夏風邪 6


 にこにことあおいでくれているその妖怪は、以前にも、人間が好きだと言っていた。文字を覚え、書斎に棲んで本を読んでいるのもそれが理由だと。つまり、人間と関わることが好きなのだろうか? この屋敷の妖怪たちが人間を怖がっていた、あるいは現在進行形で怖がっていることを考えれば、やはり相当に異端であるのだろう。
(いまいち、よくわかんねーけど……)
 そこの辺りをもう少し聞こうと、口を開きかけた時、
『おうおうおうッ!?』
 と廊下のほうから声がして、勇弘は質問を飲み込んだ。
 肩をねじるようにして目を向けると、案の定というかなんというか、ろくろ首がこちらを睨んでいる。相変わらず威勢は良いようだが、またしても天井から首だけをぶら下げた、中途半端な登場の仕方である。
『鬼蜘蛛、てめぇ!?』
「あら、ろくろ首……あなたも、勇弘様のお見舞いに?」
『んなわきゃねぇーだろ!? おうコラ、なんでそんなとこにいやがるんでぃ。他の連中がビビっちまってるじゃねーか!』
 怒りの対象は勇弘ではなく、のほほんと扇ぎ続けている鬼蜘蛛のようだった。彼女は小首を傾げ、変わらぬ穏やかな調子で言う。
「あたくしは、勇弘様のお体が心配なだけですとも……最初は少し、やり方を間違えてしまいましたけれども。それに、一反木綿や枕返しが、よからぬ企てをしていたでしょう? 勇弘様のお邪魔になるといけないから、ここでこうして見張って――」
『そぉーれが余計だっつってんだよ!? 人間びいきも結構だがな、いちいちしゃしゃり出て邪魔すんじゃねぇや! てめぇがいる所為で、誰もここに近付こうとしねーじゃねぇか!?』
 なるほど、わざわざ見舞ってくれたのには、そういう理由もあったのか。
 立ち上がった鬼蜘蛛を見上げて、勇弘は一人納得した。天然というかなんというか、とぼけたようなところもある彼女だが、妖怪としての力の強さは相当なものであるらしいのだ。時折見せる激烈な異様さも、貫禄といえばそうなのだろうか――なんとなく違う気もするが。
 ぐりんっ、と頭を基点に体を回転させて、ろくろ首が天井から降りてきた。しかし部屋に踏み込もうとはせず、あくまで遠距離からビシリと鬼蜘蛛を指さす。
『書斎に引きこもって、本でも読んでやがれ! ともかく離れろ! どっかへ行け!』
「ろくろ首たちが、勇弘様のお寝みを邪魔しないと約束するのなら、あたくしも――」
『んん〜〜〜なことができるかッ! 妖怪が人間おどかさねぇで何するってんでぃ!? てめぇちったぁ考えて喋れッ!』
「あなたこそ物をお考えなさいな……勇弘様は風邪をお召しなのよ? 相手の弱みにつけ込むなどと、一端の妖怪のやることですか」
「ああもう、どっちが正論なんだか……」
 勇弘の呻きは、もちろんどちらも聞いていなかったようであるが。
 鬼蜘蛛は静かに、ろくろ首は声高に、お互いの主張をぶつけ合っている。どうにもソリが合わないらしいことは以前から知っていたのだが、ことこういった口喧嘩的なことになると、圧倒的に舌の回るろくろ首に分があるようだった。ただべらべらと、闇雲にまくし立てているだけなのであるが、ゆっくりと喋る鬼蜘蛛には口を挟むことすら難しいらしい。
 それにしても、
(……長い付き合いのはず、なのになぁ。少なくとも俺よりは……)
 本当にろくろ首は気づいていないのだろうか?
 彼女の口元がいつしか微笑み、その手にはもう、うちわが握られてもいないことに。
『大体てめーは何なんだ!? 文字が読めるとそんなに楽しいのかよ、人間にかぶれるのもいい加減にしろってんだ! こいつらが来てから夜も明るくて、おちおち廊下も歩けやしねぇ。わかってんのか、ぁあ!?』
「ろくろ首、あな――」
『なぁ〜にが「勇弘様のお体がー」だ、笑っちまうぜ! 今度は医者の真似事か? 河童のジサマでも呼んでくっか――』
『五月蠅ぇんだよてめぇ』
 ガツンッ
 思いきり腕を振り回すようなフックが、ろくろ首の顔面を真横から捉えた。ばいーん、とまず首が廊下の奥へ吹っ飛び、縮むゴム紐に引っ張られるように、後から勢いよく体がついていく。ばさっと長髪をかきあげて、両目を紅に染めた鬼蜘蛛が、すたすたと歩いてその後を追った。
 布団の上から動かない勇弘に、しばし不穏な音だけが聞こえてくる――


 ドカッ ゴッ ガスッ
『てめ、ちょっ、うごっ、や、やめ――』
 バシッバシッ ガッ ゴスッ ドゴッ
『こ、にゃろちくしょっ、調子のんじゃねぇぞおらー!? いいかよく聞け、俺様がこの妖刀迷佞主を抜いたら――』
 ビシッ ガスガスッ ゴッ ガッ ゴッ
『くべっ、ぐぼっ、こ、こんだりゃぁぁくらえぇぇぇいッ!』
 ぽきり
『おぉ折れたぁぁーっ!? ま、待て、話し合お――』
 ドスガスドスガスドカッ ゴスッ ゴスッ ゴスゴスゴスゴス――


 やがて、痛いほどの沈黙が場を満たす。
 なんとなく合掌していると、鬼蜘蛛が戻ってきた。しずしずとした足取りで、その表情も穏やかである。
「申し訳ございません、勇弘様……お見苦しいところを」
「ハハハいえいえ、全然……見えてませんし。大丈夫です。えと、あの、ろくろ首は……?」
「少々、お灸を据えて参りました。あまりに聞き分けがなかったもので……さ、勇弘様、お休みくださいまし」
 勇弘を寝かせ、タオルケットを掛け、またうちわを取り出してゆっくり扇ぎはじめる。深くは聞かないことにしよう、と自らの心にフタをして、彼は小さくため息をついた。哀れなり、ろくろ首。妖怪にも浄土があるのなら、きっちり成仏してもらいたいものである。
 そして、場違いかとも思えるほど、穏やかな沈黙が訪れた。いかにこれまで騒動続きだったかわかる――そろそろ、日も傾きはじめる頃合いだろう。
 蝉の演奏会は、本日も絶好調のようだった。一心不乱といった具合に、庭に面した窓からのみならず、四方八方から響き聞こえてくる。存在を忘れられかけていた蚊取り線香が、なんとも夏らしいかすかな香りで、部屋の隅から自己主張した。わたしはあなたが眠っている間も、妖怪たちがどたばたしている間も、ただひたすらに蚊を落とし続けているのですよ――まぁ、感謝はするが、割とどうでもいい。
(そういえば……なんか、夢、見てた気がするけど)
 勇弘は眉根を寄せた。目覚めてからしばらく経っているし、夢の記憶など無論曖昧な残滓でしかないのだが――それ以前に、その夢自体が随分と不明瞭だった気がした。最初、誰かが歌を唄っていて。さらになんだか凄まじくキモくて。あまつさえ、自分は妹に襲われていたような……?
 考えるのをやめたほうがいい気がして、彼は小さく呻いた。耳聡く捉えたのか、鬼蜘蛛がすぐさま反応する。
「いかがなさいました……? お暑うございますか?」
「あ、いえ。大丈夫です。帯に手かけないでください」
「なにか、お飲み物でもお持ち致しましょうか」
「いえそれも結構です! だ、大丈夫ですから、ほんとに」
 また二十年物の麦茶などを持ってこられてはたまらない。焦る勇弘に、左様でございますか、と彼女は罪のない笑みを浮かべた。そよそよと風を生み出すうちわも、間をもたす役には立ってくれない。
 別に、何を喋らなければならない、などということもないのだが。
「……ん」
 ふと見上げると、天井の隅に目目連が現れていた。ふたつみっつだけ集まって、ちらちらとこちらの様子を窺っている。その存在自体が相当に異様であるのに、チラ見などしても意味はないと思うのだが。
 ふ、と鬼蜘蛛が短く呼気した――何か意味があるようにも見えない、ろうそくの火も消せないようなひと吹きであったのだが、ぽとぽとと目玉が壁から剥がれ落ちる。ぴち、と畳に張り付き、そのまま消えていった。
 コメントできずにいると、彼女は困ったような笑顔で言う。
「申し訳ございません。毎度毎度、不躾なことばかりで……」
「……いえ。……あの、鬼蜘蛛さん」
「何でございましょう」
「妖怪って……普段、何してるんですか?」
 しばらく、答えが返ってこない。
 見上げると、鬼蜘蛛はやはり曖昧な笑顔のまま首を傾げていた。そんなに変なことを聞いてしまったのかと、焦ったような気分にさせられる。
「や、その……俺たちが来てからは、なんてゆーか、怖がらせようと色々狙ってるのかなって漠然と思ってたんですけど。そうじゃない時とか……今でも、ずっとそうってわけじゃない、ですよね?」
「それは、無論……左様でございます。失礼致しました、かようなご質問は初めてで、いささか面食らってしまいました。あたくしも修行が足りません」
 修行うんぬんが関係あるようにも思えなかったが、妖怪に平素を尋ねる輩など、それはそうそういなくて当然だろう。かなりレアなことをしてしまったのかもしれない。