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山神家がやってきた 6
引越といえど、家族の荷物はそう多いわけではない――というか、四人家族の常識から考えると、かなり少ない。実際、引越屋も一人で十分捌けたし、父子で手伝ったので、玄関への荷下ろしはものの三十分で終了してしまった。
引越トラックが走り去ってからは、家のまだ見ていなかった部分の探索――素敵すぎるほど古いが、めちゃくちゃ頑張ればなんとか使えないこともなさそうなキッチン。とても広く、湯舟も大きいが、一体どこから掃除の手をつけてよいのかすら分からないほど荒れ果てた風呂場。とりあえず直視するのに苦労するトイレなどを、家族揃って順繰りに見て回る。
玄関にあったみっつのドアは、それぞれ書斎、勝手口、そして納戸へ続く扉だった。玄関には靴箱以外ほとんど何もなかったというのに、納戸の中はごちゃごちゃと大量に物が放り込まれており、満場一致でしばらく放置ということに決まる。書斎も同様であったが、こちらには素晴らしい数の書籍が所狭しと積み上げられており、本好きの正弘が、いずれ整理すると意気込んでいた。
次は二階へ上ってみよう、ということになった。しかし、真っ先に階段を駆けのぼった正弘が、思いきり板を踏み抜いて華麗に転落するという、いかにもな事件が発生する。
お約束といえども、実際起こってみると怖いものだ、と勇弘は冷や汗を拭った。が、当の正弘は転落したまま、「貴重な体験をしたー!」などと阿呆な歓声をあげている。なんだかもう――彼にかかれば廃屋も暗闇もこんなものか、と、どこかやるせない思いが芽生えた。
二階には座敷が二間あり、悪戯で投げ込まれたのだろう石が窓硝子を破っている。注意してそれを開けると、庭に生い茂る豊かな緑の、なかなか見事な景観が一望できた――が、勇弘はそんなことよりも、歩くたびにギシギシと鳴る床の建材のほうが遙かに気になった。さすがに、ここが抜けたら洒落にならない。
一通り見て回った後は、早速掃除である。まず寝る場所だけでも確保せねばと、全員でほこりだらけの座敷に取りかかる。が、ここで勇弘がひとつ発見。
コンセントがない。
一同、考えてもいなかったアクシデントにしばしそのまま立ち尽くした。これでは掃除機が使えない。なんとも痛すぎる戦力ダウンであり、掃除の方法を一から考え直さなければならなくなってしまった。
結局、ハタキで壁の埃を落とした後、箒で縁側から庭に掃き出す方法をとった――予想外の苦労をして、なんとか座敷を使えるレベルにまで持ってきたその直後、隣の書斎にコンセントを発見してがっくりしたのもお約束である。まぁ、電気が引かれていないという最悪の事態は回避できたようで、そのことにとりあえず安堵すべきかどうか、微妙なラインではあった。
と、ことほど左様にすったもんだしているうちに、あっという間に日が暮れてしまう。玄関ホールに積み上げた荷物はとりあえずそのままにして、座布団と円形テーブルだけ引っぱり出し、四人はほのぼのと夕食の準備をはじめた。縁側の戸を開け放つと、夏のはじめの涼しい風が、気持ちよく座敷を吹き抜ける――それは実際、なかなかよい気分だった。
のだが。
「食ってるもんが、インスタント焼きそばじゃなァ……」
「何を言ってるんだ、ユウ!?」
ほかほかと湯気の立ちのぼる麺を持ち上げてぼやく勇弘に、同じくカップ焼きそば『勇猛』を食べながら正弘が言った。コンビニ割り箸で勇弘を指し、
「この家での、最後のならぬ最初の晩餐だぞ! もっと楽しめ。それに、こんな贅沢しばらくできないんだからな? 大盛り焼きそば百七十六円! 豪華じゃあああ」
「情けなすぎる……」
「そうよー、豪華よー」
疲れた表情で焼きそばをつつきつつ、美希も言う。
「なにせこれで、うちの残高が一万円切っちゃったからね。冗談とか抜きで最後の晩餐になっちゃったりして」
「……母さん。それ、笑えない」
「笑わなくていいわよ。ユウちゃんも、新しい学校に事情話して、アルバイトとか探してね。母さんも、早いうちに探さないと」
パートか何かないかしらね、と呟く美希にため息をつく。
「ンなこと言ったって、見つかるかなァ……? コンビニとかも見当たらなかったし」
「ミオねーミオねー、ゆーもー好き〜」
「ああ、ほら、こぼすな美織」
妹の服にこぼれた焼きそばを、ティッシュ(もちろん駅前で配っているポケットティッシュである)で拭いてやりながら、勇弘はふと庭に目をやった。「虫が多いから」と大家さんが父に持たせてくれたらしい古き良き蚊取り線香が、手前の廊下で細い煙を立ちのぼらせている。その緩やかな流れの中に、今しも消えようとしている夕日の残滓と、微風に揺れる草木の枝葉が、点灯した街灯の生み出すシルエットと絶妙に相俟っていた――道を挟んだ斜向かいの民家の灯りや、遠くから微かに聞こえる車の音。ここが町中であることを一瞬忘れそうになった勇弘を、それらがやんわりと現実へ引き戻す。
(まぁ……悪い家じゃ、ないのかな)
焼きそばを頬張りつつ、思う。正弘が、六甲の美味しい水をコップに注ぎながら言った。
「明日から、他の部分も掃除していくぞ。父さんと母さんが水回りをやるから、ユウは庭の草刈りな」
「はァ!?」
あっさりと言い渡された役割分担に、思わず眉根を寄せる。
「一人で!? 無茶言うなよ、相当広い上に生え方容赦ないぞこの庭」
「一日で全部やる必要はない。できる範囲でいいからな。午前中に二階を掃除して、午後から庭をやってくれ」
「ああ……はいよ」
「ミオはー?」
挙手のつもりなのか、手にした割り箸を高々と掲げる美織に、正弘は笑って頷いた。
「うんうん。美織はまぁ、ここらかどっかで遊んでなさい」
「えぇ〜。ミオもお掃除するぅー!」
「ダメよ。このお家古いし、まだよくわからないから」
早々と焼きそばを食べ終わった美希が、主張する娘をたしなめる。
「ミオちゃん、今日も早速横の草むらを突っ切ったでしょ? 草で掌切っちゃって。ダメよ、変な虫がいるかもしれないんだから」
「む〜〜〜……あっ」
一瞬膨れっ面をした美織だったが、急に何かを思い出したように顔を輝かせた。加薬の野菜も残さずかきこむ正弘に、テーブルをぱしぱし叩きながら言う。
「パパ! あのね、あのね。ここ、ゆーれーヤシキじゃないんだってー!」
「へ?」
むぐむぐと咀嚼しながら答える父に、彼女は中庭を指さして、
「ミオねー、女の子に会ったの! ミオたちより前からここに住んでるんだって。でね、ここはゆーれーヤシキなんだよって言ったら、ちがうよって。ここはよーかいヤシキだよって!」
「……妖怪、屋敷?」
眉をひそめて呟く勇弘に、にこにこと頷く美織。たちまち興味をそそられたのか、正弘は焼きそばを水で流し込んでテーブルに身を乗り出した。
「え、なんだって? 美織、女の子に会ったのか? どこでだ!?」
「そこー」
「そこ? ……そこって、もしかして縁側か?」
「ううん。下ー」
座敷と縁側の境目あたりを指さして言う美織に、正弘は首を傾げた。
「下……? 縁の下かな?」
「んとねー、ろーかの下のトコ。石があって、ちっちゃな柱が立ってるの」
「……縁の下だな」
縁の下に女の子?
勇弘は正弘と顔を見合わせた。そんな場所に女の子など、いや人間など、普通いるものではない。美織は嬉しげに、身振り手振りも交えてその女の子の説明をはじめた。
「かみの毛がね、こんなくるくるーって。茶色いの。あとねー、ピンク色の服着てて、こ〜やって、ぽかーんとしてたんだよ」
畳にうつぶせに寝転んで、両肘ついて顎を支える美織。昼間にワイドショー観る母さんみたいだな、と呟くとすぐさま横手から頭をはたかれたが、それはどうでもいい。
正弘は、ううむ、と思慮深げに唸った。
「なるほど。それは間違いなく人間じゃないな。近くの家の子が探検に来て、そんなトコで寝てるとか考えにくいし……」
「そりゃ、普通に考えてないだろうけどさ……」
「うむ。だとすると、美織が我が家の幽霊発見者第一号になるな! しかもひょっとして、それが前に父さんを縁側に近づけさせなかった原因だとすると、相当強力な――」
「もうっ。ちょっと、ほんとやめてよね、そういうの!」
ドン、とテーブルを叩いて立ち上がり、美希が怒鳴った。彼女は手早くテーブル上のゴミを集めながら、
「そんな変なことばっかり言ってたら、次から縁側通れなくなるじゃない! ほんっとヤな家だわ。納戸にコウモリはいるし、トイレはギリギリ水洗なものの和式だし。この上幽霊なんていたら、ほんとに住んでられないわよ!? ほらっ、ユウちゃんもミオちゃんも早く食べちゃいなさい、片付けるわよ!」
ぷりぷり怒って台所に引き上げる美希を見、残った三人は肩をすくめた。
そして、新居一日目の夜がやってきた。
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