山神家の妖怪たち 3


 翌朝。
「もう嫌ぁー! 絶対嫌、出てくもう嫌もう出てく〜〜〜!」
「落ち着け〜美希ー!」
 書斎の入り口で白目を剥いて気絶していたところを、正弘と勇弘によって布団に移されていた美希は、目が覚めるなり、パジャマ姿のまま外に飛び出そうとした。必死で彼女を抱き押さえつつ、正弘が言う。
「落ち着けというのに! もう大丈夫だから、何もいないから今は! なっ?」
「うそよぉぉ! きっと今でも、どこかからあたしたちのことを見てるのよ! 隙を窺ってるのよっ、よ、よ、妖怪たちが! あああもうこんな家一秒だっていたくないわッ!」
「何言ってるんだ、昼は妖怪はお休みだって相場が決まってるだろう!? 昨夜美織に結構なダメージ食らってたしな。とにかく、落ち着いてくれ!」
「いや……母さんの気持ちも分かるよ」
 じたばたと玄関ですったもんだする二人に、疲れた顔の勇弘がぼりぼりと頭を掻きながら言った。彼もいまだパジャマ姿である。
「正直、俺も逃げ出したい。一生分の心霊体験を一夜でしちまった気分だし……」
「ユウ!? お前までそんな!」
 バッと美希を離し、勇弘に向き直る正弘。つんのめった美希が危うい感じで土間に転落していたが、とりあえず構わずに勇弘はため息をついた。
「父さん、ちょっとは真剣に考えてくれよ。妖怪だよ? 首伸びてたし頭転がってたし、布飛んでたし鳥唄ってたし。妖怪だよ? そんなもんがいる家に、どうして住めたりするのさ。普通に考えてダメだって」
「そうよ、本当にそうよ! もうあんなのはごめんだわ、ここに住むなんて無理よ!」
 勇弘と美希の、至極まっとうと思われるべき主張を受け、しかし正弘は顔をしかめた。腕を組み、確かにそれは正論かもしれないな、と唸る。
「だが、そんなこと言っても、もう金とか、ないぞ? この家以外に、もううちには財産がないんだ」
 その現実には、どうにもこうにも、苦々しく黙り込むしかなかった。
 正弘の言う通り、山神一家の懐事情は金があるないどころの騒ぎですらない状況にまで落ち込んでいる。この家に住みたくないなどと言っても、住める家はここしかないのだ。これから新たに家を探し、借り、引っ越すなど当然不可能である。それを確認するかのように、正弘は言葉を続けた。
「なにせ、残高一万円だ。それだけの金がなくならないうちに、どうにかしてまず生き延びる手段を確保しなきゃならん。そんな状況だぞ? この家を出て、一体どこへ行こうって言うんだ?」
「そんな、どこかのチャレンジ番組みたいな……!」
「でも、まぁ……確かに、それは……そうだよなァ」
 ゆっくりと頷いて、勇弘は深いため息をついた。
「もう、この家借りちゃったんだから。父さんが。三万円で。父さんが。家族に何も詳細を語らず。父さんが」
「…………」
「今更返してくれって言ってもダメだろうし、引越代金はもっと無理だろ。仮に返してもらったところで、どうなるもんでもないし……ここを出るのは自殺行為だよ」
「でも、このままここにいたら、呪い殺されちゃうわよ!」
 美希が涙目で訴える。勇弘は、昨夜美希が座敷を飛びだしていってから、何に遭遇したのか知らないのだが――心に負った傷の深さを物語るがごとき必死さに、うんうんと頷くより他なかった。
「それもその通りだよな。なにせ妖怪だ……洒落になってないよ、ほんとに。昨夜は脅かしにきただけみたいだけど、これから一体どうなるか――」
「いや、それはないな」
 至極あっけらかんと、正弘が勇弘を遮った。妙に自信ありげな発言に、勇弘と美希が訝しげに問い返す。
「ない、って……なんでそんなことが分かるんだよ?」
「そうよ。相手は本物のお化けなのよ!? 心霊マニアの偏った見解なんて、聞きたくもないわ!」
 けんもほほろな態度に、正弘は少しだけ苦笑して、
「なんていうのかな。ここにいるのは、そういう、いわゆる性格悪い霊とは――」
「霊に性格なんてあんのかよ……」
「――違って、きっと、とても日本的に正攻法な妖怪たちだと思うんだ。昨夜出てきた連中を見てもわかるだろ? なんとか人間を驚かせて、怖がらせて追い出そうとしてた。危害を加える意志じゃなく、ただ、この家に人間がいるのが気にくわないんだよ」
 それは妙に説得力があり、勇弘は昨夜の出来事を回想した――確かに正弘の言う通り、驚かされたが怪我などはしていない。出てきた物の怪たちも、漫画や本でお馴染みの、どこかユーモラスなヤツらが多かったように思う。精神的な『プレッシャー』としての怖さなら、昨夜の連中より一級のホラー映画のほうが上かもしれない。
(それで美織は怖がらなかったのかな?)
 遊園地かどこかにやってきたように、はしゃぎ騒いでいた妹。美織は、最初の目目連の非現実さと異質な存在感に竦んでしまった勇弘と違い、一瞬で相手の意図を感じ取ってしまったのかもしれない。子供の無邪気さというのは、なんだかそういう大人には不可能なことを可能にしてしまえるような、ストレートなイメージが確かにある。事実、昨夜は美織に救ってもらったようなものなのだし。
 危害を加えてくる相手じゃない。だから心配はいらない。
 美希は否定するだろうが、なんとなく勇弘は、その言い分には納得した。だが、それで全てが解決するわけではない。なにせ相手が相手である。
「でも、父さん。いつまでも、そうやって怖がらせてくるだけとは限らないんじゃないのか? いつ気を変えて、本性を現して襲ってくるか、わからないよ」
「それはもちろんだ。けど、今そんなこと心配してたって仕方ないだろ?」
 いまだぐずる美希の背を撫でながら、正弘が笑って頷く。
「要は根比べだよ。精神力だ。妖怪たちの脅しが勝つか、こっちの根性が勝つかさ。それに、妖怪の本性なんて父さんも知らないぞ? ひょっとしたら、案外いい連中かもしれないじゃないか」
「そんなわけないじゃないっ……!」
「よーかいさん、すごかったね〜〜〜」
 寝惚けた声に振り向くと、今まで寝ていた美織が起きてきたところだった。掛け布団をずるずる引きずって、にへら〜と謎な笑みを浮かべる。まだ半分夢心地なのだろう。
「ろくろ首さん、首にゅ〜〜〜って。首ころころもすごかったね〜」
「美織、お前、子供があんま首首連発するもんじゃないぞ……」
「なぁ、スゴかったよな〜美織!」
 ひょいと娘を抱き上げて、正弘はとても嬉しそうに笑った。
「正直、父さんもちょっと心配してはいたんだ。なにせ知り合いの話によると、もう何人か死んでるらしいからな〜、この家」
『…………な』
 んだと?
 カケラも知らされていなかった真実に、勇弘と美希は絶句した。正弘は、機嫌よく美織を「高い高い」して、自らくるくると回りつつ、
「平和的な連中みたいで、ほんと良かったよ。きっと今夜は、もっとたくさん出てくれるぞォ、美織。また会いたいな!」
「うんっ」
「な……なによそれ!? どこが平和的なのよ、やっぱり死んでるんじゃないッ! もう嫌、もう嫌ぁ〜〜〜出てくわぁーっ!」
「はっはっはっ、愉快愉快〜」
 涙目で叫ぶ美希に、腹立たしいほど暢気な正弘。
 過ぎ去りし平穏な日々を思い返し、勇弘は深いため息をついた。自分の人生が、いつからこんな方向に流れ出してしまったのか――それを考えることすら、もはや億劫だった。