或いは作為 8


 口に出したわけではなかったが、言わんとするところを悟ったのだろう。ふっつりと、緋梨は笑みを消した。石灯籠から背を離し、腕を組んで滔々と語る。
「人間はね、キレイじゃないの。人殺しの中にも純粋な善人はいるし、前科のない極悪人だって星の数ほどいるわ。複雑で、煩瑣で、ぐでぐでな生き物なのよ。当然、わたしもその仲間」
「ぐでぐで、ってお前……」
「そんな汚い生き物が、ごちゃごちゃした存在が。自分たちの都合ひとつで生み出した価値観を、善だの悪だの突き詰めたところでどうにもなりはしない、ともわたしは思ってる。必要悪を含むあらゆる悪徳を完全に根絶するには、人類そのものを全滅させるしかないだろうことも、ね。理解してるつもりよ」
「お、おいおい!?」
 思わず上擦った声をあげる。
 冗談めかしているのだろうことはわかった――しかし彼女は本当に、たった一人ですぐにでも、人間全部を相手に戦争をはじめてしまいそうな気がしたのだ。必要悪を必要でなくすために。その明らかな矛盾にも気づきながら、価値観そのものを失わせるために。
 もちろんできるわけがないけどね、と、すぐに言ってくれたからよかったものの。そうでなければ、自分のほうが何かとんでもないことを口走っていたかもしれなかった。無差別テロはすごく印象悪いぞ、とか。最初のターゲットはひょっとして遠峰か、とか。
「けど、妖怪はどうかしら」
「……え?」
 きょとんとして見やる。
 いつの間にかまた、緋梨は笑っていた。先程とは違う。
 背筋がぞくりと疼くような、色のない――彼女がまとう無彩色のような、虚ろな笑みを浮かべていたのだ。
「な……」
「妖怪も悪よね。人を脅かす、人に取り憑く。災いを為して禍を招く。ヤクザが社会悪なら、妖怪は自然悪にでも含むべきかしら。あなた……駅前で言ったわよね? こんなところにも妖怪はいるのか、って」
「あ……ああ。でも、お前――」
「あのときはちゃんと答えなかったけど。いるわ。あの区域にも、一匹だけ……下鷺社の白醜人っていう、なかなか凶暴な妖怪がね」
 く、と口元が角度を深める。笑みを深めたのだと、見ればわかる。
 しかしそれは、到底笑顔と認識することのできない、意思が感じられない表情で、
「わたしたちが、生かしておいてあげてるの」
 そのぶん、言葉が多くを伝えた。
「……何を……言ってるんだ?」
 強ばった反応しか返せない勇弘を、まるで弄ぶかのように緋梨は続ける。
「霊を除くことは除霊。なら、妖怪を除くことはなんていうのか? 答えは封妖……これも言ってなかったわよね? テストには出ないけど、覚えておきなさい。妖怪は、除くんじゃなくて封じるものなの」
「それがどうしたんだよ! なんかお前、おかしいぞ……どうしてこんな話に――」
「安藤は妖怪を駆逐する。けど、すべての妖怪を無作為に、ただただ封じてるわけじゃない。ある程度の範囲に、少数だけ、管理者とでも言うべき存在を生かしておくの……そうすれば、自分のテリトリーに他の妖怪が入ってくるのを勝手に防いでくれる。ヤクザといっしょ。いわゆる必要悪ね。
 だけど、妖怪よ。ヤクザと違って人間じゃない。犬でも、猫でも、なんでもない」
 ぞくり、と明らかな寒気が背筋を走る。
 今の言葉にも、聞き覚えがあった。確かに二度ほど、耳にしたことがある――しかし、明らかに使われ方が違う。あのときの彼女は、あの無気力な妖怪は、こんな攻撃的な語調などではなかった。この差は何なのだ。何を考えているのだ。
 彼の視線からそれを察したのだろう。緋梨は親切なことに、婉曲な表現をすべて捨ててくれた。
「全滅させちゃってもいいじゃない。人間じゃないどころか、生物でもない。ちゃんとした認識すらされてない連中なんだもの。必要悪を必要でなくす、唯一の手段……それそのものを絶滅させてしまえば、何に悩む必要もなくなるわ」
「な……何、バカなこと言ってんだよ。そりゃ俺は、妖怪に詳しくも何ともないけどさ……できるのかよ、そんなこと」
「できるわ。全国各地に点在する、対妖怪のエキスパートが足並みを揃えれば、すぐにでも連中を一掃できる。安藤、川澄、西流寺――最も規模の大きなこの三家が組めば、きっと……! ……ま、それは今の話に関係ないわ」
 一瞬口調が高揚したが、直後にすっと眉根が寄せられ、彼女は淡泊な無表情に戻った。ようやくのことで空気が緩む――笑顔が消えてほっとする、というのもいかがなものかとは思うが。それほどまでに虚無の濃い、獄卒のような笑い方だった。
 しかしまだ、話が終わったわけではなさそうだ。
「わたしとおじいちゃんは、この土森市一帯を『浄化』するべく尽力しているわ。妖怪の数を減らし、テリトリーごとに独立させておいて、一気に叩く。三年以上かかったけど、どうにか目途がついてきたわ……あと一息なのよ。あなたが住んでいる屋敷だけが、わたしたちの指をすり抜け続けている」
「そこでうちかよ……何なんだ、一体。妖怪が棲んでるってだけでもえらく異常だったってのに、お前みたいなやつからみても、うちは特別なのか?」
「特別も特別よ。異常どころじゃないわ!」
 うんざりした口調で言い切られる。
 存外に強く肯定されてしまい、勇弘はわずかに肩をすくめた。大きくため息をつき、緋梨は続ける。
「妖怪は基本的に、群れることを嫌うわ。百鬼夜行などの例外はあるけど、鮎みたいにテリトリーを作って活動するのが普通なのよ」
「魚に例えられてもな……」
「わたしたちの作戦も、その性質を利用してる。けど、あなたの家の妖怪は……何? ぞろぞろぞろぞろ群れてるわ、やたら強力なやつがごろごろいるわ。そのくせ過激なんだか穏健なんだか、行動の予測もつかないし。本当に手を焼いてるのよ」
 それ、大半は人間が怖いだけだと思います。
 とはとても言えない雰囲気である。真実を知ったとき、彼女がどんな顔をするのかは少々興味があったが、怖くてそこまで踏み切れない。勇弘はぽりぽりと耳の下をかき、話を逸らすつもりで言った。
「あ〜〜〜、そういえば……前、鷺山神社だっけ? あそこに行ったときも、なんか妙な妖怪を見たような……」
「厄靭ね。上鷺社の厄靭、という妖怪じゃないかしら」
 特徴も聞かずに即答されてしまう。ヤクジン――確かに、円もそんな名前を口走っていたような気がする。単なる噂ではなかったようだ。
 一応、目玉がこんなんでー地面からー、と身振り手振りで説明する。緋梨は頷き、指折り数えてつらつらと名前を挙げた。
「上鷺社の厄靭、下鷺社の白醜人、田寺の小袖、土路川の河童。今のところ生かしておいている、目立った妖怪はこの四体よ。すべて安藤の掌の上。……話が逸れたわね」
「あ、も、戻すのか、話……」
「もう一度言うわ。安藤は妖怪を駆逐する、日本で最も武闘色の強い対妖怪組織よ。第三十代常円の名をもつおじいちゃんとわたしは、全家でも一番多くの妖怪をこの手で封じてきた……それを知ってもらった上で言うわ。あの屋敷の妖怪の掃討に、協力しなさい」
 両手を腰に当て、言い放つ。
 口調の重みは高校生のものではないし、容姿のほわほわぶりも高校生のそれではない。ここまで色々ギャップが重なると、逆に見慣れるのも早いというものだ。よって勇弘は、別のところに胸中で首を傾げていた。
 話を戻すのか、と自分で言いはしたが――本当に戻っているだろうか? 彼女の話の内容がすごすぎて、最初にしていた話を忘れてしまった。元はといえば、自分は彼女とどういう話をしていたのだったか。
 しばらくの間、沈黙が落ちる。遠い蝉の声にあてられて、どうしてもそれを思い出すことができない。間の抜けた話だが、しかし、ともかく。
「俺たち……そんなには、迷惑してないよ」
 伝えねばならないことを見誤らないように、勇弘は言葉を選びながら言った。緋梨の細い眉が、キュッと引き締まる。
「……なんですって?」
「俺たちな、話し合いしたんだよ。引っ越してきたのが先月の頭くらいで……俺も家族も、妖怪なんて見るのは初めてだったし。向こうは向こうでさんざん嫌がらせしてきたんだけどな。うちの父さんが色々考えて、妖怪と人間で話し合ったんだ――共存すること、を目的として」
 共存、という言葉にだろう、緋梨が大きな目を丸くする。信じられない、といった様子である。
「こっちもあっちも戸惑って、ごたごたした話し合いだったけど……一応落ち着いたというか、なんというか。ともかく、うちは今、妖怪たちの許可もとってあの屋敷に住んでるんだよ。だから、全滅させてほしいなんて、そこまでの考えはまったくない」
「そんな……何を言ってるの。それは本当!? あの屋敷の妖怪たちが、人間に心を開いたって言うの!?」
「や、心ってそんな大層な――あ、いやええと。うん、そうなんだ。実はとっても仲が良いんだよ。だから除霊、じゃない、封妖だっけ? そういう大袈裟なのはちょっと〜……」
 言っていて悲しくなるほど白々しい。
 嘘をついているわけではないが、事実そのままでも有り得なかった――許可を出している妖怪たちはいまだにしつこく絡んでくるし、実質的に仲良くやっているのは美織近辺だけである。共存が目的の話し合いだったが、正弘自身、かなり利己主義ぶっちぎった思惑を張り巡らせてもいた。現状だけ見ても、関係が良好かと問われれば、疑問符がつくところである。
 しかし、妖怪たちにいなくなってほしいか、と訊かれたならば――頷けない。
「そう……そこまでするもんじゃ、ないんだよ」
 あの会談の場でも自問した、また長に問われもした、『妖怪たちと暮らしたいのか』ということ。あのときの肯定は嘘ではない。妖怪とはいえこういうやつらなら、人間ではないがこういう連中なら、ひとつ屋根の下でもやっていけると思った。実際、どうにかやってこれている。これからは、もっとやっていけるかもしれない。
 必要悪だなどと思いはしないのだ。