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美希と鳴屋 4
本日の遠峰円は、一段と強烈であった。 まず、毎度お馴染み差し入れ攻撃。引き戸を開けた勇弘の顔面に「どーんっ♪」と紙箱を叩きつけ、鼻頭を押さえてうずくまっている隙にとことこと玄関に上がり込む。涙声の制止には耳も貸さず、板の間に丁寧にそれを置くと、今度はがっしりと彼の手を握って、 「さぁ、遊びに行きますよぉ〜」 「なんでえぇぇぇぇぇぇ!?」 叫びも虚しく、ずるずると屋敷から引きずり出されてしまう。妖怪変化をもものともしない、鉄の精神山神勇弘――だが、円にかかってはカカシも同然だった。 そのささやかな騒ぎで、 「……ふに……?」 妖怪巻きシーツから滑り落ち、かなりダイナミックな寝相を披露していた山神家長女、山神美織は目を覚ました。ころりんと畳に転がり、起き上がる。寝惚け眼を何度かこすってから、いまだ眠りこける美希を振り返った。 「ママ〜……のどかわいたぁ」 「うぅうぅう……やめてぇぇぇ。ミオちゃんを連れていかないでぇぇぇ……!」 なにやら大変不吉な夢を見ているらしい彼女は、美織の呼びかけにもそう呻くだけで、いっこうに目を覚まそうとはしない。母の状態を把握するや否や、早々に頼るのを諦めて立ち上がる。さすが美織、なかなか聡明である。 廊下に出てとことこと歩き、台所へ入る。無人のその場所はどこかひんやりと、余所余所しいような空気で満ちていた――が、まったくもって意に介さず、彼女はむーんと考えを巡らせた。蛇口から水を汲むには、自分では少々背が低すぎる。しかし現状から鑑みて、冷蔵庫にジュースが入っている可能性は極めて低い。 となれば……いや? 「牛乳さんがあるかも……」 思い立ち、にこーっと満面の笑みを浮かべる。牛乳が好物なのであろうか、よいしょよいしょと椅子を抱えて、冷蔵庫の前に置き踏み台とした。下段が冷凍室、上段が冷蔵室となっているので、素のままではやはり届かないのだ。 慎重に椅子に乗り、ドアを開け――ようとしたところで、ふと動きを止める。 冷蔵庫と壁の間。その僅かな隙間から、彼女を窺い見ているものがあったのだ。 ぎょろりと大きな目玉。クチバシのように尖った口。ざんばらな髪は黒、しわしわの皮膚は濃い緑色で、ボロボロの布を身に巻き付けている。まさか目が合うとは思っていなかったのか、身の丈三十センチ程度のそいつは、美織を見上げたままピキリと硬直した。人間離れした造作の顔が、明らかな緊張に引きつっている――初めて見る妖怪である。 美織は冷蔵庫を開けるのをやめ、椅子から降りた。一歩、二歩と近づいて、そいつの前にしゃがみ込む。彼女の接近に合わせて、目玉だけを動かしていたその妖怪は、なんとわかりやすいことか、固まったままダラダラと冷や汗を流しはじめた。 にっかー、と美織が邪気のない笑みを浮かべる。 「こんにちは〜!」 挨拶は全ての基本である。 「なにしてるの?」 『……う、うう』 さすがに「なにも」とは返ってこなかったが、困惑と緊張と、そしておそらく恐怖とが入り混じった呻きが妖怪の口から漏れた。美織は小首を傾げ、続けて言う。 「よーかいさん? なんてお名前?」 『……うう』 「ミオね〜、みおり。わかる?」 『ううう』 「うう?」 『あううう』 突然、美織は片手を伸ばした。何を思ってのことか、冷や汗ダラダラのまま突っ立っている妖怪の腕を、つんつんとつついてみたりする。瞬間、ぶわっと妖怪が総毛立った――まさしく総ての毛が逆立ち、尖った口を大きく開いて叫ぶ。 『ほ、ほゃああああああああ!!』 「わっ」 美織びっくり。思わず手を引っ込めると、ひゅんっと妖怪は消えてしまった。どこかの少女のように、問答無用で消失したのではなく、隙間の奧にそのまま引っ込んでしまったのだ。美織は慌てて、壁との隙間に片目を押し当ててみたが、その暗がりにはもう影しかなく――ただ、ドンガンドンガンドンガンゴン、と色々なところに激しく衝突する、焦ったような音だけが、しばらくこちらまで響いてきていた。やがて、それも消える。 「……変なの」 随分と小心な妖怪であったが、それ故に彼女は不服らしかった。小さく息をついて、その時はたとのどが渇いていたことを思い出す。そうだった、牛乳を取らなければ。 再び椅子の上に立ち、美織は冷蔵庫のドアを引っ張った。が、開かない。椅子にのぼった不安定な体勢からでは、なかなかむつかしいようだ。むぅーと頬を膨らませ、今度は両手で引っ張ってみる。 「ふんにぃー!」 謎な気合いの入れ方であるが、それでもドアは開かない――いや。突然、根負けしたかのようにガパンッと開いた。予期していなかったタイミングに、ふらりと美織の身体が泳ぐ。反射的に、開いたドアを支えにして持ちこたえようとしたようだが、そんなことをすれば当然、今度は大きく横へ振られてしまう。 「をををっ、うきゃ〜〜〜ははははは――」 ゴガンッ それすらも楽しんでいたらしい、底抜けに脳天気な彼女ではあるが――振られた拍子に手が外れ、床と壁とのちょうど境目に、顔面を激しく打ちつけてしまった。派手な音とともに、笑い声が途絶える。奇妙な角度に身体を捻ったまま、美織はかっくりと脱力した。そして、そのまま動かない。 昼下がりの山神家に、突然の静寂が訪れた。 ――いや。 それから二十秒も経たないうちに、ひょこりと冷蔵庫の影から先程の妖怪が現れた。おっかなびっくり、倒れている美織に近づいて、そっと片手を伸ばす。自分がされたのと同じように、つんつんと彼女をつついてみるが、果たして何の反応もない。 『……う』 パッと妖怪は消え失せた。今度は、どこかへ動いたのではなく、その場で瞬時に不可視化してしまった。それと同時、 ……コトコトコトコトコト パタパタパタパタパタパタ トントントントントン 台所に、様々な音が響きはじめた。それは包丁がまな板を叩くような音だったり、誰かが廊下を歩くのに似た音だったり。最初は小さく、やがて大きく、たくさんの音がひとつの塊となる。 意志をもって動き回る音。鳴屋は台所を出、座敷に向かっていった。 |