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或いは作為 11
考観寺は街中の、駅からもさほど遠くない場所にあったのだが、まっすぐ家まで帰れるほど詳しく知っている地域ではなかった。一旦駅前に戻ってきて、そのまま家路に就く。カラオケ屋のバイトを確かめる気には、今は到底なりようもない。 屋敷に帰り着いた頃には、空ははや茜色に染まっていた。 「美織は大人しくしてるかね……と」 呟きながら門の鍵を開ける。誰かいるだろうと思っていたが、美希もまだ帰ってきていないようだ。 玄関の戸に手をかけて、ふと動きを止める。 胸中に何かがわだかまっていた。この屋敷の中には、妖怪が――もう随分見慣れた連中がいる。また嫌がらせの手段でも考えているのだろうか。最近はなかなか大人しいが、嵐の前の静けさという気がしてならない。 嵐―― 「……殺されるわよ、ってか」 馬鹿馬鹿しい、と首を振る。そんなことができる連中なら、自分たちはとっくに寝首を掻かれているだろう。必要悪だの、凶暴だの、およそ似つかわしくない。不必要娯楽に臆病とでもいったところである。人を殺すなど、有り得ない話だ。 カラカラと戸を引き開ける。 途端、 『お』 「……っう」 板間で車座に座り込む、妖怪の一団とバッチリかち合った。 四、五人ほどの少人数――ろくろ首に一反木綿、一つ目小僧など、お馴染みの連中ばかりである。あぐらをかいたりふよふよ浮かんだりと、何やら話し込んでいる様子だったが。こんなタイミングで出てこられると、さすがに少々驚いてしまう。 「な……何やってんだ?」 『ちっ、帰ってきやが――うっ? ぅう、うわ、うわああああああっ!?』 突然ろくろ首が叫び、紋付き袴の裾をまくって、びよーんと奥のほうへ跳び退った。 あん? と眉をひそめる間に、がたがたと他の連中も色めき立つ。一つ目小僧が勇弘を指さし、大きな頭をぶるぶる震えさせて言った。 『そ、それは……それはっ! どうしてそんなー!?』 『ついに、こ、行動に、出た! ころ、殺される。みんな、逃げろ!』 『いやぁ〜〜〜っ!』 『えらいこっちゃぁ〜!』 声をかける暇もない。 どたどたばたばたと、廊下を駆け去ったり二階へ飛んでいったり、はたまた壁を突き抜けたりして、妖怪たちは消えていった。ただ一人、逃げおくれたのか腰が抜けたのか、ろくろ首だけが壁際に座り込んでいる。彼の表情も、あからさまな緊張に引きつっていた。 「おい……何なんだよ、いきなり?」 『く、くんなっ! 畜生てめぇ、卑怯だぞ!? 寄るんじゃねぇ、こらー!?』 一歩も近付いていないのだが、座ったまま両手を振り回す。ここまでくると誹謗中傷である。 さすがに少々ムッとして、勇弘は後ろ手に玄関を閉めた。靴を脱いで、板間に上がり込む。何を過剰に怖がっているのか知らないが、そんなに近付いてほしくないなら逆に近付いてやろうじゃないか――彼もなかなか、いい性格になってきたものである。 壁にすがって立ち上がり、ろくろ首は必死な様子でこちらを睨んできた。 『こ……こんにゃろうっ』 「な!?」 シュリッ、と鞘が鳴る。 ろくろ首が腰に佩いた日本刀を抜き、ガタガタ震えながら構えたのだ。彼が抜刀したところなど初めて見た――のはいいとして、さすがに勇弘も後ずさる。 「お、おい……何すんだよ。どういうつもりだ!?」 『そりゃこっちの台詞だぁ! い、いいかてめぇ。そんなもんでどつかれたら俺は死ぬ。俺は死ぬぞ!? てめーにそこまでする度胸あんのか畜生!?』 「いやだから、何の話だよ……なんでみんな逃げたんだ? 怖がるにも程が――あ」 口をつぐんで目を逸らす。 鬼蜘蛛以外の妖怪に、人間を怖がるうんぬんと言うのはきっと得策ではないのだ。特にこのろくろ首は、妖怪たちのまとめ役を自負しているらしく、プライドが高い。今完全に逃げてしまわないのも、そこの辺りに起因しているのかもしれなかった。 しかし、怖がられる理由がわからない。試しにまた一歩近付いてみると、彼はいよいよ切羽詰まった様子で、ばびーんと首を伸ばしてくれた。相当動揺しているようだ。 『こっちくんな、っつってんだろーがよぉ!? 何なんだてめぇ、ぁわかったぞこんちくしょ!? お試し期間ってのはこのためかー!? あのジジイとつるんで俺たちをハメやがったんだな、ぃいぃいい度胸してるぢゃねぇかぁ!』 「わけわかんねー上にうるせーよ! 怒鳴ってないで説明してくれ。俺の一体何が――」 『やってやるぅぅぅナメてんなよこらぁぁぁ!? よっく聞きやがれこの安本丹が! 俺様が、俺様がこの妖刀羽星を抜いたらなぁ、そんなもん持ってたって――』 「お静かになさいな」 穏やかに場を制す女性の声。 音もなく、というか気取らせもせず書斎のドアが開いており、着物姿の女が立っていた――相も変わらぬ昏い双眸。意思の読めない薄ら笑み。存在感がすなわち妖気であり、たった一目で怪異とわかる。 勇弘は少なからずドキリとした。緋梨の言葉が脳裏に甦る。 ――もう何百人も人間を殺しているわ 「長がお呼びでしたわよ、ろくろ首」 のどかな仕草で中庭のほうを示し、鬼蜘蛛はゆっくりと歩み出てきた。へっ? とろくろ首が伸ばした首を元に戻す。 『お……長が? なに、ど、どういうこってい』 「さぁ、存じません……刀を納めて、早くお行きなさいな」 『お、おうっ』 さすがに波風立てる余裕はないらしく、すたこらと廊下を去ってゆく。 その背が見えなくなってから、勇弘は小さく呟いた。 「……何なんですかね?」 「勇弘様、護符をお持ちでございましょう?」 ごふ? と首を傾げたところで思い出す。 緋梨から受け取った、現物支給の御札――突き返したつもりでポケットに入れ、そのまま持ち帰ってしまっていたのだ。ビリビリと破いてしまう彼に、鬼蜘蛛はホホホと笑い声をあげた。 「あの者たちは頑丈でございます故、ひとつふたつ打たれたところで死になどしませんわ……小心が過ぎて、余計に騒いでいるだけでございます。お気になさらぬよう」 「はぁ……やっぱ、これって当たると痛いんですか?」 「左様でございますね。慣れない者には、多少とも堪えるでしょう……不躾ながら、勇弘様はどちらでこのような物を……?」 「あ、いや」 今日また例の連中と会っちゃって、と説明しながら、勇弘はちらちらと彼女の顔を盗み見た。別に堂々と見ればいいものだが、どうしてか咎められるように思える。 眉根を開き、まぶたを落とし、口元を曲げる特異な表情――見慣れてしまえばどうということはなく、姿形は極めて美しい。麗妖と表すに相応しい妖怪である。彼女が過去、大勢の人間をその手にかけたなどと、まったく一欠片とも信じるつもりはない。 つもりはないが、しかし。 「……あの、鬼蜘蛛さん」 「なんでございましょう」 「鬼蜘蛛さんって……その……おりやど、っていうんですか?」 ふ、と鬼蜘蛛は顔色を変えた。真っ黒い瞳をいつもより余分に見せ、いわゆる『きょとんとした』様子で勇弘を見る――様々な意味で緊張してしまう表情である。 直後、彼女はにっこりと笑んで頷いた。 「左様でございます……昔の名ですわ。さすが勇弘様、よくお調べになってくださいました」 「や、まぁ……自分で調べたわけではないんですけど。でも、そうなんですね」 「ええ。つい五十年ほど前までは、そのようにばかり呼ばれておりました……あたくしだけでなく、妖怪は皆、自らの生まれた地や縄張りとしていた場所の名をつけて呼ばれるものですのよ」 そういうことか、と納得する。折谷戸という土地に聞き覚えはないが、思えば長もそう呼んでいた気がした。ろくろ首や濡れ女にも二つ名のようについていたのは、当たり前のことだったようだ。 ですけれども、と鬼蜘蛛は続けた。また妖気ふんぷんたる顔つきに戻っている。 「申し訳ありませんが、あたくし以外の者には、そうと知っても呼ばないでやっていただけませんでしょうか……」 「はぁ……どうしてです?」 「この屋敷に棲む者たちは、皆もとの棲処を捨てた者ばかりなのです」 ――あの狭い敷地に、少なくとも五十の妖怪が棲みついている また緋梨の言葉が思い出される。棲処とは、つまり縄張りのことだろう。特別も特別、とはこういうことか――と勇弘は自分なりに納得した。 「かつて棲まっていた場所の名で呼ばれるのが、辛いと申す者もおります。あたくしは気にしませんが、たとえば北城など……事情は存じませんが、大層嫌がりますわ」 「きたしろ?」 「黒い猫叉でございます」 どうかご配慮くださいませ、と一礼して、彼女は踵を返した。淑やかな、まるで上品を体現しているかのような足取りで、書斎に戻ってゆく。とても妖怪とは思えない、というと妖怪に対する差別になるのだろうか。 「鬼蜘蛛さん」 とっさに、勇弘は呼び止めていた。 何を考えたわけでもない。声が勝手に出ていったような具合であった。失態といえるかもしれないが、無論相手にとっては関係ないことだ。 歩みを止め、鬼蜘蛛が振り向き微笑んでいる。 「なんでございましょう」 「……その――」 本当に人を殺したのですか。 本当に何百人も殺したのですか。 そう訊きたかったに違いない。勇弘自身は間違いなく、そう問い掛けようとしていた。それが信用なのか、懐疑なのか。興味なのか、恐怖なのか。まったく検分することなく声をかけ、そしてたった今検分したからこそ、 「――美織は、どうしてます?」 問いを変えた。 とても訊けなかった。 「美織様なら、二階でお休みになっておられます。遊び疲れたのでしょう……北城と戸野が見ておりますわ」 「との? って?」 「以津真天でございます」 「……なるほど。すいません、どうも」 深々と腰を折る彼女の姿を、自動的に閉じたドアが隠す。 西日もだいぶ傾いてきたのだろう、板の間は薄闇に包まれていた。天井と壁の境目を、さわさわと目目連がうろついている。こんな不気味な光景にもまったく動じなくなった自分を、果たして過去の自分はどう思うだろうか。 人を殺したかもしれない妖怪と、これからも暮らしてゆくことを――こうも曖昧に、気分次第でいじくることしかできない自分を。果たして、どう思うのだろうか。 「不幸な人間、ね……自業自得じゃないか」 呟いて、勇弘は階段に向かった。美希か正弘が帰ってきたのだろう、門の開く音が聞こえたが、不義理にも出迎えることはしない。 今はともかく、年の離れた妹の、無邪気な寝顔を確かめたかった。 |