美希と鳴屋 5


 ああ、なんということだろう。
 哀れ発狂した正弘はろくろ首と化し、サディスティックな笑みを浮かべて、悪役然とした哄笑を後ずさる美希に浴びせているのである。
『わ〜〜〜ははははははははァ〜! おい美希、よくも離婚だーなどと言って、わたしを脅してくれたなァ。お前の大嫌いな妖怪になってやったぞー! どうだ怖いか、うりうり、怖いかァ〜!』
「いやぁぁぁ正弘さん正気に戻ってぇー!? デブなろくろ首ほど不格好なものもないわ。だから、だから美織だけはぁぁ〜!?」
 うねうねと首を伸ばした正弘は、なんとその首で娘を絡め取っており、人質よろしく空中高くへ差し上げてしまっているのだ。難儀なことに、美織本人は至って楽しげにはしゃぎまくっている。
「きゃ〜〜〜はっはっはっ! パパすごぉーい!」
『もう戻ることはできない。なにせセリフが『』になってしまったからな! ハモった時と妖怪のセリフくらいにしか、これは使われないのだ! 参ったか!?』
「どこで参れと!? ああダメ、やめて、いやぁぁぁ誰か助けてぇぇぇ」
「待てっ、妖怪! 俺が来たからには、もう好き勝手させないぞ!」
 勇弘の声である。助かった。
 安堵の息をついて振り向いた美希の目に、問答無用でマサイ族スタイルな息子の姿がババーンと映った――全裸に腰蓑、手には石槍、奇怪なボディペインティングを施している。
 ツッコみどころの塊は、唖然とする美希にてきぱきと怒鳴った。
「母さん、ぼーっとしてないで、俺の後ろに隠れるんだ! 諦めろ、あれはもう父さんじゃない!」
「い、いや、あの……ユウちゃん? ええと、確かに正弘さんもおかしいけど、あなた、キャラ変わってるどころの騒ぎじゃないわよ?」
「アフリカに渡って妖怪退治の極意を学んできたんだ。もう父さんにだって負けるもんか!」
『ほほう……面白い。唯一わたしの血を引く男であるお前と、一度本気で戦ってみたかったのだ……!』
「おにーちゃん、がんばれぇ〜!」
 無邪気な応援に、両者が身構えた。じりじりと間合いを測り合う、デブろくろ首とマサイ族の戦士。もはや美希には何を言うこともできない。
「ミュージック、すたぁと!」
 ズンドコダカダカ ズンドコダカダカ
 いかにもジャングルな怪音が、どこからともなく響き渡る。
 やがて両者は、それに合わせて踊りだした――お調子者の正弘はともかく、普段はクールな勇弘までもが、こんなに毒されてしまうだなんて! やはり、この屋敷はいけない。絶対に、いけない。
 うぉがー、と勇弘が雄叫びをあげた。
 ぎょえー、と正弘が首を伸ばした。
「もうやめてえぇぇぇぇぇぇ」
 美希の悲鳴をかき消して、ただただ騒音は響き続ける。
 ズンドコダカダカ ズンドコダカダカ
 ズンドコパタダカ ズンパタパタパタバタバタバタバタ――


「……えっ?」
 目が覚めた時、美希は自分がどこにいるのか、すぐに判断できなかった。
 視界にあるのは、既に見慣れた続き二間の座敷なのだが――耳元では、たった今まで夢に見ていた、あの怪しげな騒音が鳴り響き続けているのであるから、無理もない。
 これは現実か、はたまた夢か。二者択一に困った美希は、とりあえず自分の頬を思いきりひっぱたいた。パシィン、と爽快な音がする。いうまでもないが、とても痛い。
 ということは、この音は。
「……や、やな……ひいィッ!?」
 ようやくいつもの美希に戻り、顔を引きつらせて立ち上がる。しかし巻きシーツ状態であったので、足がもつれてすてーんと転倒してしまった。
 そんな彼女を嘲笑うかのように、音は彼女が寝ていた座敷中を、所狭しと駆け巡っている。
 ドタドタドタドタ――縁側を。
 バタバタバタバタ――畳の上を。
 ガタガタガタガタ――障子まで鳴っている。
 美希は震えて後ずさった。理由はわからないが、背中のほうでは音は鳴っていない。このまま廊下に出て、玄関から外へ逃げよう。走らなければ。
 ごくりと唾を飲み込んで、美希はダッと廊下へ駆け出した。だが、玄関へ続く長い廊下の中間に、得体の知れないプレッシャーを感じ――足を止めると同時、そのプレッシャーが音へと変化し、真っ正面から向かってきた。
「きょおぉぉぉえぇぇぇぇぇぇッ!?」
 音もビビらんばかりの絶叫。
 しつこく握りしめていたシーツを放りだし、美希は踵を返した。もはやなりふり構ってなどいられない。座敷にはもう、オーケストラがそれぞれ好き勝手に演奏をはじめたかのような、凄まじい種類の音が轟然と渦を巻いている。少し落ち着いて耳を傾ければ、それらが全て何らかの『生活音』であることに気づけたかもしれないが、今の彼女には無理な話であった。