或いは作為 5


 ごーん……


 と重々しく鐘が鳴る。
 一度。間隔を置いてもう一度。つまり今は二時ということか。
 勇弘は頬を引きつらせ、コンクリート作りの門を見上げた――石を積み重ねたような、ペイント。滑らかなセメントの表面に、石垣の絵が描いてあるのだ。色までしっかりとつけられていて、近寄らないと偽物と気づけない。
 茶色い門柱もやはり絵で、ご丁寧に木目まで描き込んであった。観音開きの門は開け放たれているが、目を凝らすと蝶番までが詳細でリアルで立体的な絵だった。むやみに感心を誘うが、意味がわからない。一体どうやって開閉しているのだ?
 さながら要塞のようなその建物の、大きく突き出したひさしの下。これだけは本物の木なのだろう、大きな額に『考観寺』と彫りこまれているのが見て取れた――考観、寺。つまりこの威圧感たっぷりの門構えは、お寺のものであるということか。柱のそばに停められたママチャリが、なんだかやたらと場違いだった。
「何なんだ、こりゃ……?」
「わたしの家よ」
 そう聞いた瞬間、勇弘は踵を返した。
 嫌な予感がしていなかったわけではない。コウカンジ、という音にも聞き覚えがあったし、何よりここまで引っ張ってこられた時点で予測もつこうというものだ。なので、緋梨がまた服の袖をつまんできても、ぶんぶんと振り払って来た道を戻る。
「ちょっと、待ちなさい。どこへ行くのよ?」
「駅前に、いや家に戻る。妹を残してきたからな、無駄な時間は過ごしたくないんだ」
「無駄? なにが? せっかくアルバイト紹介して、探す手間を省いてあげるのに」
「こんなもん――」
 怪しすぎてやってられるか、と言い返そうとした折り。たんッ、と軽いが力強い音が聞こえた。振り返る暇もなく、頭上すれすれを凄まじい速度で風が吹き抜けてゆくのを感じる。
 そして、眼前に緋梨が着地した。不愉快そうに眉根を寄せ、何事もなさげに腰に手を当てる。
「好意を無視してかかるのは、人として最低のことじゃないかしら。話くらいは聞いたっていいでしょう?」
「……ええと。安藤さん。ぼくは身長が百七十五あります」
「百八十までなら跳べるもの。五センチも低いじゃない」
 冗談ではない。
 再び身を翻し、勇弘は一目散に駆け出した。全力疾走である。こんな化け物とは一刻も早く、少しでも距離を置かなければ。あたかも人間のように振る舞っているが、こいつは本当に妖怪なのではないか?
 などと思いながらふと横を見ると、足音もさせずに緋梨が走っていた。面白くもなさそうな半眼で、あっさり彼に追随している。
 堪えていた何かがどうでもよくなり、勇弘は足を止めて悲鳴をあげた。
「うわあああ〜〜〜〜〜ッ!?」
「……忙しい人ね。走ったり止まったり怒ったり泣いたり」
「泣いてねぇし!?」
 しかしこれから泣きそうな表情で、彼は膝頭に両手をついた。息が切れたわけではない。生きる気力はエンプティ寸前だったが。
「何なんだ……何なんだ、お前。アレじゃなかったのか、足は遠峰よりちょっと速いくらいじゃなかったのか……?」
「……あぁ。あの時はまぁ、そんなに差を付けても悪いと思ったから。なんであなたがそんなこと知ってるのかは、別に訊く気もないけどね」
 言いながら勇弘の手首をとり、ぐいぐいと寺の中へひっぱってゆく。なんだかどっと疲れた気がして、されるがままに連れ込まれてしまった。力無く呻き、顔をあげて見回す。
 砦のようなコンクリートウォールの内側は、思いがけずというべきか、至って普通の様子だった。礫石の敷き詰められた庭はかなり広く、ちょっとした児童公園ほどもある。壁に沿った植木はきれいに剪定され、外観の異様さを匂わせもしなかった。庭の真ん中にある古めかしい井戸には、いかにもそれらしい立て札がつけられ、ものの謂れなど解説している。正面の本殿は相当に大きく、重厚な様相が貫禄を感じさせた。決してヘビーなプレッシャーではない。
 こんな大きな寺があったのか、とさすがに少々驚いてしまう。あ、と緋梨が小さな声をあげた。
「田中さん。こんにちは」
「あら緋梨ちゃん、こんにちは」
 お参りしていたらしい主婦が振り向き、にっこりと笑顔を浮かべた。ぱたぱたと、まさにオバさんといった感じの気忙しさで駆け寄り、本殿の向こう側を示す。
「また、お野菜持ってきたからね。和尚さんに渡しといたよ、食べておくれね!」
「いつもありがとうございます。何のお構いもできませんで」
「いいのいいの、昔っからお世話になってるんだから! あぁそうそう、うちのお隣の前川さんにね、去年お嫁さんが来たんだけど、その人ちょっとノイローゼみたいなのよ。今度連れてくるから、みてもらえないかしらね? キレイな人でねぇ――」
 べらべらべら、とひとしきり喋り倒す。
 勇弘はただただぽかんとしていた――遠峰円とはまた違う、齢を重ねた老練な滑舌である。回転はそれほどでもないのだが、間に隙がなく気を逸らせない。井戸端会議で日々鍛えているのだろう。
 緋梨は慣れているのか、ところどころで小さく頷き、一言二言返したりもしていた。が、相変わらずの無表情なので、愛想は少しも感じられない。それじゃあ、と言って門に向かった主婦も、外に出る前に振り向いて言った。
「緋梨ちゃん、せっかく可愛いんだから。彼氏といるときくらい、もう少し笑ったほうがいいわよぉ? ふふふふ」
「これは彼氏ではありません。ただのバイトです」
「おい」
 コレ言うな。バイトするかは決めてない。と、そういう意味合いのツッコみだったのだが、主婦はなにやら勘違いしたのか、妙に楽しげに笑って去っていった。成り行きで見送って、小さくため息をつく。なぜああいう人種は、若い男女が二人でいるとそれだけで恋人と決めてかかるのだろうか? 噂好きな様子だったし、変なことにならねばよいが。
 行くわよ、と呟いて背を向ける緋梨に、勇弘は耳の後ろをかきながら言った。
「あ〜、今の人は……?」
「上鷺社のお得意様。よく畑の野菜を持ってきてくれる人よ。あなたには関係ないけどね」
「まぁ、そうだけど……って、お得意様? 何の?」
「除霊の」
 さらりと答えてくれるが、反応に困る。
 除霊、というといわゆる――妖怪を退治したり、妖怪を退治したり、妖怪を退治したりするようなアレのことだろう。彼女が本当にそういうことをやっている、というのは体に思い知らされたが、まさかそれを依頼する人間がいるとは思っていなかった。
 軽くショックを受けていると、彼女は振り向きもせず言った。
「ちなみに、妖怪調伏の依頼じゃないからね」
「……え。あ、な、なんだ。違うのか」
「当然でしょ? 普通の人は、妖怪の存在なんて信じてないもの。姿を見ることもなければ、音を聞くこともない。いえ、姿を見ても音を聞いても、妖怪とわからないまま過ごしている、と言ったほうがいいかしらね……」
「……なら、なんで除霊の依頼がくるんだ?」
 はあ、と露骨にため息をつかれ、勇弘は少々面食らった。本殿の手前で足を止め、緋梨はめんどくさそうに振り向いた――なんとなく、縁の下で寝ているどこぞの少女を思い起こさせるような仕草である。
「無知なのは演技じゃなかったみたいね……ひょっとして、あなたもバカなのかしら? あのキャンキャンうるさい遠峰さんと同じく」
「なんだよ、そりゃ……。俺は妖怪に詳しくなんてない、って言ってるだろ」
「妖怪と幽霊がまったくの別物だ、ってことくらいはわかるでしょ? 言葉が違うんだから、当たり前の話よ」
 ん、と彼は眉根を寄せた。
 バカ呼ばわりされたこともあるが、たった今彼女が言ったこと――妖怪と幽霊が、まったくの別物である。それは以前にも、誰かに言われたことのような気がしたのだ。
「妖怪は、負の気が集束し、形を成した邪悪な存在。幽霊は、人間が死後に遺した意思がうまく消えれずに残ってしまったもの。このくらいの区別、そこらのマンガでも読んでたらできるようなものじゃない」
「……マンガと現実じゃ、全然違うだろ」
「無論よ。けど今は概念の話。そこだけでもわかっていれば、妖怪と幽霊を混同しようなんて愚かはできないはずだもの……少し、黙ったら? 無知っていうのは、隠したつもりにしかなれないものよ」
 いい加減腹の立つ物言いだったので、本当に黙ってやろうと勇弘は口をつぐんだ。ムカッともこようというものだ――そもそも、自分はなぜここにいるのだろう? バイトだどうだとうまく言われて、罠に掛けられているのではないか。
 懸念を追い打ちするように、どこかからバサバサと鳥が飛び立っていった。