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山神家がやってきた 4
家の中にいるのに、広く開け放たれた廊下から、緑でいっぱいの庭が一目で見渡せる。色褪せた石灯籠、獅子威しなども置かれた中庭は相当な広さだ。そういえば、門から玄関までも結構長かったな、と思い返す――その縁側には、窓やテラスなどとは比較にならない、なんともいえない日本的な開放感が存在していた。草も木も乱雑に生え放題になのだが、それでも小さく息をつかせるほどの、穏やかな空気が感じられる。
「こういう、座敷の外側にな、庭がよく見えるようにつけられた板敷きの部分を縁側っていうんだ」
辞書にでも載っていそうな説明をして、正弘は大きな笑みを浮かべた。
「父さん、こういうのが大好きでな。この家に決めた理由のひとつが、この縁側があったからなんだよ。ほら見ろ、池もあるだろう」
「……ほんとだ。草に完全に埋もれてる上、水とか全然ないけど」
「そこに生えてるのがツツジ。惜しかったなァ、もう少し早ければ花が旬だったのに。あとな、家の向こう側にはなんと、ゆすら梅の木があるんだ。お前食べたことないだろ?」
「……食べるどころか、雑草との見分けもつかないよ」
「まったく、情緒がないなァお前は!」
わっはっはっ、と大笑して、正弘はう〜んと伸びをした。廊下に立ち上がり、両肩を回す。
「さて! まだまだ探検は終わらないぞ、前のマンションなんか比べものにならないくらい広いからな! ほら美織、お母さんにちゃんとくっついてなさい。どたどた走ると床が抜けちゃうぞ〜?」
「探検って……父さんは下見に来たんだろ? その時堪能しなかったのかよ」
下見にはしっかり一人で来た上に家の様子を「思ったよりずっといい家だったぞ」としか家族に伝えなかった嫌味を込めてそうつつく勇弘に、彼はあっさりと答えた。
「いや。近づけなかった」
「……は?」
「この前来た時は、この縁側に近づけなかった」
意味がわからず、ただ眉をひそめる勇弘に、足を止めて振り返った正弘は縁側に顎をしゃくって言った。
「父さんには、残念ながら……非常に残念ながら、真に遺憾ながら、霊感なるものはない」
「なくて良かったと何度思ったことか」
「またそうやって人の夢を砕く。いや、それはまぁ今はいいんだ。とにかく父さんに霊感はない。だが、あの縁側には……どうしても近づけなかった。近づいて、雨戸を開けることができなかったんだ」
思わず振り返り、勇弘は今まで立っていた縁側を見つめた。降り注ぐ夏の日差しの中、このボロ屋にあって、どことなくほのぼのした雰囲気に包まれている木の廊下――ここに近づけなかったとは、どういうことだろう。
正弘は、両手をカメラの形に構えて、人差し指をくいくい動かしてみせた。
「とんでもないプレッシャーだった。構えてたハッセルのシャッターも、とてもじゃないが押せないってくらい強い圧迫感があったんだ。その時、確信したよ……この家には、いる、ってな」
そんな家借りてんじゃねーよ。
思いきりそうツッコみたい気分ではあったが、勇弘は呆れたため息ひとつつくに抑え、訊いた。
「でも今、普通に雨戸開けてたじゃんか。なんで? 俺たちがいるから?」
「うーん、いや。今はプレッシャーというか怖気というか、そういうものがまったくなかったな。あれなら一人の時でも開けられたと思う……今は幽霊がいないのかもな? 前来た時も昼間だったんだが。買い物に行ってるとかかな」
なわきゃねーだろ。
再び胸中でツッコみつつ、しかし勇弘は、つい先程見た階段の上の目を思い出していた。父も縁側に何かを感じたというなら――ひょっとして、あれは見間違いや気の所為ではなかったのかもしれない。もしかすると、この家には本当に幽霊が、
(いないって)
結局、あくまで現実的にそれを否定し、勇弘はもう一度縁側に出た。荒れ放題だが、広く緑豊かな庭をしばらく眺めてみる。植物の種類などはわからないが、都会とはまったく違う空気がしっかりと感じられる――町中とは思えないほど澄んでいるのだ。呼吸するという単純なことが、格段に心地よい。そういえば、本当に車の音がしないなァ、と改めて思った。
「もうすっごかった! てゆーか怖かったわ! なんかね、蜘蛛が一斉にこっちに動いてきてね!?」
「はっはっはっ。そりゃお前、頭突っ込んだからエサと思われたんだろ」
振り向くと、いつの間にやら美希が戻ってきていた。どうやら、座敷の隣部屋は書斎らしい。蜘蛛の巣が大量にあったようで、しきりに頭を払いながら正弘に喚き立てている。
(って、そう言やこの座敷もボロいのに、蜘蛛の巣はひとつもないな……あれ? 美織は?)
見回す。元気に廊下を駆け回っていた妹の姿が、いつの間にか消えていた。
「……父さん? 美織は――」
と、表でクラクションが鳴り、勇弘はハッと思い出した。
「あ、やべ。そういや引越屋さん待たせてたんだ」
「おお、そうだった。じゃ、とりあえず玄関に荷物全部降ろしに行くぞ。そうそう量もないからな、哀しいことに」
「哀しいってわかってるならいちいち言わないでよ……」
「俺、ちょっと美織探してくるよ。先にやってて」
どたどたどた、と三人は廊下を歩いていった。
同じ時。
「うわぁ〜〜〜っ……!」
山神家長女、山神美織は、心の底から感嘆の声をあげていた。目の前に広がる、緑、緑、緑。一面の深緑に、大きな瞳を輝かせる。
彼女がいるのは、家の裏手。たまたま見つけた勝手口から出てきてしまったのだが、本人ここがどこだとか、そんなことはどうでもいい様子である。住み慣れた都会ではどうしてもお目に掛かれなかった、一面的ではあるが、あるがままの自然というものに純粋に感動しているのだ。
勇弘くらいの年齢であれば、「できればどこかのレジャー施設とかでお目に掛かる程度にしておきたかったなァ……」と遠い目で呟いてしまうところだろうが、お子様なのでそんなことはない。目の前にあるものを目の前にあるものとして、素直に受け止めているのである。たとえそれが、ただただぼうぼうに生え放題になっただけの、雑草や木々の叢だとしても。
「すっごーい! みどりー! 草だー!」
その通りである。しかしその通りであるが故に、応えるものもまた、いない。
敷石の上で草々に見入っている美織の眼前を、すいっと二匹の蝶が横切った。別段珍しいわけでもないが、互いにくるくると回り舞って、仲睦まじい様子である。
しばらく、口をぽかんとOの字にして見つめていた美織であったが――突然、にまっと凶暴(?)な笑みを浮かべると、両手をゾンビのごとく前に突きだし、二匹の蝶の後を追って、ゾンビにしては異例の速度で草々の間に突撃した。
「うりゃあぁああ〜〜〜っ!」
少女らしからぬ雄叫び。当然びっくらこいたのか、蝶は高々と舞い上がって逃げてゆく。しかし、その時にはもう色々とどうでも良くなったらしく、美織は至極楽しげに自分より背丈のある草を掻き分け、踏みしだいて驀進した。
「あははは、あははははははっ!」
だだだだだだ、と駆け続ける。遠くで誰かが自分の名を呼んだような気がするが、どうでもいいので気にしない。既に前しか見てはいなかったが、斜め上に伸びていた家の壁が急に折れ曲がったのに沿って、彼女も九十度進む角度を変えた。その直後。
ざさッ、と派手に草を揺らして、美織は緑の世界から抜け出した。
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