孫子の兵法 9


 和やかにたわむれる異様な一団を、それでも正弘は微笑ましく眺めた。
 財布捜しを妖怪に手伝わせようという、よく考えたら吹っ飛んだ発想の娘を、むしろ誇らしく思っているのだ。世界広しといえど、手拍子ひとつで妖怪を操れるのは山神美織くらいのものだろう。
「美織。妖怪さんたちに、心当たりはありそうかな?」
「う〜ん? イツマデさん、おサイフどこかわかる?」
『イツマデ! イツマデイツマデ〜、イーツマデ〜』
 相も変わらず、要領を得ているのかどうなのかすら判然としない答えが返ってくる。
 美織が黒猫に顔を向けると、こちらは長いヒゲをぴこぴこやって苦笑した。
『う〜ん……これは、言っちゃっていいのかしらねぇ』
「ネコちゃん?」
「どうしたね。心当たりがあると言っているのか?」
 心当たりっていうか――と言葉を切り、猫叉は賢しげに光る目で正弘を見上げた。
『その財布が戻ってきたら、アジの刺身でも食卓に並ぶのかしら?』
「……むぅ。……よし、約束しよう」
『にゃん。以津真天が言うには、ろくろ首が持っていったらしいわよ、財布』
『おいコラ!?』
 びよーん、と屋根の上からちょんまげ頭が落ちてきた。
 ここのところの登場シーンがなにより個性的になってきた、エセ侍妖怪ろくろ首である。真っ赤な顔で黒猫を睨み、町人鈍りでまくしたてる。
『おめぇーは何をさらりとバラしてやがんだ!? 俺様の計画を、今日一日の苦心を、アジの刺身ごときで売るんじゃねぇっ!』
『失礼ね。バラしたのは以津真天よ』
『通訳したのはおめぇだろーが!? 一体どういう了見でい、こちとら少しでも早く追い出してやろうと必死こいてんのによ!?』
「……ろくろ首くんなのかね? 財布を、その、盗んだのは」
 おうよっ、とやたらきっぱり答えてくる。
 ろくろ首は一旦首を引っ込め、バッと夜空に跳びだした。くるりと小気味よく宙返りして、鮮やかに着地する――かと思いきや、草履が滑って転んでしまった。眼鏡の形をした池の囲いに、ゴチッと顔面を強打する。
 衆人沈黙の中、一、二度ぴくぴくと彼は痙攣し、しかし次の瞬間身を起こした。額に面白いほど石の跡をつけ、何事もなかったかのように自らの胸をどんと叩く。
『お……俺様をナメんじゃねぇぜ、べらぼうめぇ!? てめーらの弱点は金だろう。へへへ、もう今までのようにゃいかねぇぞ……!』
「……痛々しいな。どうコメントするべきか」
「なに? お財布見つかったのってきょえぇぇぇぇいッ!?」
 どたどたと縁側にやってきた美希が、ろくろ首の姿をみとめるや否や、悲鳴をあげて巻きシーツに変化した。一瞬の早業である――すとんとその場に尻もちをついたと思ったら、もう真っ白く包まれてガタガタ震えている。
 徐々に人間離れしてゆく妻をうろんな目つきで眺め、正弘は小さくため息をついた。放っておこう、と気を取り直して、ろくろ首に問う。
「それで。財布はどこにあるのかね?」
『おう。って、それを教えちゃあ話にならねぇだろッ!』
 にょい〜んと首を伸ばし、なにやら歌舞伎じみたポーズまで極めてくれる。今更なことだが、誰かに道から覗かれでもしたらえらいことである。
『財布を返してほしかったらなぁ、荷物まとめて早々に、この屋敷から出ていきやがれ!』
「そりゃ無理だ」
『即答すんな!? 無理でもやるんだよ! でねぇと、てめーらの大切な財布とやらが、二目と見れない有様になるぜ……?』
「むぅぅ。余計な知恵をつけおって……致し方ない。とうッ!!」
『うおああ!?』
 妖怪たちが仰天する。
 唐突に正弘は両手を広げ、天高く舞い上がらんとする鷲のごとくに構えたかと思うと、縁側を蹴りつけて勢いよく飛び出したのだ。赤がトレードカラーの空飛ぶ豚さながら、巨体を踊らせて襲いかかる――とっさに身をかわしたろくろ首の真横に着地したかと思うと、裸足を擦ってズサササと間合いを取った。
『おおおおお!?』
 そのスピードたるや、一介のタヌキオヤジには到底成し得ない俊敏さである。大きく退いたろくろ首も、伸ばした首を震わせて驚いている。
『お、おめっ……い、いきなり何しやがんでぇ!? やんのか、こっ、こんにゃろ』
「ふふふふふ。衰えたりとはいえ、わたしも山神勇弘の父なのでね……ところで、これは何かな?」
『――なにっ!?』
 不敵に片手を掲げる正弘。
 その手には、丁寧に漆の塗られた一振りの鞘が、がっしりと握られていた――無論、刃を納めたままの、ろくろ首の刀である。慌てた妖怪が腰に手をやるも、そこに佩いていた獲物はない。
『い……いつの間に』
「今の間だ。ユウから聞いたが、君は随分と刀に入れ込んでいるらしいぢゃないか。さしずめこれもその一本、というところなんだろう……? なんという銘なのだね?」
『そ、そいつぁ妖刀羽星ってんだ! 返しやがれ!』
「ウスター。独特な名だな。しかし、返せと言われて従うわけにはいかんよ……」
 ずらり、と妙に貫禄ある仕草で、彼は妖刀を引き抜いた。
 なるほどよく手入れされているらしく、鎬筋、刃紋ともにくっきりと美しい。心なしか、刀そのものが薄紫に発光しているような雰囲気すらあった。妖刀と銘されているのは伊達ではないらしい。
 正弘の浮かべる邪悪な笑みが、磨きぬかれた刀身に影を落とす。
 武器を奪われた動揺が大きいのか、ろくろ首はまた一歩後退った。が、それでも居丈高な調子で怒鳴る。
『な、なにをするつもりでい、てめぇっ!?』
「さて……なにをしようかなぁ。刀を持ったのだからして、試し切りなんて楽しそうじゃないか。この、最初から庭にあるけれどいまいち存在価値のわからない、やたら大きな御影石などはどうかな――」
『やっ、やめろぉぉぉぉ!? そんなことしたら刃がこぼれる! 下手したら、お、折れちまうだろが!?』
「ならば、もうわかるだろう。この妖刀を返してほしければ、先に我々の財布を返すのだ……!」
 ぐぬぬぬぬ、とろくろ首が歯噛みして呻く。
 むふふふふ、と正弘が意味なく刀を構える。
 しばし、場は膠着したかに見えた。コスプレ首長、銃刀法違反親父、双方ともに動かない。先に動いたほうが負ける――というほど真剣な立ち合いでもなかったが。
「あの〜〜〜……」
 沈黙を破ったのは美希の声だった。
 どこか申し訳なさげに、おずおずと挙手までして発言する。
「なんか盛り上がってるところ、申し訳ないんだけど……あったの」
「うむ、盛り上がっているのだ。なにがあったんだね?」
「お財布が」
「そうか、財布があったのか。…………は?」
『なぁにいぃ〜〜〜っ!?』
 くるまっていたシーツを畳み、美希は片手でそれを掲げた。
 ぺらぺらと哀しく薄っぺらい、小さな茶色い皮財布。確かに、普段から彼女が持ち歩いている、山神家最重要物品である。
 喜ぶべきことだがタイミングを失い、正弘は小首を傾げつつ言った。
「見つかったのは、うむ、良かったが……一体どこにあったんだ?」
「それが、その……くるまってたシーツの中に」
「…………。そりゃまた、美希らしいことだな……」
 なんとも肩すかしな話である。
 正弘は苦笑して、ともかくも刀を納めた。もう少しゆっくり観察したい気持ちもあったのだが、
『ちょ、待てコラ!? それが財布だと!? そんなバカなことがあっか!』
 慌てふためいたちょんまげ頭に、バッと奪い返されてしまう。
 ひいっ、と座敷に逃げ込む美希には目もくれず、ろくろ首は滑り込むように膝をついた。縁の下を覗き込み、ばしばしと平手で地面を叩く。
『長! ちょっと長、預けてた例のアレ、返してくだせぇ!』
「はいは〜い……」
 心の底から無関心な声。
 次いで唐突に、閉まっていたブラインドが開くような具合で、茶髪の少女が出現した。湿っぽい地面に片肘をつき、表情の欠片もない顎を支えている。もう片方の手の指には、小さな桃色の巾着袋を引っかけていた。
 ろくろ首が受け取り、口を開けて逆さに振る。
「あ〜〜〜っ!?」
 美希がなにやら叫ぶと同時、ざざーっと大量の物体が袋から流れ出てきた。
 ろくろ首の手が受け止めるものの、大半はこぼれて地面に落ちてしまう。ピン、と跳ねた大きなひとつを、長の指先が拾い上げた。
「……なにこれ」
「それ、あ、あたしのボタン入れ! いやぁぁぁなんてこと、なんてことッ!?」
『ぼたん……!? なんだそりゃ? やけにキラキラしてっから、俺ぁてっきりこれが一等の貨幣なんだとぅおわあっ!?』
 どどどどと突撃した美希が、あろうことか両手で妖怪を思いっきり突き飛ばした。
 巾着袋を奪い取り、地面にばらまかれたボタンを泣きながら拾い集める。赤や青や、黄色や緑――大きさや形も色々で、なるほど貨幣的な価値があるのだと思って見れば、そう見えるのかもしれない。
 再び庭石に激突して沈黙しているろくろ首に、正弘はしんみりと憐れみの目を向けた。
「……大丈夫かね?」
『うぅ……な、なんだってんだ……?』
 頭をふりふり身を起こし、ついでに首も伸ばし、力無い様子で呻く。
『金が弱点だと思って……貧乏人の財布っつーたら巾着、つぅ相場はどこいっちまったってんだ……!』
「その辺はナリに忠実なのだなぁ……なにやらひどく同情を誘うが。時代は変わりまくったのだよ、ろくろ首くん」
『畜生め……。てめーらよぉ……一体いつ出て行くんだ?』
 うむ? と小首を傾げる正弘。
 妖刀を帯に差し直し、ろくろ首は唇をへの字に曲げた。
『お試し期間とかなんとか、調子のいいこと言いやがって。何がお試しなのか、いまだにさっぱりわかんねぇや……他へ移れるまでどうこうって、確かてめぇが言ってやがったんだろう』
「うむ、そんなことも言ったかな」
『そこらへん、一体どうなってやんでぇ? いつまでいやがんだ、ここに?』
 また直情的にきたものである。
 無論のこと、一ヶ月やそこらで懐事情が改善されるわけはない。ボタンのこともそうだが、やはり彼らは――彼だけなのかもしれないが――人間社会について、まったくの盲目状態のようだ。この街中にあって、考えてみれば少々不思議なことかもしれない。人間に対する好奇心の類は、少なからず持ち合わせているようなのに。
 今更つま先立ちになって、正弘はひょいひょいと屋敷に戻った。縁側に腰掛け、改めてにんまりといやらしい笑みを浮かべる。  勘良く悪寒を覚えたのか、ろくろ首がビクリと尻込みした。
「いつまでいると……思うね?」
 すかさずそう告げる。
『……な……なんだ、そりゃ。おい……!?』
「ふふふ、まだまだこれからじゃあないか。子曰く、彼を知り己を知れば百戦して猶危うからず……逆もまた然りだよ。隙を見せるわけにはいかんな?」
 ろくろ首が顔を引きつらせる。意外、というと失礼だろうか、言葉の意味をちゃんと汲めたようだ。
 そう、隙を見せるわけにはいかない――妻や息子、そしておそらく妖怪たちが思っているほど、彼は楽観的でも短絡的でもないのだ。これまでの駆け引きは序章に過ぎない。生活の勝手もそれなりにわかってきた。
 いよいよ本格的に、じっくり腰を据えて『仲良くなる』ときがやってきたのである!
 自分のこの基本姿勢は、どこか間違っているだろうか?
(いいや、そんなわけはない。怖がりとはいえ、妖怪だって生きているんだ。相手が生物であるならば、解決できないことなどない! 大丈夫! 言葉と真心さえあれば、いつかきっとわかりあえるのだ!)
 夜空に向かって拳を握る。
 口に出していればツッコみも入っただろうが、胸の裡なので誰も何も言えない。決して単純な考えではないが、断じて冷静なこともない。唯一根幹を正してくれそうな人物といえば彼の息子なのだが、果たしてどこで何をしているのやら。
 これからも色々とある。それだけはきっと、間違いない。
 ボタンを数え終えた美希が、安心したように彼の足元で再びシーツにくるまった。


孫子の兵法 了

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