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妖しの心 9
首を傾げる勇弘たちをよそに、彼女は美希に顔を向けて言った。 「美希様……あの夜をお忘れなきよう。妖怪と人間が初めて向き合った、あの会談をどうかお忘れなきよう。あの場にて交わした約束があるからこそ、あたくしどもは共にすんでいるのです。ろくろ首はじめ他のものたちも、大人しくしているではございませんか」 「そ、それは……そうですけど」 「美希様が考えていらっしゃるほど、妖怪は性悪ではございません……今日の市松然り、美希様に出会ったとて、何をするでもないのでございますよ。ですから――」 『勝手なことばっかぬかしてんじゃねぇよッ!』 突然の怒声は、勇弘の真後ろ斜め上という、実に微妙な角度から降ってきた。驚いて振り返り見上げた直後、早々と両目が半開きになる。 座敷の欄間に、紋付き袴の首吊り死体が、ぶらんぶらんと揺れていた――無論ただの死体ではなく、吊られている首がぐぃーんと伸びている。というか、その伸びた首でもって、自身を梁にぶら下げているようだ。 首の先端のチョンマゲ頭は、なにやら真っ赤に憤慨して、勇弘たちではなく鬼蜘蛛を睨みつけていた。 「ぎっ……ぎょーえぇぇぇぇぇッ!? し、したっ、い〜っ!? くびー!?」 「いや、リアクションいいのもほどほどにしとこうよ、母さん……地なんだろうけどさ。死体じゃなくて、ろくろ首だって」 『てめこの、冷静に説明すんなっ!? 相変わらず可愛くねぇガキだな!』 ぶら下がったまま顔を近づける、という彼ならではの芸当を見せながら、憎々しげにろくろ首が言う。ガキと言われて、そういえばろくろ首などは何年生きているのだろう、と勇弘は逆に小首を傾げた。 微笑を絶やさぬままで、鬼蜘蛛が言う。 「おや、ろくろ首……何用です?」 『何用です、ぢゃねぇ〜〜〜だろッ!? やい鬼蜘蛛、てめぇが人間に入れ込むのは勝手だがよ、俺らまでどうこうぬかすんじゃねぇ! どさくさ紛れに人間がここに住むことになっちまったのは、まぁ百歩譲るとしてもだ、俺ぁ大人しくしてる気なんざさらさらねぇかんなっ!』 「大人しくするしないはいいとしても……またどうして、そんなところにぶら下がってるんだね? 新技かね?」 興味深そうに眺めながら、正弘。何の技だよ、という勇弘のツッコみはともかく、ろくろ首は微妙にバツの悪そうな顔をした。黙ってコメントを待っていると、何も言わずに顔を背ける。 『そ、そいつはどうでもいいとして、アレだ。俺たちがいつまでものんきにやってると思ってたら、大間違いだってことよ! 鳴屋をちらっと手懐けたくらいで、いい気になってんじゃねぇぞ』 「手懐けた、って……」 「懐いてくれてるなら、父さんにも一回くらい姿を見せてくれてもいいのにな」 『俺ぁ諦めねぇぞ! 絶対てめーらを追い出してやっからな、この妖刀「迷佞主」にかけても!』 「まだ、そんなことを……ろくろ首、あなたもいい加減、落ち着きなさいな」 呆れた口調で言う鬼蜘蛛に、彼は宙づりのままじたばたと手足を振り回した。気合いの入りようはわかるが、どうも色々と空回っているようである。 『うるせぇ! こうなりゃ初心に還るのみだ。出てこいてめぇらぁー!』 ふわっ、と生暖かい風が吹く。 たちまち大勢の妖怪たちが、座敷二間を埋め尽く――しは、しなかった。現れた妖怪は、両手の指で足りてしまう程度の数だったのである。髪の毛をいじっている二口濡れ女に、反物のように体を巻いた一反木綿。一つ目小僧と枕返しは将棋盤を囲んでいるし、壁際では目競と目目連がにらめっこ勝負をしていたりもする。 なんとも緊張感のない登場であった。 髪型のセットに精を出していた濡れ女が、つとろくろ首に顔を向けて首を傾げる。 『あら、何? どうしたのぉ、愉快なカッコしてぇ』 『ちゅーか無様やな』 『うるっせぇっ!? なんだてめーら、なんでこんだけしか出てこねぇんだよ!?』 『ヤだなぁ、前も言ったじゃないですか。みんなもうやる気ないですよ、って……はい、王手』 ぱちりと一手進めつつ、一つ目小僧も言う。なかなか足並みが揃わない様子である。知らない間に、妖怪内部でも色々ごたごたがあったようだ。 「まぁ、前からこんなだった気もしないでもないけど……」 呟き、勇弘はぐるりと見回した。 ぐだぐだと仲間に文句を垂れるろくろ首や、それを心底嬉しそうな顔で眺める正弘を見ていると、もうずっと昔からこんなことばかりを繰り返してきたようにも思える。この屋敷に越してきてから、まだ一ヶ月も経っていないのだが――不思議なものである。人外の喧噪にも、物理法則の無理っぷりにも、人間は慣れることができるらしい。 「勇弘様」 振り向けば、鬼蜘蛛である。ろくろ首は既にどうでもいいのか、柔和な笑みですぐ傍に寄ってきている。彼女はそのまま、すいっと勇弘の耳元に顔を近づけて、 「また、あたくしのナカにご興味が沸きましたなら……いつでもいらしてくださいませね」 ひやりとする吐息で首筋をくすぐり、鬼蜘蛛は静かに離れていった。そちらも見ずにぶんぶか首を横に振る彼を、美希が半分怯えて半分怪訝そうな、器用な目で眺めている。 (妖怪……わっかんねぇや、マジで) もう書斎で本を読むのはやめよう、と密かに思う勇弘であった。 『ねぇ、長』 見慣れない夜の庭を眺めつつ、市松人形は呟いた。 人間たちがやってきてから、この庭の夜は少し変わった。空の色を素直に受け入れていた頃と違い、暗くなってもしばらくの間は、人工の光に当たることが最近の常となっている。そういう時の庭はどこか白々しく、まるで妖怪のものだった夜の時間を人間に切り取られてしまったような、漠然とした不安すら誘った。 縁の下の柱のひとつに、小さな背中をもたせかけ、市松人形はぼんやりとツツジの茂みを見やった。蛍光灯に照らされた叢の上で、座敷にいる人間や妖怪の影が、行きつ戻りつ踊っている。 隣に寝転がっている、ピンク色の洋服を着た少女に、彼女はもう一度声をかけた。 『ねぇ、長』 「なに」 抑揚のない返答。一瞬遅れて、なにやら座敷で怒鳴り声があがった。内容まで知ろうとは思わないが、どうせまた仲間たちがバカをやっているのだろう。 『……ろくろ首も、ほんとはこあいくせに。ねぇ、長』 「いいんじゃないの。好きでやってるんでしょ」 呆れるほどまんまるな月を見上げたまま、縁の下の女の子が応える――ちらりと横目で彼女を見、市松は小首を傾げた。長の無関心にはもう慣れたが、一体何を考えているのか、やはり時折疑問に思うのである。 |