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妖怪ヶ島 3
「すると、なんとモモから、ゲンキな男の子が生まれたではありませんかー!」 大きな声で読み上げて、美織は笑顔でページをめくった。 広々とした、十畳ほどの和室。普段はあまり使われていない、二階にある二間のうちひとつである。ベランダに干された数少ない洗濯物が、山神家の現状示唆とともにわずかな生活感を醸し出している。ちり埃こそ落ちていないが、畳は黄ばみ床板は鳴る、なかなかの状態だった。窓にガラスもまだ嵌っていない。 色々と探し回るうち、ここへやって来たのだろう。部屋の真ん中で絵本を広げ、美織は改めてにっこりした。覚えたての話を披露する、無邪気な喜びが顔全体から滲み出ている。太い線で単純に描かれた、絵本ならではのキャラクターをびしりと指さし、 「これ! これがね、モモタロー。これから、オニたいじに行くの!」 『イツマデ?』 そんな彼女に応えたのは、掌サイズの人面鳥――妖怪以津真天である。蛇の鱗に覆われた奇怪な容貌の小鳥であるが、五羽ほどが仲良く雁首を揃え、絵本の縁に並んでいる。美織がページをめくる度、ぱたぱたと低く飛び上がったりして、地味に楽しげな風ではあった。ちなみに、決して「いつまで鬼退治にいくのか」などと気の利いた質問をしたわけではない――イツマデ、としか喋らないのである。 絵本の傍らには、尻尾が二股に分かれた妖猫、猫叉の姿もあった。紫がかった黒い毛並みをもつ、神秘的な雰囲気の大きな猫だ。退屈そうに寝そべっているが、時折耳をピクつかせ、こちらも話を聞いているらしい。 事もあろうに、美織は妖怪を相手取って、妖怪退治の物語を朗読しているのであった。本人まったく気にしておらず、というかなぜか妖怪たちが嫌がる素振りを見せないので、機嫌良く続けているわけだが。 「そいでぇ。モモタローは、じんぞー人間なの。おばーさんがマジョで、オニガシマにやっつけに行くの!」 『……イツマデ?』 『イツマデイツマデ。イー、ツマデ』 『イツマデ〜』 妖鳥たちは顔を見合わせ、首を傾げつつなにやら喋っているが、さすがの美織にもその内容はわからない。ので、くりっと顔を猫叉のほうに向ける。 「ネコちゃん。なんて言ってるの?」 『……ジンゾーニンゲンってのと、マジョってのがよくわかんないって。あと、オニガシマは聞いたことある、だって』 質問に、堂々と猫が人語を操る。 美希が見たらまた卒倒しそうな光景だが、この猫叉が喋れるということは、人間側では美織しか知らないことなのだったりする。最も妖怪と距離が近い故だが、それも彼女の無邪気さの為せる業なのだろうか。 それはいいとして、 「んとね、じんぞーとかマジョとかは、ミオにもよくわかんない!」 どきっぱりと言い切って、美織はまたページをめくった。 「でも、きっといい人だよ。あ、でもマジョはわるい人かも。だってね、この犬とサルとキジはほんとは人間なんだけど、マジョがわるいからいっしょにオニガシマに行くんだよ!」 『イツマデ〜……』 「ネコちゃん?」 『人間の話は難しいね、だって』 うんっ、とこれまたきっぱり頷いて、ページをめくる美織。二ページまとめてめくってしまい、桃太郎たちと鬼軍団が入り乱れて戦うシーンが飛んでしまうが、やはり気にした様子はない。なんともアバウトな桃太郎である。 「そして、モモタローはオニたちがためていた宝物をもって、おじーさんとおばーさんのところへかえってきました。めでたしめでたし!」 ばたんっ、と絵本を閉じ、彼女は満面の笑みを浮かべた。わかっているのかいないのか、ともかくも以津真天たちが翼で器用に拍手する。一羽が本のページに挟まれ、じたばたと苦しげにもがいているが――構わずそれを胸に抱き、そうだ! と美織は立ち上がった。 「オニたいじにいこー!」 『……イ?』 「オニたいじ! ミオがモモタローで、イツマデさんがキジ! ネコちゃんが犬で、ええとー、ええとー……」 横文字でもないのにカタカナを乱発し、美織は周囲を見回した。しばらく眉をひそめた後、部屋の片隅にだだだッと駆け寄り、ばしばしとその『空間』を叩く。 「一つ目さん! 一つ目さん!」 『うわっ、わっ!? 痛い痛い!』 悲鳴をあげつつ壁際から現れたのは、小坊主の格好をした妖怪だった。顔の真ん中にたったひとつだけ張り付いている大きな瞳を、驚きと恐怖と痛みに歪めて甲高い声で叫ぶ。 『な、なんで!? なんで見えてるんです、姿は消してるはずなのに!?』 「そんなのしらないよ! ね、一つ目さんがサル! おサルさんやって。ねっ?」 『さ、サルって……なんでですか!? ちょ、猫叉さん、なんか言ってくださいよ!』 『知らないわよ……。あたしは犬らしいしね。サルとは、仲が悪いんじゃない?』 にやりん、といたずらっぽい笑みを浮かべる猫叉。そんなぁー、と一つ目を潤ませる小坊主の肩に、ケラケラ笑いながら以津真天が舞い降りた。どうやら、キジ役はそれなりにやる気らしい。なんとも付き合いのよいことである。 美織は、隅に落ちていたハタキを拾い、しばし考えた後ズボンのベルト穴に通した。刀よろしく片手を添え、もう片手でしっかと一つ目小僧の手を握る。 「じゃあ、オニガシマに向かって、しゅっぱぁーつ!」 『お、鬼ヶ島って、どこですか……?』 基本的な質問を無視ぶっちぎり、彼女は妖怪軍団を引き連れて、意気揚々と和室を出て行った。しかし、目指すは階段ではない。 『イー! ツマデ♪ イー! ツマデ♪』 おなじみのハレルヤコーラスを響かせつつ、妖鳥以津真天がくるくると旋回する。腰に備えたハタキをぴこぴこ、一つ目小僧の手を無意味にふりふり、美織は廊下に出てすぐ九十度曲がった。彼らの後ろを、しんがりを守るようにしゃなりしゃなりと猫叉が歩いてゆく。 桃太郎遠征というよりは、プチ百鬼夜行といった風情であった。 「むっ!」 『……ど、どうしました?』 突然、何の前触れもなく横っ跳びし、ぴたりと壁にはりつく美織。勢いが良すぎてゴンと後頭部を打つが、なんら気にした様子はない。目線は、今までいた部屋の隣の座敷、その入り口付近に向けられている。 怪訝そうに問う一つ目小僧に、彼女は至って真剣な表情で言った。 「この中に、何かいる……オニだ!」 『は? い、いやいや、そんなバカな――』 「とつげきぃー!」 正面突破あるのみとばかり、美織が室内に飛び込んでゆく。ズボンからハタキを抜刀しようとするが、ふわふわが引っ掛かってなかなかうまくいかない。それでも気にすることはなく、高らかに唄い舞う以津真天たちを引き連れ、彼女は歓声を上げてどたどたと走り回った。 が、当然のことながら、何もいない。隣室と同じような構造の和室が、静かな佇まいをみせているのみである。こちらにはベランダもなく、ダンボールで目張りされた窓が中途半端に閉じているので、薄暗さだけは倍加していた。 「……みゅぅ〜……?」 『ほ、ほら、何もいないでしょ?』 結局流されて、一緒に突撃カマしてしまった一つ目小僧が言う。美織は、いわゆる『油断なく周囲に気を配る』といったような雰囲気で室内を見回し、ハッとして壁に向き直った。 「押し入れだ!」 びしりとフスマを指さし、断言口調で叫ぶ。一つ目小僧の目が点になった。 『へ?』 「かくれたんだ! 逃がさないぞ、それーっ!」 彼女にしか見えない何かを追いかけ、すぱーんとフスマを引き開ける。がらんとした中に突入し――当たり前であるが狭すぎて何もできず、石垣に毛皮をこすりつけて走る暴れイノシシのごとく、壁際に沿ってぐるぐると周回した。それがとても楽しいのであることは、満面の笑みが遺憾なく物語っている。 薄暗い中を五周ほどした後、美織は逆側のフスマを力一杯開け放った。げんなりした表情で覗き込んでいた一つ目小僧が、思いきり顔を挟まれる。うずくまってしまったところに、もう一枚フスマが直撃して、哀れ小坊主はその場にころんとひっくり返ってしまった。 「ああっ!? 一つ目さ、ちがう、おサルさんっ!」 『うぅぅ……サルぢゃないです……』 ひとつしかない目玉に涙をにじませ、それでも彼は抗弁した。 美織はダダッと駆け寄り、両膝をつき、倒れた妖怪に手を伸ばしかけてやめ――突然、明後日のほうをキリッと睨んで、小さな拳を口惜しげに握りしめた。 「おのれ……オニめ! よくもサルさんを……!」 『恐ろしい子ね、この子』 ぽそりと漏らした猫叉の呟きは、お気楽に舞う以津真天にしか聞こえてはいなかったようだが。美織は一つ目小僧の手を掴み、ずりずりと引きずりながら言った。 「オニをこのままにはしておけない! 早くたいじしなきゃ。いくぞー!」 『イツマデー』 『猫叉さん、なんとかしてください……』 『無理』 即席桃太郎の一団は、和室を出て階段へ向かっていった。 |