雨降りの日に 6


 妖怪たちはいそいそと、てんでバラバラなほうを向いて素知らぬふりをしはじめた。普段通りを装って、きたる鬼蜘蛛を油断させる――というよりは、こちらは普段通りなので手出ししないでください、という保身の意思表示に思えた。
 いよいようろたえるろくろ首。
 身を震わせるたび、スカートのひらひらとフンドシのぺらぺらが実にうっとうしい。たとえ相手が鬼蜘蛛でなくとも、相対するなり殴りかかられるか通報されるかしそうなビジュアルであった。
『何やってんですかろくろ首、早く隠れてくださいよ!』
『か、隠れるって、なんでい……!?』
『隙を見計らって驚かすんですってば。気合い入れてやってくださいよ!?』
『んなことしたって、鬼蜘蛛にゃすぐバレるだろが――』
 キッ、と小さな音を立て、書斎のドアが開く。
 致し方なく跳び退り、ろくろ首は床の間に姿を消した。一反木綿が舞い戻ってきて、洗濯物の間を抜け、天井近くに滞空する。
 現れたのは、予想されていたよりずいぶんと小さな人影だった。
『……小沙? なんでぇ?』
 ぱたん、とドアを閉める少女を見、濡れ女が呟く。
 折谷戸の鬼蜘蛛の眷属が一、松江の小沙蜘蛛は、無言でじろりと見返した。冷徹極まりない視線に気圧され、しおしおとフレ子は引っこんでしまう。
 彼女は何も言わないまま、座敷の中央へ踏み込んできた。
 ざざ、と妖怪たちが道を空ける様は、鬼蜘蛛への態度と共通するものではあったが――多少気後れしながらも、一つ目小僧が口を開く。
『あ、あの〜。小沙蜘蛛さん? 鬼蜘蛛さんは……?』
『姐様はお忙しいのです。あなたがたにかかずらっている暇など、これっぽっちもございませんわ。用があるなら、わたくすが聞きます』
 微妙に顔を出す地方なまり。
 洗濯物に紛れるようにして、一反木綿がぼそりと言った。
『ま、まぁ、こっちでも、いいかなと、思って』
『はあ? こっちでも?』
『いや、その……』
 片眉を吊りあげて見上げる小沙蜘蛛に、たちまちへろへろと意気をくじかれ、洗濯紐に己が身をひっかける一反木綿だったが――幸いにも、彼の意思は妖怪たちに伝わっていた。
 一つ目とフレ子が顔を見合わせ、愛想笑いを交えつつ言う。
『そ、そういえば、そうですよね。鬼蜘蛛さんよりは、まぁ、ねぇ』
『垣根が低くなったってゆーかぁ、まだどうにかなりそうってゆーかぁ』
『やりやすいわな』
『……ふん。何を企んでいるのか存じませんけど? まぁ下品な顔でお笑いになること』
 ビキ、と愛想笑いに怒りマークが宿る。
 やれやれとわざとらしく肩をすくめ、小さな蛛妖は大きな態度でのたまった。
『今日はまた、えらくにぎやかな雑音が聞こえておりましたわねぇ。本当、人間がいないと元気がよろしくて』
『あ、あんたにだけは言われたくないわよぅ!?』
『せや。自分かてビビリのくせしよって』
『姐様は今、読書にいそしんでおられますわ。あなたがたがムダにどたばたなさると、気が散って本に集中できなくなるかもしれませんのよ……』
 じろ、と部屋中に睨みを利かせる。
 音に聞こえた鬼蜘蛛ほどでなくとも、小沙蜘蛛もまた強力な妖怪である。二口濡れ女などの一部を除いた魑魅魍魎たちは、気圧されるまま後退してしまう。特に気の弱い木霊などは、ぷるぷる震えて手近な隙間に逃げ込んでしまった。
 さすがにムッとしたのか、一つ目小僧が言い返す。
『あのね、お言葉ですけど。なにもオドすことはないんじゃないですか? 大体、主だって騒いでたのは僕たちで、彼らは何も……いつものことじゃないですか』
『フン、いつもやかましいってことじゃございませんか。なぁに、あなた……折谷戸にたてつくつもり?』
『うっ……』
 正面からすごまれ、言葉に詰まる。
 彼も相当小柄ではあるのだが、小沙蜘蛛の背はさらに小さい。言い合いの内容はどうあれ、小学校高学年が低学年にいじめられているような、微妙にほのぼのした構図であった。
 それでも、この場にいる妖怪たちは一つ目小僧の味方である。
 無言のエールを感じ取ったのか、がんばってぐっと踏み留まった。
『た、たてつくって、そういう問題じゃないでしょ!? どうしてあなたは、二言目には一族一族って言うんです! ここに棲んでるのはあなたたちだけじゃないし、僕たちにだってちょっとくらい騒ぐ権利が――』
『把握してないようだから、教えて差し上げますけれど……この屋敷の書斎、敷地内に棲む蜘蛛。すべて折谷戸、一千頭』
 がくん、と一つ目のアゴが落ちる。もう少し驚いていれば、ひとつしかない目玉が飛び出していたかもしれない。
『い……一千、って。え、ま……前は、百とか言ってませんでした……?』
『おっほほほほ、何十年前のお話をしているの? いかに隠棲なさっているとはいえ、姐様のご名声は隠しきれるものではありません。ほうぼうから毎年毎年、眷属に加えてくれとの申し出がございますの。ですから正直、あなたがたは邪・魔』
『そ、そんなの、知らないよぉ!』
『ここは妖怪屋敷や。隙間に入れもせん連中を勝手に集めるそっちが悪いんやろがい!』
 二口が強い口調で言う。
 ギラ、と小沙蜘蛛の瞳に力がこもった。牙を剥きだし、今までとは明らかに違う形相で睨みつける。
 波乱を予感した妖怪たちが、ざざっと四方に身を退いた。
『棲処を追われた負け犬風情がッ! よくもまぁ大口叩けたものですわね? 少しはみじめな自覚をもって、つつましく暮らしたらいかが!?』
『言わせておけばこんガキャァ!? おどれらも大層変わらんやろが、何蚊帳の外気取っとんねん!』
『ふ、フッちん。ちょ、落ち着いて! ねっ?』
『あなたがたごときが、折谷戸の一族に意見するなど百年早いのですわ! なんなら今、ここでまとめて畳んで差し上げましょうか!?』
『上等じゃあ! やれるもんなら――』
『てめぇ!? ぬけぬけとチョーシこきやがって、そういうのはまず俺様に言ってみやがれッ!』
 突如ひびきわたる大音声。
 ハッと振り向く一同の視界に、奇々怪々な物体が飛び込んだ――小沙蜘蛛の毒舌と喧嘩腰のおかげで、完膚無きまでに忘れ去られていたモノ。ざんばら髪を振り乱し、フリルとフンドシを狂おしくなびかせ、螺旋状に首を伸ばして走りくるモノノケの姿が。
 漢、ろくろ首は叫んだ。
『うぅぅぅるあぁぁめえぇぇすいぃぃぃやあああああああああッ!!』
 鬼神じみた迫力。
 非現実の極み。
 狂気の落ち武者ドレス付き。
 笑えばいいのか逃げるべきなのか、とっさの判断を狂わせる勢いである。それは、前もって目にしていた一つ目小僧たちでさえ、思わず浮き足立つすさまじさだった。
『……いっ……!?』
『ううううらああああみいいいいいいいッ!!』
 およそやましくないところなどない、ぶち切れた塊が突撃する。
 立ちすくんでいた小沙蜘蛛は、身を固くして息を詰まらせ――
 そして、片腕を振り上げた。
『ッぎやああああああああああああああああっ!?』
 紛れもない恐怖の悲鳴とともに、小さな拳が繰り出される。
 瞬間。
 その腕が巨大なものに包まれた。
 真っ黒で、尖鋭で、硬い毛に覆われた無骨な何か――ろくろ首の顔面を正面から捉え、すさまじい威力で弾き飛ばす。それはまるで、蜘蛛の脚のようだった。
 デンデンガン、と畳で弾んで壁に叩きつけられる妖怪に、小沙蜘蛛はもう片方の手をも向ける。
『いやああああああああああっ!』
『ちょ、まっ――』
 ばばしゅッと猛烈な勢いで、細く頑丈な糸が吐き出された。たちまち壁にはりつけにされ、身動きを封じられるろくろ首。
 小沙蜘蛛の肥大化した右手が、一片の慈悲なく振り上げられた。
『やめ――』
『いやああああああああああああ』
 ゴスッ!
 ガンガンガンガンガン
『ひやああああああああああああ』
 ガンガンガンぐしゃガンガンガン
『ふやああああああああああああ』
 ガンガンぐしゃっガンゴリッゴスッゴッぐちゃっドカドカドカ
『はやああああああああああああ』
『ちょ……ちょっとちょっと小沙ぁ!? だめ、や、やりすぎだよぉ!』
『落ち着けぇー!?』
『小沙蜘蛛さん、これ、ろくろ首! ろくろ首ですからっ! もうやめてくださいー!?』
 我に返るのが遅すぎた周囲が、今さらながら止めに入る。
 バカでっかい腕を振り上げた状態で、小沙蜘蛛はぴたりと停止した――そのときにはもう、やたらめったら打ち尽くされて、顔面の凹凸がおもしろおかしく変化してしまったろくろ首である。白目を剥いてぴくぴくと、声なき断末魔を震わせている。
 小沙蜘蛛は振り返り、近寄ろうとする妖怪たちを腕を一振りして牽制した。こちらもぷるぷる震えており、涙目を隠しもせずに叫ぶ。
『ひにゃああああああああああんっ!!』
 そしてそのまま竜巻のように、両手を振り回しながら走り去っていった。隙間を通り抜けようとしたらしいが焦りすぎて失敗し、閉まったドアに思いきり激突する。
 いよいよぐしゃぐしゃに泣き出しながら、彼女は書斎へ消えてしまった。
 奈落のような沈黙がその場を支配すること、数十秒。
 笑えないシャレを連呼する友人に何かコメントせざるを得なくなったような、やりきれない笑顔で濡れ女が言った。
『い……一応、成功ぉ?』
『いや返り討ちやろ』
『怖がってはいたようですけど……被害はこっちのが圧倒的ですよね』
『ろくろ首、生きてる、か?』
 一反木綿の問い掛けに、もはや反応すらしない物体を見下ろして。
 妖怪たちの力ない、それでもどこか他人事な苦笑が、座敷にひそひそと広がっていった。