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妖怪ヶ島 4
ビュビュビュビュッ ブンッ 鋭い風切り音とともに、錫杖が突き出され、振り回される。 勇弘は腰ごと上体を屈め、殺人的な一撃をかわした。これで何度目か覚えてもいないし、そんなことを考えている暇もない。目の前の老人、謎の僧侶常円が、まさに休む間もなく打突を繰り出してきているため、一瞬たりとも気を抜くことなどできないのである。 「むうぅぅぅぅぅんッ!」 随分とエキサイトした奇声をあげ、常円が跳びかかってくる。常識的に考えて、その踏み込みも棒を振る速度も、老人が持ち得るスピードではない。まともにくらえば、人間どころか牛でも昏倒せしめそうな一撃――それを勇弘は、素直に真後ろに退がってかわした。距離が開き、一瞬お互い動きが止まる。 すぐに間を詰めてくるかと思いきや、僧侶は一歩後ろへ退がった。ブブブブンッ、と錫杖を振り回し、再びぴたりと腰だめに構える。呆れるほど洗練された所作に何も言えずにいると、すい、と老人の背中から少女の顔が現れた。とろんとした垂れ目でこちらを見やり、それでも幾分驚いたように言う。 「あなた……本当にただの妖怪じゃなさそうね。体捌きだけでここまで粘るなんて」 「あ……あのなぁ……!」 この屋敷に越してきてから、およそ考えられないような事態ばかりを経験し尽くしたつもりでいたが――勇弘は己の間違いを正した。まだまだ世の中ナメてはいけない。 まさか、自分が真っ正面から、人外呼ばわりされる羽目になろうとは。 「一体、何者なの? なんていう妖怪? 新種だったらちょっと嬉しいかも」 「俺は、妖怪、じゃない! 人間だってのっ……!」 ぜいぜいとあがった息を整えながら、勇弘はそう怒鳴った。いくら珍しく日差しの緩い日だとはいえ、今は夏のど真ん中である。錫杖から逃げ回ったのは正味一分ほどだが、幾筋もの汗が頬を伝った。運動不足を痛感する。思えば、引っ越してきてから約一ヶ月、まともに体を動かしていなかった。 安藤緋梨は小首を傾げ、ちらりと横目で常円を見た。ようやく観察する余裕が出てきたが、かなり小柄な少女である――可愛らしい垂れ目をはじめ、顔のパーツもどこか穏やかで、今しているようなぽや〜んとした表情が至極似合っている。服装のチョイスや言葉遣いなどから、大人びた冷静な雰囲気を感じていたが、実は結構年下なのかもしれない。 祖父と孫、という関係なのだろう、老爺も彼女を見て小さく呻く。 「うむぅ……」 「ええ、そうね。そんなはずないわ。ここには妖怪しか棲んでないもの」 「……ど、どういう理屈だ……!?」 色々な意味を込めて、勇弘はぐったりと呟いた。 呻き声ひとつで意思疎通しているらしいこともそうだが――いくらここが妖怪屋敷だからといって、どうして自分を妖怪だーなどと思えるのだろうか。いくらなんでも見ればわかるはずである。空も飛ばなければ物もすり抜けないし、汗だってかいているではないか。 (あ、でも、ろくろ首とかも汗かいてたっけ……? わっかんないからな、ここの妖怪はほんとに) この屋敷に棲んでいるものたち以外の妖怪を知っているわけではないが、やはりなんとなく特別な気がするのだ。人間相手に怖がる連中だし。自身は全然怖くないし。 ようやく呼吸を整えて、勇弘は言った。 「大体、あんたらは何なんだよ……いきなり家の前に立ってると思ったら、除霊だのなんだのわけわからないことを。一体何しに来たんだよ、人んちに?」 言葉尻を強調するが、緋梨は涼しい顔で鼻を鳴らした。 「何しに来た、なんて決まってるじゃない。この屋敷に棲む妖怪を退治しに来たのよ」 「それをじーっと俺見つめながら言わないでほしいんだけど……。なんでそんなことするんだよ。うちは別に、頼んでねぇぞ?」 「頼む? ふ、世迷い言を……妖怪が封妖頼んでどうするのよ」 どうやら、是が非でも勇弘を妖怪にしてしまいたいようである。それにしても古風な喋り方だなぁ、と肩が凝るような感覚を味わっていたのだが――その時。 何の前触れもなく、常円がその身を大きく翻した。向かって来るのかと思えばそうではなく、半身に構えてヒョンヒョンと、縦横無尽に錫杖を振り回す。チャイニーズの拳法映画も真っ青の技巧を刹那見せつけ、びたぁっ、と『魅せポーズ』を極めて動きを止めた。 「わたしたちは!」 その背後から肩に逆手を掛け、バッと緋梨が宙を舞った。新体操の選手もかくや、といった具合の素晴らしい跳躍を見せ、着地際もすたりと美しく極めると、両手を掲げてこちらもポーズをとる。 老僧と少女、という異様な取り合わせでなければ、どこぞの正義のヒーローっぽく見えたかもしれないようなビジュアルであった。呆気にとられる、というか素直に呆れる勇弘に向かって、高らかに続ける。 「この世に寄り来る邪悪を排し、闇夜の平和を保つ者! 幽霊妖怪なんでもござれ、影あるところに我等あり!」 「ぅむ!」 「超! アグレッシヴな封妖法で、ご近所の奥様方にも大人気! 律成宗考観寺派、破邪の巫女緋梨と破魔僧常円――ここに、見・参ッ!!」 カカンッ と、拍子木が鳴ったような錯覚を勇弘は覚えた。実際、いかにも歌舞伎くさい感じに、二人のポーズは変化している。そのまましばらく止まっていたのだが、やがてまた両目をとろんとさせて、緋梨が口を開いた。 「……拍手、とかは?」 「ないです」 思わず素で答えてしまう。そう、とやや残念そうに呟いて、緋梨はポーズを崩した。いそいそと常円の背後に戻り、それでもどこかしら満足げに続ける。 「ともかく、そういうわけなの。リベンジを誓って約半年、再びここで相見えた最初の妖怪があなたなのよ。だから、早く退治されて? 素直に諦めて終わっちゃって?」 「って、だからなんでだよ!? 大層に言っといて結局それか!? 妖怪の専門家ならもっとちゃんと見分けろ! 俺を退治したところで、闇夜の平和が保てるかッ!」 我ながら的確なツッコみだったと思ったのだが、彼女はふーぅと長く息をついた。やれやれ、といった風である。そのリアクションはこっちのもんだろが、と勇弘は低い唸りを漏らした。 「う〜。……?」 ジリ、とわずかな音を聞き留め、彼は睨むように常円を見た。わずかに重心が移動したことで、足の裏の砂利が鳴ったのだ。それはこの場合とりもなおさず、再攻撃の予備動作としか受け取れない――構えから見て、奇をてらわない突きがくる。 勇弘は一歩退がろうとした。が、半歩ほど踵を引いたところで、コツンと何かに当たってしまう。 そこでようやくハッとした。振り向かずともわかる、背後にあるのは引き戸だ――いつの間にか、玄関口にまで後退してしまっていたのか! 慌てて回り込もうとしたが、それは当然遅すぎた。 「むぅアッ!」 ここ一番の気合いとともに、錫杖が真っ直ぐ飛んでくる。それは半ば無理矢理、勇弘に覚悟を完了させた。なぜなら、 (避けたら、玄関の戸が壊れる!?) それはなんとも勘弁である。 「っぐ!」 ガツッ、と激しい衝突音。 常円が、驚いたように両目を見開く――指を丸めて金具を止め、もう片方の手で柄を掴んで、勇弘が錫杖を受け止めていた。じんわりとした、熱い痛みが掌に走る。思わず顔をしかめるが、ともかくも武器を封じることができた。 「……なんてこと」 小さな声。常円のものではなく、どこかしらのほほんと観戦を続ける緋梨の声だった。言葉とは裏腹のお気楽な様子で、音を出さずに拍手している。 その、極めて一方的な余裕をにじませた態度に、遅蒔きながら怒りのようなものがふつふつと心に沸いてきた。錫杖を抱え込んで自由を奪い、改めて勇弘は二人を睨みつける。まさか、素手で殴りかかってくることもないだろう――そうまでなったら、いよいよこちらも必死にならねばならないが。 「あ、あんたらな……除霊だの、妖怪退治だのもいいけど。いい加減話を聞けっての! 俺は先月、ここに――」 その時。呆けたような表情だった僧侶の口元に、再び笑みが生まれた。まことこの場にふさわしい、しかし老人にとことんそぐわない――好敵手に巡り会えたことを喜ぶかのような、不敵な微笑。 怪訝に思って言葉を切る。瞬間、常円が錫杖を握りなおした。完全に固定され、引いても押しても体勢が崩れて不利になるはずの長武器を、なぜかしっかりと握り込んだのだ。 そして、今度は怪訝に思う暇もなく。 勇弘の踵が、ふわりと浮き上がる。 「……へ?」 間の抜けた声を漏らして見下ろすと、足の裏が完全に地面から離れていた。頭に血管を浮き立たせ、どっしりと踏ん張った常円が、一本釣りでカツオを釣り上げるように、彼の体を持ち上げているのだ。 「むうぅおぉぉぉぉぉッ!」 老人の、いや、人間の膂力ではない。 ああそうか、と勇弘は思った。事ここに至って、ようやくである。この炎天下、あれだけ動いて汗ひとつかかず、さらには自分をこの状況で宙吊りにするという、物理的な矛盾。 つまり、 「おっ……お前が妖怪かあぁぁぁぁぁッ!?」 引きつった表情で盛大に叫びつつ、勇弘は中庭のほうへ投げ飛ばされてしまった。 |