彼女の真意 4


 北へのぼればのぼるほど、この土森市の町並みは、加速度的に田舎びてゆく。
 南北に大きく、斜めに土地が広がり、市全体がちょうど本州を逆さにしたような地形になっている。そのため、昔は「日の本転び」などという、洒落が利いているんだか不名誉なんだかいまいち微妙な呼び方をされていたらしい。中央近くを真一文字にJR線が通っており、土地面積も大体南北に二分されるため、市民はJR土森駅を境に、地域を区分して認識しているのである。
 勇弘の屋敷がある中鷺社町。道一つ隔てただけだが、円の家がある上鷺社町。そして土森駅を含んだ下鷺社町は、全て北土森に位置している。というか、北土森区がこのみっつの町に大きく分けられているのだ。
「あたしは小学校が中鷺社小学校で、中学校が鷺社中学校。下鷺社の駅前にあるでしょ、あのでっかい校舎! 小学校よっつ集まってるの。そいでね、上鷺社はやたら広いんだけど田んぼばっかで人少なくて。上鷺社小学校もすごい北のほうにあるから、あたしは住所上鷺社だけど中鷺社小に通ってたんだー!」
「……わけわかんねぇ」
「あれ? どしてどして?」
 にっこり笑って同じ説明を繰り返す円に、勇弘は聞こえないよう小さくため息をついた。ひとつの台詞で何回「さぎやしろ」を聞かせるつもりなのだろうか。中だの小だの上だの下だの。舌も噛まずに、よく一気に喋りきれるものである。
 ほんの片時も黙ることのない、賑やかな少女を眺めながら、彼はコップの水を一口飲んだ。キンと空気が張りつめそうなほど、よく冷えている――むしろ冷やしすぎな感もあった。顎の付け根をさすりながら、窓の外へと目を移す。
 真っ青に広がる八月の田園が、昼下がりの日差しを受けてきらきらと輝いていた。平べったい家がそこここに点在しているのが、ほんの一望で把握できてしまう。はるかな山裾まで見通せる、なかなか爽快な見晴らしだった。空調の効いた屋内であるということすらも、それは一瞬忘れさせてくれる。空を切り取る稜線の優美さが、いかにも日本人的な情感を誘った。
「つまり、ここはまだ……上鷺社ってことか?」
「うん、もちろんそうだよ? 勇弘くんちを出て、すぐに道を北に曲がったでしょ。あそこから、ずぅ〜〜〜っと上鷺社町」
 なるほど、と勇弘は頷いた。先程通った住宅地といい、この本気で何もない水田地帯といい、広いだけあって多彩な面を併せ持っている町らしい。生活するのに不自由でない程度、地域を知ったつもりではいたが、やはり実際歩き回ってみると表情の豊かさに驚かされる。
 青空に大きな輪を描くトビと、背景に盛り上がる入道雲――経験したことはなかったはずなのに、そのただただどこまでも雄大な自然は、自分の最も純粋な部分に懐かしく語りかけてくる。来てみて良かったかもな、と彼は思った。
「はいぃ、お待ちどおさまぁ、と……と、と」
 盆を持った老婆がふらふらと近づいてきて、彼らの前のテーブルに、大きなガラス鉢をふたつ置いた。これまたよく冷えていそうな水の中で、真っ白い素麺がたっぷりと泳いでいる。おぼつかない手つきでツユを差し出しながら、老婆はにっこりと歯のない口元をほころばせた。
「いーやぁ〜、円ちゃんにもようよう、カァーレシができたんじゃねぇ。かっちょええ子じゃねぇ。ほんに良かったねぇ」
「やーだ、フクロばーちゃんてば。そんなことばっかり言って」
「ほっほっほっ」
 口をすぼめて笑いつつ、奥のほうへとって返す。よろよろとした足取りで、今度は野菜の天ぷらを持ってきながら、
「ほんに、心配しとったんじゃぁーよ。衣子ちゃんにも、露子ちゃんにも、葉子ちゃんにもカァーレシがおるのに、円ちゃんにはとんとできんもんじゃから」
「ちっがうのー、もう。この人はそういうんじゃないんだから! あんまり変な噂広めないでよ? 葉子の時みたいに!」
「ほっほっほっほっ。ごゆっくり」
 風もないのにゆらりゆらりと、右に左に揺れながら、老婆はのれんをくぐって姿を消した。しばし、微妙な視線をそちらに向けてから、ぐるりと室内を見回してみる――白い壁紙がしっくりと落ち着く、飾り気のない小さなホールである。むっつほど並べられた木目調のテーブルに、彼ら以外の姿はなかった。
 早速割り箸を割っている円に、なんとなく小声で言う。
「なぁ……今の……?」
「ん? 今のは、フクロおばーちゃん。袋小路って名前なのよ、おばーちゃんもこのお店もね。ちょっと変わってて噂好きだけど、いい人だよ〜。何があっても絶対に姿を見せない息子さんと、二人きりでお店を切り盛りしてるの」
 あえて何も応えず、勇弘は窓の外を見やった。この街の住民に関して、詳しく知りたいような知ってはならないような、大変微妙な心境である。
 外に見える遠い家々と同様、今彼らがいるこの店も、田園の中を走るアスファルト道の傍らに唐突に建っているのだ――なのに、店名が袋小路。ある意味素晴らしくシュールである。というか、その息子に関して詳しく聞いてみたいと思う、ほのかな好奇心は罪だろうか。
(罪じゃないだろうけど、賢くもない気はするな……触れないでおこう)
 さすが、非日常に揉まれ揉まれた山神勇弘十七才である。達観具合が並の高校生ではない。
 円に倣い、割り箸を取る。このところ毎日食べており、そろそろ素麺には飽きがきていたのだが、こうして少し飾ってあるだけでもなかなか食欲をそそってくれた。それに天ぷらなど、前に食べた日がなかなか思い出せないほど久しぶりだ。奇妙なシチュエーションだが、これは嬉しいかもしれない――
「っておい、ちょっと待て。俺、こんなの……頼む余裕ないぞ?」
「え? 三百円もない?」
 安。
 円の指さすほうを見ると、壁に『ソーメン定食 300¥』と書かれた札が確かに掛かっていた。思わず、手元の料理と札とを見比べる。この組み合わせと量で三百円とは、なかなか剛胆な店であるらしい。利率という言葉を知らないのだろうか。
 くすくすと、円が笑っている。なんとなく気恥ずかしくなって、勇弘は水を飲み干した。セルフサービスのポットから新たに注ぎながら、彼女に半眼を向ける。
「で……何なんだ、ありゃ」
「んむ? だから、フクロばーちゃん」
「違うよ。さっきの……安藤緋梨と知り合いなのか?」
 ぴくッ、と引きつるように、円は眉根を寄せた。一瞬で笑みが鳴りを潜め、くわえた素麺がちゅ〜るちゅ〜ると、やたらゆっくり口中に消える。
 しばらく間を挟み、不愉快げな顔で彼女は言った。
「あたしも、聞きたいなと思ってたんだけど。あの女とどうして知り合ったの?」
「それは……い、いや。俺が先に聞いたんだから、先に答えろよ」
「はふん? 勇弘くん、そういうトコで几帳面だったのかな? ……ま、いいけど」
 そりゃこっちの台詞だよ――と、勇弘は胸中で眉根を寄せていた。差し入れ片手に押しかけてきてにこにこ意見を通してしまう、横綱笑顔な彼女しか知らなかったとはいえ、今日半日も経たないうちに随分と色々な表情を目撃した。
 リヤカー片手の思案顔。緋梨に対する怒り顔。そして今の不機嫌顔。負に偏った反応だけに、こちらも少々身構えてしまう。
 ツユの中の素麺をさらって、円は口早に答えた。
「あいつは、高校の先輩なの。上鷺社高校三年E組、安藤緋梨。あたしの敵よ」
「て、敵……?」
「そう、敵。それ以外の何者でもないし、それ以上でも以下でもないわ。さっきの見ててもわかるでしょ? 仲悪いの。かなり激烈に」
 それは確かにそのようだったが。しかし円のようなタイプは、あまり公然と敵がいたりもしないだろう、となんとなく推測してもいたのだ。造作が整っている分、形相の迫力もひとしおではあったが、ああも易く怒りを露わにするとは。それとも、勇弘の想像を遙かにぶっちぎるほどの犬猿の仲なのだろうか。
「なんでまた、そんなに……?」
「ゴハン食べながらする話じゃないよ。それより……勇弘くんは、どうしてあいつと知り合ったの?」
 う、と言葉に詰まる。自分と、安藤緋梨との出会い。
 あの子がうちに妖怪退治に来ました、などと事実を言えるわけがなかった。自分から振っておいて難だが、どうにかごまかさなければならない。
「……飯食いながらする話じゃないよ、それこそ」
「妖怪、じゃない?」
 ぶッ
 比喩抜きで素麺を吹き出し、勇弘は慌てて口元を押さえた。愕然として円を見る――なぜ、知っているのだ!? 緋梨が妖怪退治に来たことを、という範疇にそれはとどまり得ない。我が家に妖怪が棲んでいることを、ひいては世の中に妖怪なるものがリアルに存在していることを、どうして彼女は知っているのだ!?