妖しの心 2


 ぶるぶる震えながらその衝動を堪えていると、人形のほうから小さな声が聞こえた。
『あたちの……』
「ん?」
 それきり黙ってしまう。正弘は再び、手にした人形を持ち上げた。
「これが、君の? なんだね? お友達?」
『……それは』
 今度はややはっきり聞こえたが、また一言だけで続きを言わない。舌っ足らずな、美織をもう一段幼くしたような喋り方である。さすがに勇弘も気になったが、次の瞬間、ふっと人形の頭が見えなくなった。框の下に隠れてしまったのだ。
「あ……?」
 すぐに正弘が近寄って覗き込む。しかし姿は見えなかったらしく、首を傾げて肩をすくめた。
「ふぅ〜む。いまいち解せなかったな。一体何の用だったんだろう」
「父さんがアホなことばっか言うからじゃねーの……? いくらどうでも姉妹はないだろ、姉妹は」
「いやでも、もしそうだったら面白いじゃあないか。妖怪姉妹! 長壁姫と亀姫みたいだ」
 バカバカしい――と言いかけて、勇弘はふと思い返した。
 自分の思考を振り返るのは、あまり得意ではないのだが。自分は今『妖怪に姉妹なんてあるわけない』と、そう思ったからああ言ったのだろう。意識していたわけではないが、わざわざ理論立てるならば、そういうことになるはずだ。
 では一体、何ならあるのだ? 妖怪には、何がありえて、何がありえないのだろう?
「……なぁ、父さん」
「ん〜?」
「あの、縁の下にいる……妖怪の長。あれって、どういう妖怪なんだ?」
 先日、正弘がもつ本の一冊をぱらぱらとめくってみたことがあったが、そこにあの長のポーカーフェイスは描かれていなかった。この屋敷で出会った妖怪たちの中で、いわば最もありえない存在――縁の下の女の子は、一体どういう妖怪なのか?
 しかし、正弘はあっさりと首を横に振った。
「わからん」
「……そっか。やっぱ、どの本にも載ってない?」
「載ってる載ってないというか、誰も知らないんじゃないか? あれについては、特にな」
 へ? と眉根を寄せる。新たなダンボール箱を開封し、正弘は両眉をあげて笑った。
「ユウ。妖怪とは、何だと思う?」
「……。いや、そんなこと訊かれても……わかんないよ」
「うむ、父さんにもわからん。いいか勇弘。今のところは、まだ今のところはな、父さんたちにとって妖怪とは、わからないものでなくてはならないんだよ」
 まずあなたの言うことがわかりません。
 とでも返したい気分ではあったが、適当に首を傾げるにとどめておいた。彼はなにやら上機嫌になってきたらしく、どっかりとその場にあぐらをかいて続ける。
「父さんはな、こう見えて、妖怪に関する色々な資料を読んでおり、また持っている」
「いや、まるでそうは見えないーみたいな言い方するのはよそうよ、今更……」
「色々な民俗学者や、フォークロアの専門家が、様々な意見や見解を述べている。お前も、蛹田国男くらいは知ってるだろう?」
 ああ……と、勇弘は曖昧に頷いた。歴史の教科書で眺めた程度の記憶しかないが、高名な民俗学者であったはずだ。
「彼らが世に遺した見識には、父さんも随分と影響された。好きが高じて、民俗学の博士号をとろうかと思ったこともあるくらいだ。写真にほだされて中途に終わったが」
「昔っからそんなだったんだな、父さん……」
「まぁそう褒めるな。ともあれだ、彼らが学説の一部として、妖怪という存在について極めて穿った見解を提供してくれているのは間違いない。
 だがな、ユウ。彼らの理論が――」
 正弘は、古びた玄関をぐるりと見回した。草むらに潜むバッタやカエルを見つけ出そうとする子供のような、どこかわくわくした様子で言葉をさがし、先を続ける。
「――妖怪に出会って、打ち立てられたものか否か。怪現象を感じるのではなく、我々のように面と向かってこの世ならざるものに対峙した上で、構築されたものなのかどうか……それが父さんにはわからん。きっと誰にもわからん」
「……まぁ、そうだろうね」
「この家にはろくろ首がいる。たった今見た市松人形もいるし、枕返しや一反木綿もいる。そのほとんどが、民間伝承あるいはメディアなどで、一般的に親しまれている存在だ……だが、父さんはな。ここにいる妖怪たちは、ひょっとして、今まで自分が追いかけてきた『妖怪』たちとは、一線を画すモノたちなんじゃないか、とも思っているんだ」
 なんとなくだが、言いたいことはわかる。しかし正確には捉えられない。彼の話は、複雑なようでもあり、単純なようでもあり、問題の焦点を定めづらいのだ。
 勇弘はしばらく黙考した後、自信はないながらも口に出した。
「存在の仕方が違う……かもしれない、ってこと?」
 まさしくそうだ、と正弘は嬉しそうに膝を打った。
 ろくろ首は、首が伸びる。この家のろくろ首もそうだ。市松人形はそのまんま、枕返しは枕を返すし、一反木綿はひらひらと飛ぶ。それらは本に書いてある通り、心霊マニア等が認識している妖怪の姿そのものである。
 だが、全てが伝えられている通りか――というと、そういうわけでもないのだった。
 通説だと、ろくろ首は女の妖怪であるはずなのに、ここにいるそれは間違いなく男である。枕返しは人を殺すとまでいわれるが、実際そんな様子はない。それになにより、一反木綿も市松人形も、皆人間を怖がっていたのだ。そんなことが書いてある専門書など、おそらく存在しはしないだろう。
「あの縁の下の女の子は、それを代表する存在だ」
 むつかしく眉根を寄せて、正弘は言う。
「父さんの知る限り、あんな妖怪は存在しない。目撃例もなければ似通った話もない。縁の下に棲むという妖怪はいるが、単純にそうだとも思えんのだよ」
「ケッカイ……てやつ?」
「おっ、よく知ってるな? そう、血の塊と書くケッカイや、歯噛などもそうだ。しかしどれも、伝えられている見た目からして、あの少女にはそぐわない。だから、つまりは……わからないんだよ。彼女をはじめ、ここの妖怪たちについてはな。話し合いをした時には、まだこっちにいくらかアドバンテージがあるだろうと楽観してもいたが……ひょっとすると本当に、完全に未知の連中かもしれないってわけだ。面白いじゃあないか!」
 からからと笑って、彼はまたダンボール箱を開封しはじめた。話の内容は理解できたが、その何がそんなに面白いのかわからず、勇弘は深いため息をついた。
 自分たちは妖怪とすんでいる。どういう原理かはわからないが、リアルに隣り合わせなのは間違いない。そういう状況を鑑みた上での知識なのかどうかが定かでない故に、書籍の類――言い換えれば、今まで正弘が蓄積してきた知識を、そのまま鵜呑みにして考えるわけにはいかない。それはよくわかる。
 なんでそんな状況が面白かったりするのだ。
「おおっ? ユウ、母さんを呼んでこい! 土鍋が出てきたぞ、土鍋が」
「……へいへい」
 まぁ、いつものことか――と思い直したその時、
『ひょおぉぉぉええぇぇぇ〜〜〜〜〜ッ!?』
 と盛大な悲鳴が響き渡り、勇弘は正弘と顔を見合わせた。この家であんな奇声をあげる人間は、どう考えても一人しかいない。
「どうしたぁ〜美希!? 何があったー!」
「またつまんないことだよ、きっと……」
 正弘はなぜか土鍋を抱えて、勇弘は毬を手にしたままで、小走りに廊下を奥へ向かった。