山神家の妖怪たち 2


「うっ……きッ、ぃやあああああああああああああああッ!?」
 天井をずりずりと移動する怪物体を直視して、美希が絶叫し、駆け出す。座敷を飛びだして、廊下を玄関のほうへ走っていき――しばし後、やはり大きな悲鳴が聞こえた。また一体何があったのだろう、と半ば考えるのをやめた頭で勇弘は思ったが、それを確認する術はない。
「こいつは天井下りだ!」
 バシャバシャと、カメラのフラッシュを焚きまくり、歓喜の声をあげる正弘。
「そうだなァ、ここの天井も古いもんなァ! そりゃ出るよなァ、うんうん!」
「って、納得して感心して喜んでる場合じゃねーだろ!? どうすんだよ、こんなっ……!……」
 言葉を切る。布団の上に座り込んだ体勢の勇弘の傍を、何かがてってっと走り抜けていった――目で追うと、体長三十センチ程度の人型である。ぼろぼろの布を服のようにまとい、体も腕も、顔までもゴツゴツと節くれ立っている。
 うそ寒いものを感じつつ見ていると、そいつは布団の上に飛び乗り、やおら勇弘の枕を両手でころんとひっくり返した。継いで小さくガッツポーズをし、甲高い声で叫ぶ。
『ぃよっしゃ!』
「…………」
「おお! 枕返しじゃないかぁ〜!」
 割とポピュラーな妖怪の名を叫び、正弘がまたシャッターを押す。レンズを向けられたその小鬼は、しばらくぽかんとしていたが――また何を思ってのことか、おそるおそるカメラにピースサインを向けた。正弘はもう、大喜びである。
「……なんなんだ」
 周囲を見回すと、状況はいつの間にか、完全にわけがわからないレベルにまで発展していた。
 ひらひらと、破れた障子の間を長い布が飛んでいる。細い糸のような目や口があり、おそらくは――いや、確実に一反木綿なのだろう。
 向こうの部屋を何かが転がっていく。見ると、古い牛車の車輪のようなものの中央に、髭面の男の顔が張り付いていた。ぶつぶつと、呪文のようなものを唱えながら、ころころと行きつ戻りつしている。有り得ない。
 何も見えない場所でどたばたと走り回る音はするし、いつの間にか壁にはまた目目連が発生しているし、なにやら台所のほうでもチンチンカンカンと食器が鳴り響いている。ぼろぼろの欄間には、人の顔をしたたくさんの小鳥がずらりと並び、ハレルヤ・コーラスの音楽で声高く唄い羽ばたいた。
『イー! ツマデ♪ イー! ツマデ♪ イツマーデ、イツマーデ、イツ〜マデー♪』
「おぉおぉお〜〜〜っ! 一反木綿、輪入道。鳴屋につくも神に以津真天〜〜〜っ! うっははーっ!」
 父、大興奮。
 もはや蛍光灯など関係なく、周囲一面に人魂のごとき不審火が飛び交っている。小人がいるかと思えば、天井に届くような巨大な童もいる。首がてんてん跳ねているかと思えば、でっかい目玉が脚を生やしてゴキブリのように這ってゆく。あっちを見ても妖怪。こっちを見ても妖怪。
 その群れ居る妖怪たちの間を――
「わぁ〜〜い、わぁぁ〜〜〜〜〜いっ♪」
 妹が笑顔で駆け抜けてゆく。
 勇弘は、久方ぶりに心の底から泣きたくなった。
 この状況は何だ? 百歩譲って、ここが妖怪屋敷なのだということはOK、納得しよう。引っ越してきてしまったものは仕方がない。だが、それにしても、出過ぎだ。何なんだこの妖怪たちの数は。なにも引越初夜からオールスター全登場しなくてもいいだろうに! それとも、これでもまだ一部だというのか!?
 誰でもいいから、理解できるように説明してくれ、と泣きそうになりながら勇弘は思った。一体全体、
「こいつらは何がしたいんだッ……!?」
 そう呻いた瞬間。
 座敷に、庭に、廊下に溢れ返っていた数多の妖怪たちが、一斉に彼を振り向いた。気力なく、それでもどうにか睨み返す勇弘に、なんと彼らは声を揃えて――
『デ・テ・イ・ケ!!』
 それはまことにもって、理解の容易な説明であった。


 さて。
 座敷からの、いや、屋敷からの撤退を試みた、山神家の妻たる超怖がり三十八才、山神美希であるが。逃げた先の玄関で、掌ほどしかない鎧武者たちが、超ミニの馬にまたがって盛大な合戦を行っているのを目の当たりにし、叫んで座敷へ逃げ戻ろうと振り向いたところ目の前に大きな顔がふよふよと浮かんでおり、もはや悲鳴をあげることすらできずよろめいて書斎へ逃げこんだ――ら、とんでもなく巨大な蜘蛛がのほほんと読書に耽っていたりして、とうとうその場にぶっ倒れて失神してしまった。まぁ、無理もないことである。
 そんな妻の窮地を無視ぶっちぎったオヤジは、喜色満面でハッセルやペンタックスを駆使し、何百枚も妖怪たちの写真を撮った。曰く、
「こいつはスゴい! 本当にスゴいぞ。その筋に見せれば、かなりの額が転がりこんでくるかもだ! うわは、うわははははははーっ!」
 それはいいんだけど、この事態一体どう収集するんだよ……? と、尻尾が二股に分かれた猫を孫の手で追い払いながら、勇弘は嘆息したという。
 その問題を解決したのは、意外にも、彼の妹だった。


「を〜〜〜〜〜」
 パジャマ姿も可愛らしい、おかっぱ頭の少女。美織は、縁側に転がった人の首とおぼしき物体をじーっと見つめていた。情操教育上、非常によろしくない光景ではあるが――その首が、突然ころりんと横に転がると、転がる前の場所にふたつめの顔が出現した。その場に残った影が実体化したと言おうか、ともかくまったく同じ顔が一瞬で増えたのだ。
「わぁ〜〜〜〜〜……!」
 キラキラと瞳を輝かせる美織。もはや手品か何かを見る気分らしい。
 ころりころりころころころ、と頭はどんどん転がり続け、ねずみ算式に増えていった。増えた頭が十五夜のダンゴのように積み重なり、縁側に山と溢れ――突然、ぼんッという音とともに一体化する。
「をおお〜〜〜っ!」
 美織が歓声をあげる。現れたのは、一面目だらけの異様で巨大な塊だった。どこにあるかも分からない口で、言う。
『にーらめっこしーましょ、あっぷっぷ』
 ぐッ、と目だらけの身を乗り出し、美織を睨み付けてきた。
 対して彼女は、一通りきゃはきゃはと笑ってやった後、
「あーっぷーっぷ!」
 おもむろに両手の指を使い、子供特有の無謀さとそれを顧みない心でもって、顔の部品の配置を変えてしまった。ぼぶばっ、と、またしてもどこにあるのか分からない口で、妖怪が吹き出す。
『ぎゃ〜〜〜っはっはっはっはっはっ!?』
「きゃ〜〜〜っはっはっはっはっはっ! 勝ったァー!」
 笑いながらぼろぼろと崩れ去る妖怪に、ぴょんぴょん飛び跳ねる美織――ふと横を見ると、きっちりと紋付き袴を着込んだ大人の男が、何の脈絡もなく正座していた。時代錯誤も甚だしい、ちょんまげ頭に二本差しという武家姿である。美織を見つめ、にこにこと笑っている。
『お嬢ちゃん。こんばんは』
 それは状況的に明らかにおかしい挨拶だったが、美織は笑顔大全開で答えた。
「こんばんはー!」
 男はにっこり頷いて、次の瞬間。
 いきなり、彼の首がにうっと伸びた。顔が天井に届きそうなほど上昇し、継いであっという間に降りてきて、美織の身体の周囲を己が首でぐるぐると取り巻く。瞬時に異様な風体になった男は、顔を美織の肩の横に漂わせ、にやりと妖しい笑みを浮かべた。
「きゃぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!」
 顔を歪めて悲鳴をあげた――
「〜〜〜っはははははははっ! すっごぉーい!」
 かと思いきや、語尾がそのまま爆笑に変わる。はしゃいだ美織は、やおらがっしりと男の首の根本を両手で掴んだ。ギョッとする男に構わず、ぐいぐいずるずると引っ張って、その首を好き放題に伸ばしはじめる。
『う、うわっ……あ、や、ちょっ。や、やめ、やめてーやめてー!?』
「長いね〜、すごぉーい! どこまでのびるの?」
『待てってやめろって、それ、げ、限界あるから! ほんとちょっと待、ぁ痛い痛いギブギブギブ! おーい!? 助けてー!?』
 堪らず男が悲鳴をあげるが、子供の辞書に容赦とかいう類の言葉はない。力一杯引っ張り続ける美織に、慌てて飛んできた一反木綿がくるくると巻き付いて引き離した。あうー、と不満げな彼女を、しゅるりんと首を元に戻した男が、なんとも恐ろしげな目で見て呻く。
『うう、畜生っ……て、撤退だ! 一時退けー、退却だー!』
 叫びつつ、ふわりと宙に浮き上がって、天井近くの闇の中に消えてゆく。一反木綿も近くの障子に張り付き、一体化して消え失せた。
 部屋に溢れていた妖怪たちも、次々に跳び上がったり走り回ったりして、天井裏や障子の影などに消えてゆく――あっという間に、騒がしかった座敷は静まり返り、人間三人だけが残された。
 しばし、拍子抜けしたような沈黙が落ちる。
「……な……何がしたかったんだ、結局……?」
「はっはっは、バカだなぁユウ」
 唖然と呟く勇弘に、満ち足りた表情の正弘が答える。
「あいつらは妖怪だぞ? 怖がらせに来たに決まってるじゃないか! ああ〜〜〜、初日からいい絵がたくさん撮れた……! 父さん、幸せだ!」
「よーかいさん、ばいばーい」
 のんきに手を振る美織の後ろで、気抜けした勇弘ががっくりと項垂れた。