妖しの心 1


 山神一家が住まう屋敷は、緑豊かな広い庭をもつ、なかなかに大きな木造和風建築物である。住宅地の真ん中を、ごっそり切り取った長方形の敷地に――良くいえば独特の雰囲気で、悪くいえば禍々しい妖気を漂わせて――そびえるがごとく建っている。外から見てもわかるように、庭のみならず内部も広い。
 引っ越してきた時の第一印象と異なり、部屋数はそう多くない。しかし、ひとつひとつの空間が大きく、十分なゆとりをもっているのだ。例えば、一階にある部屋――書斎、和室二間、台所、風呂に便所と、数えてみれば手狭にも思えるものの、四方の壁を本棚で埋めた書斎は実質十五畳。座敷はあわせて二十畳ほどもあるし、台所も風呂も広々としている。
 二階にある和室二間も、それぞれが十畳と相当な広さだ。今は窓ガラスが破損したままなのでまったく使われていないが、そのうち一間がいずれ勇弘の私室となる予定である。緑豊かな庭を見下ろせるそこは、実際なかなか良い環境だった。
 そして、広いといえばもうひとつ。
「な? こうして考えていくと、最初にここを建てた家族像も見えてこようってもんだろう、ユウ。少人数で、ゆったりのんびり、庭を眺めながら暮らすために造られた家なんだよ、ここは」
 そう言って、正弘はバカでかいダンボール箱を持ち上げた。相当重いのか、ふらふらとよろめきながら、顎でどけと合図する。勇弘は、そこらに散らばるガラクタ類を踏みつけないよう注意しながら、ドアの脇に身を寄せた。
 ここは、玄関の板間を挟んで書斎の向かい側。ごちゃごちゃと物が詰め込まれている、薄暗い納戸の中である。本格的に暑くなる前にある程度ここをやっつけてしまおうと、彼ら父子は意を決し、午前中から腕をまくってガラクタ整理に奮戦しているのだ。
 奥行き八畳ほどもあるこの空間は、勇弘たちがやってきた当初から、既にカオスの極みであった。その上、他の場所を掃除中に出てきた不要物等を、全て適当に放り込んでいたものであるからして――現状は、推して知るべしである。
 しかし、山神家の現状も同様に悲惨であるため、以前の住民がのこしていった物でも、使えるものがあれば無駄にするわけにはいかない。ひとつひとつチェックし、選別を続けているうちに、最初にこの屋敷に住んでいた家族の話になったのだ。その辺りの事情を知っているのは、言わずもがな、父だけである。
 どっせー、と息を吐きながら板間に箱を降ろし、正弘は額の汗を拭った。さっそくしゃがみ込み、開封しながら続きを語る。
「実際、この屋敷を建てたのは、年老いた夫婦だったらしい。五年ほど、二人きりで静かに暮らした後、突然謎の蒸発をしている……当然事件扱いになって、警察も結構気張って捜したらしいんだがな。結局行方はわからずじまいで、迷宮入りになったってわけだ」
「……それって、間違いなくここの連中に呪い殺されたんじゃねーの?」
「まぁそういう推測もできるんだが。おい、次の箱も持ってこい」
「はいよ」
 勇弘は、口と鼻を覆うタオルの位置を直し、大きな紙箱を両手で抱えて、ガラクタ山の山頂から床に下ろした。元は上等な色合いだったのだろうが、今は埃をかぶりまくって見る影もない。パンパンとそれを払い落としていると、正弘は肩をすくめて言った。
「でも、ここに棲んでる妖怪たちに、そんな容赦ないマネができると思うか? 昔からああだった保証もないが、どうもそういう手合いには思えんね、父さんには」
「そうかもしれないけどさ……。ところで、そっちの箱は? 何が入ってたんだ?」
「うむ、まてよ。これは……あ? まーた湯飲みだな。やれやれ、もう母さんも喜ばんだろう」
 ダンボールの中身は、丁寧に新聞紙に包まれた、湯飲みやら皿やらであった。不要品というわけではないが、既に食器類はいくつもこの納戸から発掘し、台所で整理している。上等なコップがいくらあっても、入れるものがただの水では、空しいだけというものだ。
 ふむ、と正弘は鼻を鳴らし、箱を閉じて脇へ押しやる。その空いたスペースに、勇弘は納戸の中から紙箱を持ってきて置いた。
「どーすんの? 湯飲み」
「まぁ、捨ててしまうのももったいないしな。しばらく置いておこう、フリーマーケットとかで売れるかもしれん。どれ、これは……?」
 紙箱を開けて中を覗き込み、む、と正弘は唸った。立ち上がって両手を差し入れ、ゆっくりと何かを引っ張り出す。
「……うげ」
 と、思わず勇弘は呻いてしまったが――出てきたそれは、一体の市松人形であった。黒目がちの小さな目に、薄く描かれた細い眉。ふっくらした白い頬に、紅をさしたように赤い唇。橙の着物に朱色の帯を結んだ、紛う方なき日本古来の着せ替え人形である。
 勇弘はやや退き気味に、じろじろとその人形を見た。
「なんでこんなもんが……?」
「はっはっはっ、疑問に思うほどでもないさ。今じゃ、家庭では滅多に見られなくなってしまった人形だがな、一昔前は親から娘へ必ず渡されたくらい、ポピュラーなおもちゃだったんだぞ。こうして大事に仕舞われていても、なんら不思議なことはない」
「そうかぁ……? 時代の厚みが半端ない気がするし、なによりこれ、妖怪化してなかったっけ?」
「いや、あれとはおそらく別物だろう。着物と帯の色が違う」
 さすが、無駄によく見ている。
 呆れ半分で眺めていると、正弘は箱の奥に何かを発見したようだった。手を突っ込んで取り出す。
「ほ〜ぅ……毬だ」
「まり?」
 それは緑や黄色で花のような柄があしらわれた、大きめの手毬だった。全体的に地味な色合いの市松人形に比べて、随分と派手で綺麗な代物だ。実物を見るのは初めてだったので、勇弘は手を伸ばしてそれを受け取った。手の中で回しつつ、一頻り眺めてみる。
「へぇー。思ったより軽いんだな」
「ちゃんと糸を重ねて作ってあるみたいだ。結構上等なもんだぞ、きっと」
 ふーん、と鼻の奥で返事をする。勇弘はバスケットボールの要領で、軽く毬を床に落としてみた。手元まで跳ねて戻ってくるのを期待したのだが、テイン、と高い音はしたものの、膝上程度にしか弾んでくれない。ははは、と正弘が笑った。
「家の中ではやめとけ。やるなら外だ。石畳がベストだって聞いたことがあるから、門の内側なんてちょうどいいだろう」
「いや、別に外に出てまでしてやりたいとも思わないけどさ……そうだ、美織にあげたらいいんじゃね?」
「ああ、それはいいな。情操教育にも良さそうだ」
 それはあんまり関係ないと思う、などと胸中で呟きつつ、ころころと転がった毬を拾い上げる。そのまま、何気なく玄関に目をやって、勇弘はギクッとして動きを止めた。
 靴が爪先を並べるたたきから板間までは、三十センチほどの上がり框(かまち)――段差がつけられている。その横木から、黒い物体がにゅっと突き出ていた。半円、いや半球型で、表面がぞろりと長い毛髪で覆われている。さらにその前髪の間から、光を照り返さない虚ろな黒瞳がふたつ、じぃっと勇弘を見つめていた。真っ白い鼻筋の途中から下は、框に隠れて窺い知れない。
 つまり、小さな人型の何か――例えば、そう、人形など――が、たたきに立ち、こっそりとこちらを探り見ているような。そんなビジュアルなのである。その異様さ、不可解さは、唐突さ加減も相まって、とても一言で言い切れたものではない。
 ごくり、と唾を飲み込んで、勇弘は正直に呟いた。
「び……びっくりした……」
「? どうした、ユウ。……おっ?」
 彼の視線を追って振り向くなり、正弘はたちまち笑顔になった――毎度のことだが、信じられない親父である。その反応の理屈がいまだにわからない。彼は、新たに引っ張り出してきた箱を適当に放り出し、目線を合わせるかのようにしゃがみ込んだ。
「ええと、君は……市松人形ちゃん、かな? どうしたの〜?」
 ちゃん付けに猫撫で声ときたもんである。勇弘は一瞬、親子の絆を忘れ去って正弘の後頭部をはたき倒しそうになった。手にした毬で、すぱーんと。
 対して、顔の上半分だけ覗かせた妖怪。彼の言う通り、市松人形なのだろう。足下の綺麗な人形とは似ても似つかない、あのざんばらな黒髪には見覚えがある。角度の所為もあり、いまいち表情は読み取れないが、ただ無言で睨みつけてきている――間の抜けた笑顔の正弘を。
 なんともいえず、耐え難い空気である。
(どっちに何を言うべきなんだ、この場合……?)
 額に汗して黙っていると、正弘は傍らの綺麗な人形を取り上げて言った。
「こっちの子に、何かご用なのかな? お知り合いかい? それとも実は姉妹とか?」
 バカにしているとしか思えない発言だが、本人至ってマジメであるようだ。勇弘は数瞬、周囲の全てを忘れ去って正弘の後頭部を蹴り飛ばしそうになった。呵責ない全力で、どかーんと。