズに渡すことができるのではないか?
 そう思うと同時、美希の顔も脳裏に浮かぶ。
(母さんの嫌がりようを思うと、ちょっと気が引けるけど……でも、いずれ通らなきゃならない道、だよなァ)
 妖怪たちがいるこの家に住み続けようと思う限り、いつかはちゃんと向き合わねばならない事柄だということは、美希にも分かっているはずだ。現状維持は、そう長く通用しはしない。相手が出て行く見込みがないのだから、それは致し方ないことである。
 ほんの少し首を傾げて待っている鬼蜘蛛に、勇弘は意を決して果たし状を取り出した。なにかの罰ゲームで、好きでもない同級生に「好きです」と告げねばならなくなったような心境だったが――思い切って、言う。
「えっと、その……これ、なんてゆーか。俺たち人間から、妖怪……さん、たちへ、ってことで……その」
「あら……まぁ、これは」
 しどろもどろもいいところだったが、鬼蜘蛛はすいと手を伸ばして受け取った。一目見るなり、くすりと小さく微笑む。思わず勇弘はビクッとした。
 なんだろう。何がおかしいのだろうか。何か自分は妙な行動をしたか? 堂々と書かれた『果たし状』の文字(細線)は、そんなに面白いものとも思えないし。
「これなら……もう、拝見いたしましたわ」
「……へ?」
「同宿の者たちが、既に受け取っております……文字が読めぬものですから、あたくしのところへ持ってきましたのですわ。それはそれは……大変な騒ぎようでした」
 なんとも拍子抜けだった。ぽかんとする勇弘に、またくすっと鬼蜘蛛は微笑む。
 正弘に違いない――あれからすぐにバイトへ出掛けた父が、一体どんなタイミングで妖怪たちに果たし状を渡したのかは知らないが、やるとしたら彼しかいない。美希は果たし状を破いてしまったし、美織は大事に持ったまま、美希に連れられて散歩に出掛けている。
 本当に、色々な意味でどうしようもない親父だ。
「そ……そうだったんですか。それは、もう、なんともえっと……」
「あなたがたは、面白うございますわねぇ」
 え、と顔を上げる。鬼蜘蛛は、着物の袖で口元の笑みを隠し、小さく頭を下げた。
「失礼致しました……でも、悪い意味ではございませんのよ? この屋敷も、もう随分と長いことここにあります故……人間の方々も、何度もいらしたのですけれど。あなたがたのように、何がどうでもへこたれない、慣れた方々は初めてでございます」
 と言われても、まったく褒められた気がしない。
 勇弘はぽりぽりと後頭部を掻いた。鬼蜘蛛が黙ってしまったので、なんとなく訊いてみる。
「あの〜……その。やっぱ、嫌なもん、ですか? 妖怪さんたちにしてみれば……今まで住んでたところに、いきなり人間がやってくるのって」
「そりゃ、そうなんじゃないの」
 遮るように答えたのは、抑揚のない声だった。あら、と小さく呟き、鬼蜘蛛が視線を庭へと向ける。
 縁側から生け垣へ続く庭石のひとつに、ピンク色の洋服を着た少女が立っていた。
 くるくる巻いた栗毛に、気力の感じられない眠たげな双眸。飾り気が皆無な装いに、見事なまでのポーカーフェイス。細い腕を組み、じっと勇弘を見上げている。
 それは間違いなく、引っ越してきた翌日に、縁の下に寝転んでいた少女だった。相変わらず、感情がまったく窺えない――いや? ほんの少しだけ、両の眉が内側に寄っているように思えるのは気の所為だろうか。
 というか、いつの間にそんなところに?
(って、こいつも妖怪だもんな……理屈じゃないんだろうな、きっと)
 ため息で疑問を打ち消していると、鬼蜘蛛が口を開いた。
「まぁ、まぁ……お珍しいことでございますわね、長。いかがされましたか」
「……おさ?」
 思わず、彼女の言葉を繰り返す。おさ、とは――長なのだろうか。妖怪たちの長ということか? こんな少女が……? いや、妖怪だから、見た目は関係ないのか?