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妖怪ヶ島 1
「そのとき、川上から大きな桃が、どんぶらこーどんぶらこーと流れてきたのでした」 と、やや平坦な声で読み上げて、勇弘は分厚いページをぱたりとめくった。 珍しく日差しの柔らかな、過ごしやすい午後である。正弘はバイトに出ているし、美希も二日ほど前、めでたくパート勤めをすることに決定したので、今家にいるのは彼と美織だけ。少ない私物の中から絵本を差し出し、読んでーとせがむ彼女の相手をしているのだ。 「おばあさんは、かなりびっくりして――」 「おにーちゃん」 縁側にあぐらをかいた兄の膝元におさまり、挿絵に見入っていた美織が言う。珍しいほど見事にハマりきったほのぼのな構図ではあるが、彼女はページに描かれた桃を不思議そうに指さした。 「どーして、このモモこんなおっきぃの?」 「……いや、それはお兄ちゃんにもわからないけど。きっとそういう種類のモモなんだよ」 「えぇ〜っ! スゴいスゴーい、ほしい!」 「……。まぁ、うん……父さんにでも頼めな」 美織はもともと、一人で遊ぶのがあまり得意な子ではなかった。 根本的に身体を動かすことが好きなようで、大人しく座っていることなどまずない。今でこそこういう状況下だが、以前住んでいたマンションでは、友達と一日中鬼ごっこなどをしていて迷惑がられたものだ。勇弘が、テレビゲームの類に大して興味を持たなかったことも、少々関係しているかもしれない――今も、いわゆる女の子らしさとはかけ離れた、半袖のTシャツと半ズボンを着ている。 ともかく遊ぶことが大好きな、はしゃぎたい盛りのお子様なのである。 だからこういう風に、本を読んでほしいなどとせがんでくるのは初めてのことだった。美希にしているのも見たことがない。情操教育にはよかろうと、暇潰しも兼ねて引き受けた勇弘であったが、 (桃太郎とか、何年ぶりだろ……この問答無用さが逆に懐かしいよ、ほんと) 地味に楽しんだりもしつつ、妹に続きを読み聞かせるのであった。 「おばあさんは、『あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ』と桃に唄いかけました。すると、桃はどんぶらこーどんぶらこーと、おばあさんのほうへやってきました。おばあさん――」 「おにーちゃん!」 朗読を遮り、美織が顔をあげる。なぜか素直に振り向くのではなく、ほぼ真上を見上げるようにして覗き込んできながら、 「どーしてこのモモ、おうたでちかづいてくるの?」 「……。お前な……」 思わず半眼で見下ろす。なんというか、こういった昔話に不可欠な、前提としての不思議というやつが、彼女にはどうにもわからないようだ。意味不明でしかないのだろう。気持ちはわかるが、そこはそれ、ツッコんではならない部分というやつである。 いずれ世渡りにも必要になる、妥協の精神を伝授しておこうかとも思ったが――ふと気が変わって、勇弘はまじめな口調で言った。 「実はな。このバーさんは魔女なんだよ」 「え……えぇ〜っ!? まぢょ!?」 「『ぢょ』て。いやまぁ、うん、そんな感じなんだ。だから桃も寄ってくるんだよ」 感心したように頷く美織。少々罪な気もしたが、面白いのでそのまま続ける。 「おばあさんは桃を拾って、家にもって帰りました。おじいさんと一緒に食べようとすると、なんと桃から元気な男の子が生まれたではありませんか」 「おにーちゃん! なんでモモから生まれるのっ?」 それを問うのは、この物語を根本から瓦解させかねない、いわば禁忌に近い行為なのではあるまいか。 しかし勇弘は大して迷わず、ぱらりとページをめくって答えた。 「実はこの男の子は、魔女であるこのバーさんの術によって創られた、人造人間モモタローなんだよ」 「じんぞ〜!? な、なんでー!?」 「魔女に敵対する鬼を倒すためだ。だから、ほら、鬼退治にでかけるぞ」 武具甲冑に身を包んだ桃太郎が、キビ団子を受け取って出陣していく場面にさしかかる。普通なら目を輝かせてこれからの冒険に期待するところであるが、桃太郎に対する美織の視線には、哀れむようないたたまれないような、微妙〜な色が混ざっていた。 吹き出しそうになるのを堪えて、続ける。 「桃太郎は、旅の途中で犬に出会いました。『桃太郎さん、キビ団子をひとつください』『鬼ヶ島に、おに』――」 「おにーちゃん! どうしてこの犬喋ってるの〜!?」 「え〜と……たぶん、うん、元は人間だったんじゃないかな。魔女の呪いで犬にされてるんだよ。 犬を家来にした桃太郎は、次に猿と出会いました。『桃太郎さん、キビ』――」 「おにぃちゃんっ! このサルは、サルはっ?」 「あー、これも元は人間なんだよ。一番人間に近いし、これはもしかしてほんとにそうかも。いや何でもない。ちなみに、このキジも元人間だぞ」 「ふぅ〜ん……!」 インチキ情報盛りだくさんの昔話を、勇弘はさももっともらしく語り聞かせていった。 彼にしては珍しいほどのお茶目だが、すべてを真に受けてくるくる表情を変える、美織の反応が実に面白いのだ。書かれていないこと、イコール聞かなくていいことをいちいち聞いてくれるものだから、とても嘘がつきやすい。 「――そして、桃太郎は鬼たちが貯めていた宝物を持って、おじいさんとおばあさんのところへ帰ってきました。めでたしめでたし……と」 さんざん嘘こいて、読み終わる。ぱたんと絵本を閉じて、美織に渡した。 「ほぁ〜〜〜……」 彼女は大きく息をつき、改めて感心しているようだった。しばしまじまじを本を眺め、やがて胸に抱いてにひーと笑う。 「おにーちゃん、ありがと〜」 「どういたしまして」 「ミオもよんであげてくるね!」 「うむ、行ってこい」 言うなり、すてててと駆けてゆく妹の背を、いつになく晴れやかな笑顔で見送った。大変可愛い妹であると思う――いつか「疑う」ということの意味を教えなければならないのが、まことに残念でならないほどに。 「バーさんが魔女なわけねーだろが……怖すぎるぞそんな桃太郎」 苦笑して、あくびして、ごろんと畳に寝転がってみる。首だけ曲げて、庭を眺めた。 雲が多いというわけでもないが、太陽が気まぐれに手加減してくれているのか、地面の灼け具合はミディアム寄りのレア、といったような程度である。蝉の合唱は相変わらずだが、ここ最近の猛暑を思えば格段に過ごしやすい。表から回ってきたのだろう、てってけてーと美織が庭を横切っていくのを見やりつつ、このまま昼寝も悪くないな、と勇弘は両目を閉じかけた―― 「……って、おい。読んであげてくる、って……誰にだ? 美織のやつ」 呟き、体を起こしたその時。 なにやら不可解な音を聞いた気がして、彼は玄関のほうを振り向いた。 ちりーん と、まこと夏には似つかわしく。 涼しげなその音を正面から聞いて、しかし勇弘は半眼であった。門に手を掛けて横に押し開けた、その体勢のまま沈黙する。初めて妖怪に出会った時のように――嫌な形容である――とっさのリアクションが起こせない。 門の前に、一人の僧侶が立っていた。 白い法衣に、黒の上掛け。片手で錫杖をついており、坊主と山伏の中間をついたような、微妙な空気を漂わせている。こちらを見ている気配はあるが、時代錯誤な菅笠(すげがさ)をかぶり、ついでに顎を引いているらしくその目元は窺えない。ただ、たっぷりと胸にかかる白い顎髭が、相手の高齢を示していた。 ちりりーん 錫杖と逆の手にある鈴が、叩きもしないのに軽やかな音をたてる。 こういう人種に詳しいわけではないが、この格好、雰囲気はどう考えても、仏道に関わるお坊さんなのだろうと勇弘は推測し、同時にその全てを疑った。自分が見たものも、己が目も、果てはこの状況そのものも。まったく動かない二人の間を、ジジ〜〜〜と間抜けに鳴きながら、蝉がふらふら通り過ぎてゆく。 |