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妖しの心 5
「♪いちじくニンジン、山椒に椎茸、ごぼう」 リズムよい歌声にあわせて、てんてんと毬が石畳に跳ねる。 両目をまんまるにした美織が見守る中、黒髪の少女はくるりと回った。膝丈のワンピースがふわりと広がる、と思った時には再び毬をついている。 「♪むかご、七草白菜、キュウリに冬瓜っ」 ぽんっ、とやや強く弾ませ、掌を皿にして受け止める。をぉ〜、と美織が拍手を送った。 「すごーい! まどかおねえちゃん、上手〜」 「そ、そう? えへへへ」 彼女、遠峰円は、小学生の歓声に照れたように頬をかいた。毬の汚れを軽く払って、はい、と手渡す。 「お姉ちゃんねぇ、こういうのは無駄に得意なんだよ〜。お姉ちゃんのお父さんが、昔のおもちゃとか大好きな人でね? 美織ちゃんくらいの頃は、ずっとそれで遊んでたの。だから、お手玉もむっつまでできるんだよー!」 「すごいすご〜い! 見たい!」 さすがに幼児相手だと、マシンガントークも連射速度を緩めるようである。また今度ね、と機嫌良さげに言い、彼女は庭石の上に置いていた紙箱を取って差し出してきた。 「とりあえず、これ、おうちの人に渡してくれるかな? 中にね、お素麺が入ってるの。美織ちゃん、お素麺好き?」 「そーめんっ? 好き!」 満面の笑みを浮かべて箱を抱きかかえる彼女の頭を、円はしばし笑いながら撫でていたのだが――ふと、その手が止まった。沈黙する姿など想像もしづらい彼女が、なにやら思案するような表情で、黙ったまま、じっと美織の顔を覗き込んでくる。 「? なーに?」 「……あのねぇ。お姉ちゃん、美織ちゃんに聞きたいことがあるの」 しゃがみ込んで目線を合わせ、にっこり微笑んで言う。 しかし、そんなことを言われても、実は美織はこれが円との初対面だったりするのである。毬をついて遊んでいたところに、今日も勇弘をかわす気満々の彼女が訪ねてきたのだ――つまり、知らない人が入ってこようとしたら言いに来るように、という兄の言いつけを早々に無視したことになるのだが、それはとりあえずどうでもいい。 美織は、手毬と紙箱を抱え直して、こくんと首を傾げた。 「なにを〜……?」 「美織ちゃんの、お兄ちゃんのこと」 「おにいちゃん?」 円は頷いた。辺りをはばかるように見回してから、声を小さく潜めて言う。 「あのね……勇弘くんは、まだ――」 そこで言葉が途切れる。見ると、彼女は美織の肩越しに、きょとんとしたような視線を向けていた。それを追って振り向く。 玄関の前に、ぽつんと小さな影が立っていた。 赤と白が互い違いになった、いわゆる市松模様の着物。どこかの少女並みの無表情に、明らかに伸びすぎたおかっぱ頭。奇妙な風体の市松人形が、静かに二人を見つめているのだ。 「……? 人形……?」 「あっ」 円は訝しげに呟いた。そんなところに置いてあったっけ、という疑問をはらんだ、至極普通の反応である。美織はてけてけと市松人形に駆け寄り、しばしあれこれと逡巡した後、毬を地面の上に置いて、紙箱と一緒に人形を抱え込んだ。 「お人形さんー!」 「あっははははは、美織ちゃんかわいぃ〜! それ、美織ちゃんのお人形さんなんだ?」 「う? ううん〜」 「え、違うの? ……ふぅん? ま……いっか」 立ち上がり、円は膝小僧をぱんぱんと払った。言いかけた質問もどうでもよくなったのか、踵を返してひらひらと手を振る。 「じゃあ、またね! その箱、ちゃんと渡しておいてね〜!」 「うん、わかったー! ばいば〜い!」 いい人だ、という単純な認識なのだろう、美織はぶんぶんと紙箱を振って見送った。中に折れやすい素麺が入っていることなど、完全に忘れ去っている。円は、格子状の門を閉め、自宅のほうへと歩き去っていった。 それでもしばらく、美織は素麺を恨むがごとく、致命的な振動を加え続けていたのだが。 『……はなちて』 「わぁっ!?」 間近からした突然の声に、びっくらこいて箱をすっぽ抜けさせてしまった。それは玄関の壁に当たり、ばたっと石畳に落下する――おそらく、内部は破滅的状況であろう。しかしそちらにはまったく構わず、美織はしげしげと人形を見やった。 その市松人形は堂々と振り返り、艶のない目で彼女のことをじっと睨みつけてきたのだ。 「び、びっくりしたぁ〜〜〜……よーかいさんだったの?」 びっくりしたぁ、で済ませてしまう辺り、どうにもなんとも美織である。 妖怪市松人形は、彼女の言葉にぷいとそっぽを向き、数歩だけ門のほうへ歩みを進めた。見た目はどうあれ、普通の人間とまるで変わらない、気味が悪いほど滑らかな動作である。 しかし、そこから動かない。しばらくそのまま観察していたが、ふと人形が何かを見つめているのだと気づき、美織は肩越しに覗き込んでみた。あ、と呟く。 「まりさん?」 無機物にさん付けはいかがなものであろうか――ともかく、彼女は人形の前にまわり、落ちていた手毬を拾い上げた。それに合わせて、人形も顔を上げる。やはり、興味の対象はこの毬のようだ。 美織はなんとなく、にっこ〜と笑った。 「これね、えっと。こーやるんだよ」 彼女は市松人形の前で、てんてんと毬をついてみせた。こういう時だけは勇弘の言いつけ通り、ちゃんと生け垣に背を向けることも忘れない。円のやり方を思い出し、聞き真似で歌なども唄ってみる。 「♪いーちぃ〜くにーじ〜さーしょりしーたけご〜お、むぅご」 これは一体、いかなる効果の呪文なのであろうか。 市松人形はいささかならず、彼女の『歌』に戦慄しているようだった。実際、小鳥程度なら容易く呪殺してしまえそうな、禍々しさすら漂う発音と抑揚である。忠実に再現できているつもりらしく、本人至って真剣な表情だ。それを『真剣に呪い殺そうとしている』という方向で受け止めてしまったものか、人形はじりじりと後ずさりをはじめた。 「あっ」 また毬があらぬ角度に跳ね、ころころと人形の足元に転がる。 一瞬、びびくんっと如実に引きつった様子ではあったが――美織が満面の笑顔で見つめているのを見、しばらくそのまま佇んだ後、そっと屈んで毬を拾い上げた。相変わらず無言で、少しの間じ〜っとそれを眺め回す。 美織が辛抱強く待っていると、市松人形はやおら嬉しげに口元を緩め、同じように毬つきをはじめた。 『♪いちちくニンチン、さんしょにしーたけ――』 人形のほうがまだ唄えている。 『♪ごぼう――あっ』 しかし歌はともかく、毬はすぐにイレギュラーして、今度は美織のところへ転がってきてしまった。あはははー、と軽い笑い声をあげて、それを拾う。 「しっぱいだね〜。でも、おうた上手だね!」 『……数え歌、ってゆーの』 どこかおずおずと、市松人形は言った。美織の手の中の毬を、身を乗り出すようにして見つめる。 『この、毬……』 「う? ……これ? なに?」 『これは……これは、マイちゃんの』 マイちゃん? と美織は首を傾げた。ありふれているが、聞き覚えのない名である。ひょっとして、この人形がそういう名前なのだろうか? |