或いは作為 4


 ともあれ、
「折谷戸の鬼蜘蛛などに関しては、明らかな記録も残っているのよ」
「おりやど……鬼蜘蛛さん……?」
 その言葉には興味を惹かれ、勇弘は今日初めて緋梨の顔を正面から見た。鬼蜘蛛だのろくろ首だの、およそこの場に似つかわしくない単語ばかりではあるが。
「二百年以上も生きている、強力な妖怪。千とも万ともつかない蜘蛛を一族として、遠江から北方を荒らし回った、と当時の中央文献にまで記されているわ。なぜかその群は自然消滅したらしいけど……そんな妖怪が、なぜあなたの家でぼけーっと暮らしているのかしら?」
「……な……なんでなんだ?」
「うんっ、わかんない! おいしいねーっ」
「うわあ!?」
 ぱくり、とチーズバーガーを囓るや否や表情が一転、口調も豹変する――豹というには猫撫でに過ぎ、違和感の塊でしかないような笑顔だったが。
 またもや滑り落ちかけた尻を椅子の上に戻しながら、勇弘は悪い意味でドキドキしつつ言った。
「お、お前……何なんだ? そんなに好きなのか、ハンバーガー」
「ええ、大好きよ? 毎週必ず食べてるわ、てりやきバーガーは最高ね! わたしの人生そのものよ!」
「うぅ……なんでここらの住民はみんな、喋れば喋るほどおかしくなってく連中ばっかりなんだ……?」
 ため息とともに、ひょいっとバーガーを取り返す。瞬間。
 バオ、とものすごい音を立てて右のフックが空を裂いた。指をカギ型に構えた緋梨が、垂れ目をギラつかせて勇弘を睨む――彼の常人離れした反射速度がなければ、手首ごと持っていかれたのではと思われるような一撃だった。
「……何をするのよ」
「いやいやいや! 何するって、これ俺のだろ!? 勝手に食っといてそっちが何言ってんだ!」
「くれたんじゃなかったの?」
「誰がやるか!」
 心の狭い男、などと呟いてコーヒーを飲み干す彼女。殺意とかいう感情にも似たどす黒いトキメキを覚えつつ、勇弘は半分ほどしか残っていないパンをかじった。あまり美味しくなかったが、店が悪いのではないはずだ。
 安藤緋梨は足を組み、テーブルに肘をついて半眼で見つめてきた。中学生が授業中に居眠りしかけているようなビジュアルだが、この不気味な貫禄は何なのだろう――黙って食べ続けていたかったが、そうは向こうがさせてくれなかった。
「それにしても、笑わせてくれるじゃない……あの屋敷の住人がバイトなんてね。社会復帰でも試みるつもりかしら?」
「よくそこまで言えるな……。俺だって、できるならもっとマシなとこ住みたいさ」
「へぇ? ……ふぅん?」
 バカにしているのかと思って睨んだが、彼女は存外にきょとんとしていた。まったく予想だにしていなかった、とでも言いたげな様子に眉根を開いている。
 それはそれで腹が立ったので、お返しとばかりに言いたいことを並べた。
「俺は、あんたが猛烈に誤解してるみたいに、妖怪に会いたくてあの家に住んでるわけでもなんでもないからな。たまたま引っ越すことになった屋敷に、妖怪の軍団が棲みついてた。それだけなんだから」
「……また、そんな見え透いたことを。誰が好きこのんで、あんなところに――」
「仕方なく、とかって言葉はあんたの辞書にゃないのか? うちは貧乏なんだよ、家賃三万円がこの上もなくありがたく思えるくらいに! 妖怪なんてものがほんとにいて、しかもあそこに棲んでるなんて……全然知らなかったし」
 一部適当及び嘘である。正弘は妖怪屋敷であることを知っていたし、今は間違いなく会いたいがために住んでいる。妖怪は棲みついていただけではないし、自分たちも引っ越してきただけではない。
 そこの辺りの紆余曲折は、たとえ頼まれたとしても説明するつもりはなかったが。
「だったらどうして出て行かないの?」
「……いや、だから――」
「いいえ、別に出て行かなくてもいいわ」
 緋梨の細い眉が片方、ぴんっと高く跳ね上がった。
「妖怪とすむことを望んでいないなら、わたしを屋敷に入れてくれればいい」
「……へ?」
「邪魔さえしないでくれればいいの。わたしたちの仕事をね? 安藤一家に任せてくれれば、おうちに棲んでる妖怪たちを根絶やしにしてあげるわよ……もちろん、タダでね」
 す、と彼女が手首を回すと、まるで手品のように御札が現れた。黒と朱の墨で禍々しく彩られた、いかにもなデザインの代物である。ずらりと扇状に広げて構え、不敵に口元を歪めたりする。
 さすがに勇弘も頬を引きつらせた――彼女がどうというわけではなく、こちらを見ていた客たちがギョッと身を退いたのが見えたのだ。無理もないことだが、自分までこんなのの仲間と思われては困る。
「あ……あのな、安藤。おま、もーちょっと周りを――」
「元々、わたしたちはそのために来たのよ……見過ごすわけにはいかないの。保守的なくせに事なかれ主義な本家には、もううんざり。我慢も限界なのよ……!」
 ぼっ、と垂れ目に仄暗い炎が灯る。恨みや辛みを塗り固めたような表情が、どんよりした瞳と見事にコラボしていた。人の話を聞かない程度には、何やら色々あるらしい。
 勇弘はあえてコメントを重ねず、冷めかけたチーズバーガーを口に押し込んだ。
「安藤の本義は、妖異駆逐。この世にあらざる化け物を倒してこそ、初めて存在価値が生まれるの。日和見なんて絶対に許されないわ。わかる?」
「ふーん」
「あの屋敷には黒布が集まりすぎてる。極めて危険かつ、好都合な状況なのよ。それがエラい人たちにはわからないってあらどこへ行くの? せっかくお話してあげてるのに」
「……頼んでねぇっての」
 トレイを持って立ち上がった彼の袖を、緋梨の指先がつまんだ。周囲に変な勘繰りをさせないよう、なんとか平和的に振り払おうとする――結果、よりしっかりと腕を掴まれてしまった。地味に藪蛇である。
「なんだよ。もう構わないでくれ、俺はバイト探しに行くんだよ。お前らのいないどこかで幸せになりたいんだよ」
「嫌われたものね……。まぁ、話を聞きなさいよ。あなたが妖怪に取り憑かれてないっていうなら、こちらも態度を改めないとね」
「はぁ……?」
「お友達になりましょうってことよ。なんなら、アルバイトくらい紹介してあげてもいいのよ?」
 冗談はよせ、という意味合いをふんだんに込めて鼻を鳴らし、勇弘は無理矢理前へ進んだ。なぜか緋梨も立ち上がり、にやにや笑いながらついてくる。
「いい話だと思わない? 家から妖怪はいなくなる、アルバイトできてお金は入る。わたしだって騒がれるのは嫌だもの。It's the best condition。違う?」
 妙に流麗な英語の発音に、というわけでもなかったが――階段の途中で足を止め、小柄な相手を見上げて言う。
「別に、そこまでどうこうって考えてるわけでもない。構わないでくれって言ってるだろ……それに、お前のガッコ、バイト禁止されてるって聞いたぞ」
「それができるのよね。日当なんと、二万円」
 ぴくっ
 露骨な心の揺らめきが、そのまま顔に出てしまったのだろうか。緋梨は笑みをさらに深め、きっぱりと断言した。
「妖怪は滅して然るべき。そのために、さ、ついてきなさい?」