山神家と妖怪たち 2


「さて、では」
 妙に自信満々の正弘は、妖怪代表の三人目に目を向けて言った。
「次は君だが……二口濡れ女、さん、だったかな?」
『そうよぉ』
『そやで』
 全身ずぶ濡れ。可愛らしい顔立ちの、文字通り濡れた女である妖怪が、舌足らずな口調で答える。それに続いて、やはり聞こえるふたつめの声。
 勇弘は首を傾げた。最初に聞こえるのは、その妖怪の見た目にそぐった、若い女の声なのだが――後を追うようにして聞こえる声は、間違いなく男の子のものだ。まだ年端もいかない、幼児のような甲高い声。しかもなんだか関西弁っぽい。そういう妖怪なのだろうか?
 そんなことは気にもせず、シーツにくるまって震える美希。なんらかの違和感は感じているようだが、具体的に言えずぽかんとしている美織。しかし、やはり正弘には心当たりがあるらしく、身を乗り出すようにしてその妖怪に言った。
「ええと……不躾だが、君はつまり、アレかな? 濡れ女に、二口が取り憑いている……と? そういうことかな?」
『うん、そうだよ〜! すごいねぇ。やっぱ分かるんだ』
『やるな、あんさん』
 なにやら感心されているが、勇弘にはやり取りの内容がさっぱりわからない。取り憑いている、という言葉にいささかの不穏さを感じたくらいである。
 しかし、妖怪――二口濡れ女が、くるりと半身を回して後頭部を見せ、セミロングのうなじをかき上げた時には、思わず顔を引きつらせて後ずさった。キョエーだかなんだか、美希がそれこそ妖怪じみた悲鳴をあげている。
 ずぶ濡れの彼女の後頭部には、もうひとつ、通常の倍ほどもあろうかという大きな口が、問答無用で張り付いていたのである。声もなく凝視する彼らの前で、それはにぃっと笑みの形に歪んだ。
『フタクチや。よろしゅう』
 と、言われても。
 さすがに硬直していると、濡れ女はぱさりと髪を下ろして、元の様子に戻った。凍ったような空気の中、一人カケラも動じていない正弘が、平然とした口調で促す。
「それで。君も、人間のことは気に入らないのかね?」
『うん、気に入らないってゆーかぁ……正直、人間と関わるとぉ、腹が立つことが多いのはほんとなのよね。ろくろ首の言うこともあるしぃ、人間って、怖い怖いって勝手言う割には、すごいあたしたちに対して無遠慮だしねぇ』
『せやせや』
「ほう……なるほど」
『あなたたちより前にここに住みに来た人間なんて、ほんと勝手にびっくりして怪我したり死んじゃったりしたしぃ。関わりたくない、って思ってるのに、そゆコトまでされると不愉快じゃない? だから、もーとにかく人間はわかんないしぃ、あたしたちのコト怖いって言うなら、もうこっちから怖がらせて追い出してやれー、ってことになったのよねぇ。だいぶ前に』
『それがいっちゃん手早かったしな』
 ふむぅ、と正弘が唸った。この濡れ女、きゃぴった外見にロリった喋り方の割には、なかなかわかりやすく要点を押さえた意見を述べてくれる。少なくとも、ろくろ首よりは頭が良さそうだ。
 つまり彼女たち妖怪も、言ってみれば勇弘たちと同じで、人間のことをよく知らないのだろう。人の形をとっているものも多いが、おそらく一般の人間が犬猫に対して持っている知識と同程度、もしくはそれ以下の情報しかないに違いない。そんな連中にずかずか踏み込んでこられては、彼女の言う通り、迷惑以外のなにものでもないだろう。
(……ん?)
 ふと引っ掛かるものを覚えて、勇弘はたった今の思考を振り返った。
 人間に対して多くを知らない。だから入ってこられると腹が立つ――つまり、それは……? 何なのだろう。一瞬、何かしらの答えが浮かんだ気がしたのだが、あっという間に消えてしまった。
『だから』
 少々もどかしい思いをしていると、再び濡れ女が言った。肩をすくめて苦笑して、
『全然怖がらないあなたたちって、今まで以上に厄介なのよねぇ。ほんと、もうどうすればいいのって感じ。できれば、あたしたちだけの、元の状態に戻してほしいかな』
『それで解決すんねや』
「……まさかこの生涯で、妖怪から『厄介』だなんて言われることになろうとはね」
 げんなりと呟く。彼女は勇弘を見て、そういうものなの? と小首を傾げた。
 んーむ、と正弘が鼻から息を抜く。今の意見はなかなか考え深かったのか、何度かゆっくり頷いてから、最後の妖怪代表に目を向ける。
「次は……おお?」
「……寝るなよ、おい」
 思わずツッコむ勇弘。両手で顎を支えて、少女が顔を上げる――いつの間にやら、彼女は畳にころんと寝そべり、暇そうに両足をぱたぱたやっていたのだ。まさに、縁の下の女の子体勢である。こうして見ると、妖怪プラス無表情とはいえ、なんだか妙に可愛らしい。
 小さく笑って、正弘が言った。
「次は君だよ。妖怪たちの長として、何か言っておきたい意見はあるかね?」
 一瞬の沈黙。妖怪群も黙り込み、じっと長に注目する。彼女は、たった一言を返した。
「別に」
『でえええええええええ』
 ずどどどどど、と並みいる妖怪たちが盛大にずっこける。ある意味壮観だったが、まぁ無理もないだろう。
『お……長ぁ! だから頼んますって今回ばかりは!』
「何を頼むのよ」
 真っ先に立ち直ったろくろ首の懇願に、またしても素っ気ない言葉を返す。彼女は、たんとんと指先で畳を叩きながら、
「あたしは別に、ここで誰が暮らしてよーが知ったこっちゃないし。どうでもいい、って最初から言ってるじゃない」
『で……でも長、妖怪側の長としての意見を』
『ここが人間に乗っ取られてもいいんですかぁ!?』
「どうでもいいんだってば。妖怪が棲もうが、人間が住もうが、妖怪と人間がすもうが、どうでもいいの。ただ、あんまりあたしを巻き込んでどうこうやるのは迷惑だからやめて、って言ってるだけ。それが意見。以上」
 ぶっきらぼうなことこの上なし。
 しゅん、と塩を浴びた青菜のように肩を落とす妖怪たち。さすがにちょっと可哀想かも、と思いつつ、勇弘は苦笑を堪えきれなかった。長、長と頼りにしているようだが、この返答ではいかんともしがたいだろう。
(てかほんと、なんでこいつが長なんだろ……?)
 早いうちから世をヒネてしまった、無愛想な小学生にしか見えない。妖怪なのだから外見は関係ないのだろうが、身内に対してもこうまで邪険であるのに、なぜ長に持ち上げられているのだろう? 妖怪として、一番力が強いのだろうか。
 と。突然、美織が勇弘の膝から降り、とことこと長に近づいた。見上げる彼女の目の前に寝そべり、両手で顎を支えて満面の笑みを浮かべる。
「えへへへ〜〜〜」
「…………」
 妖怪たちは、皆一様に「?」と首を傾げているが、ただ単に真似するのが嬉しいだけなのだろう。勇弘は思わず口元を緩めた。正弘も同様であるが、美希はなにやらハラハラしている。彼女が心配するような事は、何も起こらないと思うのだが。
 その時。ふと、長の眠たげな半眼と目が合った。そのまま、なんとなく逸らさずに見つめる。
 彼女は――ひょっとすると、なかなか珍しいことなのかもしれないが――つい、と片方の眉をあげて、すぐに視線を美織に向けてしまった。本当にこの話し合いに興味がないらしい。
「じゃあ、ユウ」
「……は? あ、なに?」
 正弘がこちらを見て言った。
「今度はまた、こっちが意見を言う番だ。今の妖怪側の意見を聞いて、思ったことを発表しよう。美希、お前もちゃんとこっち座って、考えをまとめてなさい」
「う〜〜〜……」
 呻く母。勇弘も眉根を寄せて、無言でしばし考え込んだ。
(思ったこと、って……言われてもな)
 本当に『思ったこと』と言えば、ろくろ首はやっぱり短気、一反木綿は割と被害者、二口濡れ女は意外とまとも、くらいのことで、それは意見というより個別の感想に近い。おそらく正弘もこの場の空気も、そんな答えを望んではいないだろう。だが、ならば何を言えというのか――
「お前は、妖怪たちと住むことに対してどう思うんだ?」
 重ねて問われ、いよいよ勇弘は返答に窮した。
 見知らぬ土地で遭遇した、この奇妙奇天烈な現実。正弘の問いはつまり、そのことを彼が受け入れるかどうかということだろう。受け入れるのならばどういう形で、受け入れないのならばどういう理由で――それを訊かれているのだ。
 正直、困った。というか、
(思えば今まで、自分がどう思ってるのかーなんて考えたこともなかったな……こいつらは別に怖くないけど、だから一緒に住もうなんて思わないし。こんだけたくさん妖怪いるけど、住みたくないとまではいかないし……くそ、中途半端な)
 まさか、こんなに自分の考えが定まっていないとは。
 いつの間にか、場が静まっている。正弘も、妖怪たちも、彼が答えるのを待っているのだ。なんだというのだろう――勇弘の答えを何らかの基点にしようとしているのだろうか。いや、違う。彼らも分かっているのだ。自分が唯一、この家の人間でどちらともつかない態度を取っていることを。