或いは作為 3


 円旋風が去り、勇弘は美織の昼食を用意した。
 彼女はもう大人並みに食べるので、ひやむぎを二束ほど湯がいてやる。一緒に食べるつもりだったが、少々意図するところあって、一人分だけを器に盛った。何も疑わず、ぢゅるぢゅると嬉しげに食べる妹を眺めながら、もらったばかりのリンゴを剥いてやる――あまり旨くもなさそうに、それでも付き合いでおこぼれにあずかる黒い猫叉が、なんともいえずシュールだった。
 多少は料理にも慣れてきていたが、やはり刃物の扱いはまだまだである。リンゴの皮はひとつに繋がらず、ぶつぶつと不細工に途切れてしまっていた。
(この包丁がつくも神化とかしたら、ひょっとして楽かな〜……なんて)
 思った直後に激しく自己嫌悪する純情な少年である。こんな状況にもすっかり慣れた、と前向きに捉えればいいのだが、なかなかそうはいかないらしい。難しいお年頃なのだった。
 後片づけまでしっかりと終え、出掛けてくると美織に告げる。妖鳥以津真天に新しい歌を教えているらしい彼女は、小さな胸をがんばって反らしつつ上手なお留守番を約束した。あんまり信用はできなかったが、いつものように遊んでいるだけなら大丈夫だろう。しっかりしてそうな黒猫もいることだし。妖怪に妹を任せたなどと知れたら、美希がまたものすごい顔をしそうだが――まぁ、些細なことだ。多分。


 と、いうわけで。
「チーズバーガーのセット。ポテトと、烏龍……いや、オレンジジュースで」
 駅前のファストフード店にて、勇弘は割とほくほくと、ジャンクなメニューを注文したのだった。
 ポケットの中にあった五百円少々。無論、駅前へはバイトを探しにやって来たのだが、今日はたまたま休日であったらしい。久々の活気にあてられて、つい昔に戻った気分であちこち散策してしまった――というか、それほど昔の話であるはずもないのだが。
(こういうことに金や時間使うの、やたら久しぶりな気がするよ……)
 安い幸せが心に沁みる。無造作に並べられる適当な食い物が、贅を尽くした王族の食卓に思えてきた、というと大袈裟か。
 円に聞いためぼしいバイト場所は、既にあらかた回ってみた。
 今のところ、大きなチェーン書店の影に隠れるようにして営業している、小さな古本屋が第一候補である。流行りのマンガから専門書まで、中途半端に色々扱っているようで――バイトを雇う余裕があるのか、疑問なくらいの店構えだったが。それは雇われる側が気にすることではない。
 妖怪関連の書籍を読むようになった所為か、勇弘自身、なかなか活字に慣れてきていることもある。物はついで、とマンガ週刊誌をぱらぱらめくってみたものの、最後に読んだのが随分前なため、さっぱり内容がわからなかった。
 いつも忙しそうだというコンビニは、確かに駐車場が車で埋まっていた。貼り紙を確認してみたが、情報の通りバイト募集などは行われていない。今日び珍しい話であるが、働き口がないのでは仕方なかった。ガソリンスタンドは残念ながら高校生のアルバイト不可。カラオケ屋のチェックだけ後回しにして、昼食を兼ねたファストフードへとやってきているのが現在である。
 お待たせしましたー、と営業スマイルを浮かべる店員からトレイを受け取り、席を探して二階へと向かう。長期休暇中の休日とあって、予想を上回る混み具合だった。三階にまで足を運び、ようやく窓際の隅に一人分の空きを見つける。
「すいません、ここ空いてますか?」
「ええ、どうぞ!」
 隣席の女の子に声をかけると、実に愛想良く応えてくれた。トレイを置いて腰を下ろし、時計に目をやり、やれやれと息をついて――はた、と気づく。
 今の声、は?
「……ひっ!?」
 ガタッ、と椅子から落ちそうになる。
 真横の席にちょこんと座り、てりやきバーガーを頬張っていたのは、黒髪黒目モノクロ衣装――無彩色一点張りのファッションに身を包んだ、いつぞやの暴走除霊娘であった。あまりに突然で、本来とるべき(だと思われる)回避行動すら頭に浮かんでこない。というか、どうも様子が変だ。
 少女は、にこにこと笑っていた。
 人付き合いのマニュアルに載っていそうな、明るく嫌味のない笑顔。ウィンドウウォールから望む街並みを、なんともご機嫌な様子で眺めているのだ。きらきらと、むしろぴかぴかと。どう表現するべきかも定かでないほど、可愛らしくえくぼを作っている。
 勇弘は椅子に座り直し、そして改めて身を退いた。壁際なので逃げ場はないが、それにしたって異常事態である。彼女――安藤緋梨とは、ほんの二度ほどしか会ったことはない。だがその短い遭遇で得たイメージは、冷徹で頑迷で一方的。ほよよんとした幼げな見た目からは到底かけ離れた、最悪な印象しかなかった。
 のであるが、
「あ……安、藤……?」
「はい、なんですかっ?」
 実に愛想良く小首を傾げてくれる。
 応えたということは本人である。一体何があったというのか。死者を見定める閻魔のような瞳で勇弘を罵倒した、あのムカつく少女はどこへ行ってしまったのだろう?
(いや、やっぱり別人、なのかも……?)
 食事に手もつけず、『現実的な』可能性を考える。思えば、安藤と呼びかけただけなのである。最も王道なパターンとしては、名字だけ同じ別の人、つまりは妹とか姉とか。そういういかにもなオチが待っているに違いない。
 はくっはくっとバーガーにかぶりつき、美味しそうに平らげてしまう安藤なんとかさんに向かって、勇弘はおずおずと話しかけてみた――もう少し冷静であったならば、きっと平和なうちに立ち去る賢明を選んだのだろうけれど。
「あ、あのー。ひょっとして、緋梨……さんの、知り合い? てか身内?」
「何を言ってるの……?」
「ぅおあッ!?」
 仰け反った拍子に後頭部を打つ。
 ナイフよろしくマドラーを突きつけ、少女がじっとりと睨みつけていた。たった今まで浮かんでいた、小学生のような底抜けた笑みはどこにも見当たらない。乾いた黒瞳を半眼に保ち、指についたソースを舐め取りながら、じりっと間合いを詰めてくる。
「食事中の隙を狙うとはね……まったく、やってくれるじゃない。そこらの妖怪には思いつけもしない、まさに外道ってやつね……」
「お……お、おま。お、えぇ!? 今、わらっ……笑顔は!?」
「週に一度のモクドナルド……機嫌良く没頭して当然でしょう? それを邪魔するなんて、いい度胸じゃない。今日は遠峰さんに守ってもらわないのかしら」
 脅すような、いやきっぱりと脅しのための発音で告げる。間違いない。
 安藤緋梨その人である。
 一変した存在感に圧されるように、壁際まで後退させられてしまう。椅子から落ちそうになりながら、勇弘は脳内を整理した。落ち着こうと、また落ち着かせようと、両手をあげてゆっくりと喋る。
「ま、待て。たまたまだ、話を聞け! てゆーかなんで、お前はそんないちいち好戦的なんだよ?」
「あなたが危険な妖怪の一味だからよ。こんなところまで出てくるなんて、一体どういう腹づもりなの……? ともかく、表へ出てもらおうかしら」
「チンピラかお前は!?」
 なにやらムッときたらしく、緋梨はいよいよ身体の正面を向け、フェンシングのようにマドラーを突き出してきた。得体の知れないプレッシャーである。助けを求めようかと思ったが、周りの誰も気にした様子はない。ひょっとして兄妹か、悪くすれば恋人同士の痴話ゲンカなどと思われているのかもしれなかった。
 こんなところで目立ちたくはない。なんとかしなくては――
「いい加減観念なさい。目的は何なの……? あそこの妖怪たちを従えて、この地区全域を牛耳るつもり?」
「なんでそんなことしなきゃならないんだよ……バイトを探しに来ただけだっての!」
「……アルバイト……? そんなことで、わたしの楽しいモックタイムを邪魔してくれたの!?」
「モックタイムってなんだお前!? 楽しみにしすぎだろ……てゆーか、そっちは何やってんだ? 妖怪でもいるのかよ、こんなトコに?」
 見回りのついでよ、と呟いて、緋梨はようやくマドラーをトレイに戻した。ほっと息をつく彼に、なお油断なく視線を向けたまま言う。
「わたしたちは常に警戒しているの。特に、このあたり一帯は九臥の方風地……少しでも気を抜くと、有象無象の妖怪たちが流れこんでくるんだから」
「……? くがの……なんだって?」
「……とぼけるなんて、生意気じゃない。あの妖怪たちを手懐けたクセに、この程度の知識ないわけがないでしょ」
 いえ全然懐いちゃいないんですが、とはなんとなく言い出せない勇弘である。美織に対して言うのならわかるが。しかしどうでもよいのか――というより、本気で手懐けていると思っているのだろう――、彼女はずずーとアイスコーヒーをすすって続けた。
「あの狭い敷地に、少なくとも五十の妖怪が棲みついている……折谷戸の蜘蛛一族。任海のろくろ首。酒田の濡れ女に、住吉の二口……あいつらを使って、何をするつもり? あら、こんなところにチーズバーガーが」
「っておいコラ、何すんだよ!? それは俺が! なけなしの金で!」
 言いながらも行動で止めに入れない、かわいい性格の勇弘である。
 奪ったバーガーの包装紙を剥きながら、緋梨はにやりと笑みを浮かべた――自分はなんでも知っている、とでも言いたげな、皮肉げな笑顔。どことなく、円のあの笑みと通じるような、いやらしい笑い方である。実はこの二人、近親憎悪なのかもしれない。