彼女の真意 1


 おかしいとは思っていたのである。
 空を見上げようとして屋根に邪魔され、勇弘はわざわざ数歩退がった。雨風に晒されて色褪せた小さな切妻屋根の向こう、今日も元気にギラギラしている真夏の太陽を確認して、頷く。なんら不思議なところもない、ただただどこまでも晴れ渡った炎天。しかし、おかしいとは思っていたのだ。
 なぜなら、ここ五日ほど来ていなかったのだから。
「いいお天気だよね!」
 彼が見上げているからだろうか。自らをアピールするような、はきはきと元気良い声が聞こえる。それに対しては頷かず、勇弘はじっとりと視線を戻した。
 半分ほど開かれた格子戸の向こう、麦藁帽をかぶった少女が立っている。背は勇弘より頭一つ分ほど低いが、女性にしては高いほうだろう。若草色のワンピースから覗くすらりとした四肢は、実に健康的で瑞々しい輝きを放っている。
 今現在浮かべているような、明るい笑顔がとてもよく似合う、活動的な美少女である。それはいい。特に文句もない。
 しかしなぜ彼女は、リヤカーを引いているのだろう。
「絶好の差し入れ日和なんじゃないかと、あたしは思うわけだよ!」
「どんな日和だ。……いや、てゆーか」
 思わずツッコんでから、改めて観察する。
 大きなコの字型の引き手がついた、古き良き木製の荷車である。なにやら満載されているが、そちらは敢えて見ないようにする。今どきなかなか見かけない、古風でアンバランスなビジュアルに、勇弘はしばらくコメントに窮した。
「……えーと。……その、久しぶりだな。しばらく見なかったけど、風邪でもひいてたのか?」
 そう言うほどでもないのだが、引っ越してきてからこっち、ほぼ毎日顔を合わせていたのである。それが数日間音沙汰なくなったのだから、気にはしてたよ的な態度を見せておくのも礼儀だろう。実際、正弘などは心の底から心配していた――だからといって、様子を見に行くわけにもいかなかったのだが。
 彼女、遠峰円は、麦藁帽子をとって肩をすくめた。
「ううん、違うよ。わぁ、心配してくれてたんだ、嬉しいなー!」
「いや主に父さんがね。俺は実に平和に過ごさせてもらったよ。風邪とかじゃないなら、どうしてたんだ?」
「部活の合宿に行ってたんだよ。ごめんねぇ、差し入れに来れなくて」
 でもその代わり、とまで言ったところで円が言葉を切る。勇弘の、妙に爽やかかつ取り繕うような笑顔に気づいたのだろう。あるいは、足音を立てずに一歩二歩、門に近づいたことにだろうか。なんにせよ、彼女はギシギシとリヤカーを引っ張り、敷居を挟んで彼と向かい合った。
 一瞬、蝉の合唱のみが場を満たす。
「そんで、何しに来たんだ?」
「もちろん、差し入れだよ? このリヤカー全部」
 ガラガツッ
 音速を超えて戸を閉めた勇弘だったが、円の爪先がそれを凌ぐ速度で突き込まれ、強引に阻止していた。くっ、と歯噛みする彼に、彼女はぐいぐいと片足をねじ込んできながら、
「ヒドいよっ、勇弘くん!? どうしてそんなことするの、開けて、ねぇ開けてー!?」
「やかましいわ、帰れ! すぐ帰れ! その得体の知れない物体引っ張って!」
「得体知れなくないよ、差し入れだってばさ! すごいたくさん持ってきたんだよ、ポテチにおせんべに水羊羹、クッキーにワッフルにゴーフルに酢昆布! リヤカーいっぱいなんだよ、見て見てほらぁ!?」
 片足を挟み込んだまま、がしょーんがしょーんとリヤカーを門にぶつけてくる。マシンガントークも相変わらずである。そんな衝撃に長く耐えられるほど丈夫な門でも自分でもないので、勇弘は慌てて円を押し戻した。どうにかして格子戸を閉めてしまおうと、差し込まれた爪先をげしげしと蹴りつける。
 白昼堂々、滑稽な構図であった。
「いらねーっての! あんた正気か、そんな大量の差し入れなんて聞いたこともないぞ!?」
「あっ、じゃああたしが第一号だね! やりぃー!」
「喜ぶのかよ!? くそ、なめんなよこのやろ、帰れ帰れ!」
「ぅりゅ〜〜〜痛いぃ〜〜〜っ!」
 ぎりぎりと拮抗し――やがて、毎度のごとく勇弘が折れる。この細身のどこにこんな力が、とおののくほどに怪力な円だが、なんといっても女の子なのである。強く出過ぎるわけにはいかない。
(ど〜もそういうのを見透かされてる気がして、癪になってもきたんだけどな……)
 えへへー、と笑いながらカラカラ門を開ける彼女に、剣呑な視線を向ける。あくまで中には入れるまいと、勇弘は腕を組んで踏ん張った。
「あのな、遠峰……もうこの際だから、理論の逆転とか気にしないことにするけど。どうして俺が差し入れを遠慮してるか、わかってるよな?」
「うん、照れ屋さんだからでしょ? かーわい」
「違うわッ! もうあんたそれ絶対わざとだろ!? どうしてこうまでしつこくしつこく差し入れ持ってくるんだっつってんの!」
 もう何度繰り返したかわからない質問だが、今日の円は、にやりと不可解な笑みを浮かべた。ガタゴトとリヤカーの向きを変え、荷台に乗っている大量の――四人家族なら十日程度は養ってしまえるかもしれない程の――紙箱やら菓子袋やらを、どこか余裕すら感じさせる仕草でぽんぽんと叩く。
 黙って見つめていると、彼女はおかきの袋を取り上げて言った。
「ふ。勇弘くん……女がいつまでも、同じ場所に立っているとは思わないことよ」
「……はあ」
「あたしだってバカじゃないわ。いつもいつも、勇弘くんが照れを隠すためにそう言うのはわかってるんだから!」
 断じて照れ隠しなどではないが、わかっているならやめてくれんかね、と心から思う勇弘である。円はえっへんと胸を張り、おかきを突きつけて先を続ける。
「だから、ちょっとだけ体裁を変えてあげる。これは勇弘くんへの差し入れじゃなくてぇ、正弘おじさまへの差し入れなの!」
「……ほう」
「つまり、勇弘くんが拒否しても、なんら意味はないんだよ! おじさまはきっと受け取ってくれるから。あ、もちろん、あたしがおじさまに渡した差し入れを、おじさまが勇弘くんに分けてあげるってのは、親子として当然のことだけどね?」
 勇弘は再び笑顔になって、やんわりと円からおかきを取り上げた。あたし頭いいでしょー、とでも言いたげな様子の得意げな顔面に、べしっと袋を叩きつける。
 うびょっ、と謎な悲鳴をあげて、彼女は後ろへよろめいた。リヤカーの持ち手に踵をすくわれ、危うく転びそうになりつつも、とっさに跳び越えて踏み留まる。見た目や出で立ちからも感じられることだが、やはりなかなかの運動神経をしているらしい。
「あ、あぶ、あぶっ……なにするのよぅ、いきなり!?」
「うるせっての! 理屈にもならねぇこと堂々とのたまいやがって、脳みそ平気か!? 自分の名前言えるか!?」
「あっ、ひどー!? そこまで言われる筋合いないと思う! 遠峰円十七才、上鷺社高校二年B組の風紀委員ーまで一息で言えるんだから!」
 いやほんとに言われてもなぁ、と逆に沈黙していると、円は麦藁帽を胸に抱き、そのつばをくわえて恨めしげに見つめてきた。
「もう……勇弘くんてば。そんなに素直じゃないと、いつか損するよ? てゆーか損してるよ今。こんなにたくさん持ってきたのにさ」
「損か得かは別として、そろそろこの状況そのものに抗わなきゃいけない気がしててな……どんどん本格的に変になって来てるし。俺だけでも常識を失わないようにしないと」
「へ?」
「いや、なんでもない。こっちのこと」
 彼女から視線を外し、勇弘は胸中でため息をついた。
 数日前、人間とは思えないような意味不明な連中――錫杖を振り回す老人だの、御札を振りかざす少女だの――に襲撃を受けてからというもの、この屋敷に関わる不明な現象すべてに不信感を抱いているのだ。実際顧みてみれば、おかしいのは妖怪たちに限った話ではない。
 知り合ってから早一ヶ月ほどになるが、この遠峰円も、行動原理がまったく不可解であることに違いはないのである。人間であるとわかっている分、むしろ妖怪よりタチが悪いかもしれない。
 訪ねてきては差し入れをし、受け取らないと言っても強引な笑顔で無理矢理置いていく、超がつくほどマイペースな性格。この近くにあるらしい、上鷺社高校に通う二年生の女の子。涼しげな色合いのワンピースを好むようで、よく麦藁帽をかぶっている――と。勇弘が知っているのは、打ち明けたところでこの程度なのだ。それ以外のことは、ほとんど何もわからない。