或いは作為 6


 彼の様子に構うつもりはないのか、緋梨はぶつぶつと口舌を続けた。
「除霊というのは、読んで字のごとく霊を除くこと。幽霊に関する話なんだから、妖怪はまったく関係ないわ。さっきの田中さんは、立地上の理由で自宅に霊がたまりやすくなっていて、色々と迷惑しているの……何かしら事があるたびに、わたしたち安藤へ依頼にきてくれる、いいお客さん。幽霊を退治することが除霊なら、さて、妖怪退治はなんていうかわかるかしら?」
「……俺は無知らしいから、わからんね」
「あら、拗ねたの? 可愛いとこあるじゃない」
「お前、いい加減に――……ッ」
 瞬間。
「むうぅぅぅんッ!!」
 一番聞きたくなかった声が聞こえ、たった今まで勇弘が立っていた場所に何かが激突した。
 ズガァァン、と有り得ない音がする――軽く土煙まであがっているが、攻撃の余波というよりは、その人物が着地した衝撃によるもののようだった。そう、今のは攻撃である。一瞬でも飛び退くのが遅れたら、どうなっていたのか想像したくもないような。
 重たげに膝を曲げ、衝撃を緩和していたその老人は、法衣をまとった痩身を陽炎のようにゆらりと揺すった。地面にメリこんでいた鉄棒が、砂利をはねとばして引き抜かれる。さらに勢いよく回転し、ピタリと隙のない構えとなった。
「……むぅぅ〜」
「て……てめぇ〜……!」
 さすがに声を引きつらせつつ、立ち上がる。こんなヤツの前でいつまでも尻もちなどついていたら、何をされるかわからない。
 勇弘は数歩後ずさり、突然降ってきたキチガイ坊主――常円に向かって呟いた。
「シャレになんねぇぞ……当たってたらどうするつもりだったんだ、おい。俺生命保険入ってないんだからな、お前ちゃんと責任取れんのかコラ!?」
「そうよ、おじいちゃん」
 本気で背筋が冷えたためか、彼の言葉も随分とリアルではあったが。老人の後頭部に容赦なく叩き込まれた、緋梨のハイキックのほうがよりストレートだった。
 砂利に顔面から突っ込む祖父に、やはり尻もちをついていた彼女は、パンパンとズボンを払いながら言う。
「人が会話してるときに、いきなり邪魔しないで。まさかおじいちゃんまで、これがわたしの彼氏だ、なんて思ったわけじゃないでしょうね?」
「だからこれとか言うなって――」
「むう! むぅぅ、むうぅう!? むぅぅぅぅぅ」
 がばりと起きあがり、何やら訴える常円。相変わらず、むーむーと鬱陶しいことである。何を言っているのかこちらにはさっぱりわからないが、一体どういう理屈でのことか、緋梨にはすべて理解できるらしい。
 主張の呻きを最後まで聞いてから、彼女はほんのわずかに唇を動かした。
「……しを……くじゅ……、……しょ……と思うの」
「……は?」
「それに、もうすぐお浄めでしょう? ちょうどいいから、彼に手伝ってもらおうと思って」
「……むぅ。むぅぅ」
 にや、と常円が口元を歪め、頷く。
 明らかに嫌な予感がして、勇弘は半眼で緋梨に言った。
「おい……今、なんて言ったんだ」
「御札に関することよ」
「御札?」
「そう。あなたにやってもらうアルバイト。要は行事の準備を手伝ってほしいのよ。内々のことだし、校則も関係ないわ。ね、おじいちゃん」
 じょら、と錫杖を鳴らして常円が背筋を伸ばす――あれだけ派手に地面に叩きつけたからだろう、金具が曲がっていて音が変だった。冷ややかに見下ろす視線は明らかに威圧しており、ひょっとしたら本当に、孫娘に近付く不快な虫として警戒しているのかもしれない。
 というかまず、
「俺……バイトやるなんて、一言も言ってないんだけど」
 緋梨はしばらく沈黙した後、ほらぁ、などと言って祖父をつついた。
「おじいちゃんがそんな怖い顔してるから、こんなこと言ってるでしょ? ほら笑って。愛想良く」
 言われた常円が、シワだらけの口元を吊り上げて笑う。目はまったく笑っていないので、当然ながら無駄に怖い。
 本格的に帰ろうと踵を返しかけた勇弘に、緋梨は素早く囁いた。
「時は十日後の八月十五日。御札をひたすら書いて貼るだけ、これで日当二万円」
「……う」
「律成宗では、毎年必ずこのお浄め、返魂祀を行うんだけどね。本家から切り離されてるわたしたちは、毎回人手に困るというわけよ。拘束費は入るわ楽な仕事だわ、決して悪い条件じゃないと思うけど……?」
 確かにそれはその通りである。御札を書くなど当然未経験なので内容の想像はしづらいが、漢字の書き取りのようなものだろう。一日二万円は大変な魅力である――だが、胴元のメンツが考え物だった。一般的な僧侶のイメージからかけ離れまくっている老人と、それを手もなく蹴り倒す少女である。いつ背後から、筆の柄などで打突されないとも限らないではないか。
 しかし、他に金回りの良さそうなバイトを見つけているわけでもない。ふと思いついて、勇弘は緋梨に聞いた。
「駅前の古本屋、あるだろ? 美濃村屋ブックスの隣の」
「高津書店? あなたあそこで働くつもりなの?」
 思いもよらず鋭く反応され、少々面食らう。垂れ目がキリッと力を宿し、警戒心たっぷりに彼を睨んだ。よくもこう一瞬で引き締められるものだが、彼女の気を惹くようなものがあの古本屋にあるのだろうか?
「な、なんだよ……何かあるのか、あそこ? また変な妖怪が棲んでるとか?」
「折谷戸の鬼蜘蛛が本を買いに行く店よ。あなたをあそこに送り込んで、何か企んでるんじゃないでしょうね?」
「……。いや、なるほど……いい、バイト候補から外しとく……」
 げっそりと呟く。
 緋梨はしばし、考えるようにまばたきしてから、ふっと眉の力を抜いた。いまだ直立不動の常円を通り過ぎ、本殿へ続く階段に片足をかける。
「それで。やるの? やるでしょ? やるわよね?」
「……てゆーか、そっちこそ何企んでるんだよ。そうまで俺を誘う理由は何なんだ?」
「だから、お友達になりたいだけよ。妖怪に悩まされている者同士。結構レアな知り合いでしょう? 遠峰さんなんかは、妖怪の存在を頭から否定してかかってるしね」
 確かにその通り――というか、普通の生活を送ってさえいれば、できるはずも必要もない知り合いなのだが。土森市に越してきて早一ヶ月とはいえ、人間の友人は円を数えても一人、つまり彼女しかいない。しかし、この先何人の知り合いを作ろうとも、緋梨のような人間は含まれないだろうと思えた。
 妖怪に対する実質的な知識を、おそらく正弘よりも持っているのだろう少女。
 遭遇時のインパクトはマイナス方向に強烈だったが、現状が現状である勇弘にとって、最も有効な打破の手段となってくれるのかもしれなかった。
 だが、
「……その大キライな遠峰も、お前と同じよ〜なことを言って近付いてきたんだけどな……」
 お隣さんとして当然のことだよだよだよ……――
 底抜けに明るい笑みを浮かべた円の声が、エコーを伴って脳裏にリフレインする。あれがすべて計算ずくだったなどと、裏を知った今でも信じられない。その体験を経た勇弘の学習能力が、緋梨への注意を喚起しているのである。
「あら。わたしは別に、遠峰さんのことは嫌いじゃないけど?」
 アイコンタクトだけで常円に何かを指示しながら、彼女は階段に腰を下ろした。見た目のいとけなさはさておくとしても、とても高校生とは思えない貫禄である。
「……そうなのか?」
「ええ。バカだとは思ってるけど」
「キライなんじゃねーか……」
「ああいう人も必要、ということよ。世界中の人間が遠峰さんだったら、争いも何もなくなると思わない?」
 そうかなぁ、と小首を傾げ、想像してみる。
 もう随分見慣れた屋敷前の道路。たまに行き交うと挨拶はするが、顔と名前がまったく一致しない、遠峰家以外のご近所さんたち――それが全部、円。つい先程行った駅前の繁華街。ざわざわと群れ歩く罪なき人々、それが全部円。オールマシンガントーク。
 核戦争が起こる。間違いない。
 胸中で大決定してから、ふと呟いてみた。
「……じゃあ、世界中の人が安藤だったら、どうなるんだ?」
「さぁ? 核戦争でも起こるんじゃないかしら。それより、手伝ってくれるの? くれないの?」
「ああ、いや、やるよ……ほんとに二万くれるんだろな」
 こっくり頷いて、緋梨は視線を流した。見ると、どこやらへ消えていた常円が、彼女を手招きしている――いや、違う。
「……俺?」
「そ。おじいちゃんに付いていって頂戴」
「な、なんで……? なんかあんのか?」
「いいじゃない。どうせ暇なんでしょ?」
 勝手に都合を決めつけ、緋梨はにんまりと笑った。
 それは実際、悪巧みをしているときの遠峰円とよく似た笑みだった。


 小一時間後。
「これのどこがっ、御札とっ、関係あんだアぁぁぁよッ!?」
 アクセントのわかりづらい気合いとともに、勇弘は抱えていた石の塊を地面に投げ出した。何度も肩を上下させ、振り返る。
 律成宗考観寺派考観寺は、パッと見た以上の広さがあった――本堂の後ろには回廊が伸び、緋梨たちの居住区や寺務所らしき建物へ繋がっている。それだけでも結構な奥行きなのに、周囲をさらに庭園で囲い、大きく余裕をもたせていた。ドッジボールのコートくらいなら、五、六面ほども取れてしまうのではないだろうか。それほど広々とした空間を、大きな車庫や離れ小屋、鯉の放たれた池などが埋めている。
 あまりの豪勢さに苛立った、というわけでは決してなかったが。作務衣姿でのほほんと茶をすすっている緋梨に、刺々しい声で言い放つ。
「バイトは十日後なんだろ!? なんでこんないきなり、脈絡もなく肉体労働しなきゃなんねーんだよ!?」
「発想が後ろ向きね。仕事があることに感謝しよう、とは思わないのかしら?」
 鮨、と書かれた湯呑み茶碗をコトリと廊下に置き、彼女は冷ややかに勇弘を見やった。湯気が出そうなほど汗だくになっている彼に対し、なんとも涼しげなものである――この一時間、必死に動き回る彼をただ眺めていただけなのだから当然だが。作務衣に着替えた意味を問いただしたかった。