妖しの心 10


 しかしすぐに、彼女はいつも通り、深く推し量るのをやめた。長が何であれ、関係ない。何を思っていようと、関係ない。大事なのは、長としてここに居続けてくれることだ。ここに寝転がって、ぼうっと空を眺めていてくれることだ。それだけで、十分。
 しかし、あの人間たちは。
『長……人間って、なに?』
「さぁ」
 即答。あまりに質問が大雑把すぎたかと、市松人形は言い直した。
『あの子供、なんで……あたちと一緒にあそぶの?』
「さぁ。好きなんじゃない、妖怪」
『どうちて妖怪が好きなの?』
「さぁ。そういう人間もいるんでしょうよ」
 むーん、と市松は考え込んだ。頭上の喧噪が、また一段と大きくなる――人間たちも内輪揉めをしているようで、出て行くの行かないのと声が聞こえてきた。原因はやっぱり、自分を放り投げたあの女のようだ。いい気味である。
『マイちゃんは……あたちが妖怪になったら、捨てちゃったのになぁ』
 ぽつりと呟くと、長が横目で彼女を見た。何を言うでもない無表情で、熱くも冷たくもない人肌視線を向けてくる。促されているような気がして、市松は続けた。
『人間って、よくわかんないね、長』
「そうね」
『でも、そんなに怖いものでもないね』
「そうね」
『なら、どうちて――』
 ぐねぐねと首の長い、特徴的なシルエットが、ダンダンと畳を踏み鳴らした。歌舞伎役者が乱心したような、バカバカしい仕草で両手を振り回している。
『お前らがそーゆー態度だから、人間どもがつけあがるんだろーが! 妖怪としての誇りはないのか!?』
『そんなこと言われてもぉ、あたし濡れ女なだけだしぃ』
『というか、ろくろ首はさっきどうして……あっ、わかった! 大人しくしてると言われたから奇抜な登場を試みてみたけど、いまいちいいのが浮かばなくて、色んな意味で宙ぶらりんに終わったんですね?』
『「ですね?」じゃねぇ! お前ら一体どっちの味方だぁ〜!?』
 なにやら事態が混迷してきたようである。いつものことといえばそうだが、市松はなんとなく微笑した。この屋敷に、こんなに声が響くことなど、長らくなかったことなのだ――感慨を抱くわけでもないが、そうそう悪い気分でもない。
 こつん、と後頭部で柱を打って、呆れたように呟く。
『どうちて、みんなあんなに追い出ちたがるのかな?』
「騒ぐのが好きなんじゃないの」
「あっ」
 なるほど、と頷いた直後、彼女はギョッとして見上げた。縁側から逆さまに、人間の少女――美織という名前だったはずだ――が覗き込んできている。おかっぱの髪がばさーと降りて、妖怪さながらのビジュアルである。彼女は一瞬笑顔を浮かべた後、すぐに真顔になって裸足のまま飛び降りてきた。
「あのね……あのね、ごめんね。ママがあんなことしちゃって、ごめんなさい。びょういん、行ったの?」
『……びょーいん?』
 ぺたりと地面に腰を下ろし、眉をハの字にして言う。市松がきょとんとしていると、彼女はいよいよ泣き出しそうな顔になった。
「ごめんね。ほんとにごめんね。せっかくおともだちに、なろうと……思ったのに」
『い、いいよ……別に、あたち怒ってないよ』
 なんだかこちらが焦ってしまい、市松はふるふると首を横に振った。ひくっ、と一回しゃくりあげて、美織は目尻をこすった。
「ママ、ひどいよね。よーかいさんだからって、あんな……ひどいよ。何もしてないのにね」
『だから、いいよもう。こあがる気持ち、わかるし……妖怪と、人間だもん』
 美織はしばらく黙っていた。下唇を噛みしめて、暗い地面を見つめている。やがて、四つん這いでのそのそと、縁の下の暗がりに入ってきた。庭のほうに向きを変え、膝を抱えて座り込む。
 そうなってもまだ黙っているので、市松は彼女越しに長を見た。珍しいことに、ポーカーフェイスは首を巡らし、じっと闖入者を見つめている。そういえば、長はこの少女に、不思議なほど関心を示していた――仲間たちに、名前を聞いてきたこともあったのだ。雨が降ろうが槍が降ろうが、他事には一切無関心であるというのに。
「ママね、わざとじゃないんだって」
 ぽつりと、美織が言った。
「よーかいさんじゃないと思ってたから、びっくりしちゃって、それでなんだって。……なっちゃんやみっちゃんには、ママあんなことしなかったから。だから、わざとじゃないのは、きっと本当だと思うの」
『……うん』
「ミオ、ママにキライって言ったの。でも本当にキライにはなれないの。……ママはミオのママだから、キライになんてなれないの。でも」
 聞いている途中でこんがらがりかけてしまったが、市松は口を挟まなかった。頑張って何か言おうとしているのはわかったし、なによりこんなことは初めてだ。頷く以外、どう反応していいのかもわからない。
 人間とは、なんと多彩な表情を見せるものなんだろう、と彼女は美織の横顔を見て思った。こんな幼い子供でも、ろくろ首より、二口濡れ女より、ずっと色々な顔をすることができる。鬼蜘蛛が人間を好きになるのも、なんとなくだが、わかる気がした。
「本当は……ママも、よーかいさんも、キライにならないでほしいの」
 どちらがどちらを、ではなく、どちらもなのだろう。共存とはつまりそういうことだが、きっとこの少女はそういうことを考えているわけではないのだろう。言葉足らずの訴えから、切な感情がじわじわと伝わってくる。
『うん』
 どう反応すればいいのかはやはりわからなかったので、市松は再び頷いた。美織がこちらを見たので、さらに何度も何度も頷く。どういう風に解釈したものか、それだけで少女は表情を一変した。口の端を大きく横に引き、まさしく破顔してみせる。
 笑い返そうとした時、真上で足音がした。気づけば喧噪は収まっており、庭の茂みに映る影も、人間のそれだけとなっている。
「美織〜? おーい、どこだ〜」
「あ。おに――」
 ゴガン
 いちゃん、と続けようとしたのだろう。美織は涙の跡をこすり、笑顔で勢い良く立ち上がり、そのほとんど全てが仇となって床板で脳天を痛打した。台詞が途切れて悲鳴もなく、ばったりとその場に倒れ伏す。
『……え』
 目が点になる。ここは縁の下なのだから、美織の背でも立ち上がったりすれば頭を打つのは明白である。人間とは一体何なのだろう、と再び疑問を抱かずにはいられなかった。
 おろおろしていると、長と目が合う。
 彼女はやれやれといった様子で、寝転んだまま器用に肩をすくめた。次いで片手を伸ばし、つん、と美織の頭をつつく――途端にバッと跳ね起きて、彼女は縁の下から飛び出ていった。
「おにーちゃん!」
「お、いた。ってなんだお前、なんでそんな泥だらけなんだ!?」
 焦ったような声に続き、ひょいと美織が抱き上げられるのが見える。ひらひらと片手を振って見送り、市松は小さく息をついた。
『……長』
「なに」
『人間って……なに?』
 縁の下の女の子は、夜空に光る三日月を眺めやり、間を置かずに答えた。
「今のでしょ」
『……。そっか』
 もし全ての人間が美織のようなら、もしかしたら、自分たち妖怪ともうまく付き合っていけるのかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎり――しかしやはり、市松は深く考えるのをやめた。人間がどんなであれ、関係ない。あの子のようでなくとも、関係ない。
 ただ、あの子と自分は、友達。それだけで、十分。
『……キライには、ならないよ』
 庭に目をやる。金木犀の葉が輝いて見えた。人間の光に照らされた緑も、あながち悪くないのかもしれない。
 縁の下から覗く満月は、はちゃめちゃな騒動に感化されたかのように、白々と笑顔を振りまいていた。


妖しの心 了

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