雨降りの日に 7


 連綿と続いていた雲が途切れ、ようやく晴れ間が顔を出す。
『ん〜〜〜……やっと上がった、かしらね?』
「そうね」
 縁の下からのそのそと這い出して、北城の妖猫が大きく伸びをした。あちこちにできた水溜まりを眺め、眠気を払うようにあくびしている。
 長は、半日の間よくがんばってくれた土の堤防を、指先でなでて壊しはじめた。いまだ頭に乗っているバッタが、よちよちと向きを変えたのがわかる。やはり、雨が上がるとうれしいのだろうか。
 濡れるのは、嫌だ。
 けれど雨が上がってうれしいかといわれると、別にどうでもいい。
 どうでもいい。
『まったく、蒸し暑いったらないわね。最近どうなってんのかしら? 夏は暑いわ、秋まで暑いわ……まぁ、寒いよりはいいけど。はー、少し昔なら――』
 猫叉はぶつぶつ言いながら、のこのことそこいらを歩き回っている。ずっと縁の下にいたのが窮屈だったのだろうか。猫は大抵、狭いところが好きなはずなのだが。
 しかしそれもまた、どうでもいいことのひとつでしかない。
 ならば、どうでもよくないこととは何なのか。
「……いーち」
 小さな小さな声で呟く。
 雲の切れ目は徐々に広がり、陽光が直接庭に降りそそいだ。じめじめと重たかった空気が舞い上がり、爽やかな風が吹き抜けてゆく。少女の前髪がかすかに揺れ、なぜだか急に微笑みたくなった。ここは微笑むべきところな気がした。
 けれど、微笑まない。
 どうでもいいことだから。
「にーい。さーん。しーい。ごーお」
 一定のリズムで呟きは続く。独特の抑揚で、しかし無感情に、ただただ数を数えていく。
 いつもの態度で。どうでもよさそうに。
 堤防は完全に壊れてしまった。
「よんじゅういーち。よんじゅうにー。よんじゅうさーん。よんじゅうしー。よんじゅうごー」
 今日の雨は何度目だったか。この晴れ間は一体何度目だろう。
 ここに寝転んでから見た回数は、そう多くないに違いない。この低い視点で過ごした時より、ずっとずっと長い時間を歩き続けてきたのだから。まだ、大騒ぎするほどの時間ではない。まだ、泣きわめくような浪費ではない。
 しかしどうして、まだわからないのか。
「きゅうじゅうろーく、きゅうじゅうしーち、きゅうじゅうはーち、きゅうじゅうきゅ……ひゃーく」
 ぱた、と地面に片手を倒す。
 遠くのんきな空を見上げて、彼女はいつも通り呟いた。
「で……誰をさがせっていうの?」
『でえええいっ!』
 突如、視界に何かが現れた。真上から飛び出てきたようで、一、二歩たたらを踏みつつ振り返る。
 ここの屋敷に棲んでいる、ろくろ首という妖怪だった。地味な色合いの羽織に袴、腰にはいた大刀まではいつも通りだが、なぜかちょんまげがほどけている。追いつめられたような表情で、少女の頭上に向かって怒鳴った。
『嫌だっつってんだろがよぉ!? やりたいんならテメェがやれってんだ!』
『一体どうしたんです!? 大成功だったじゃないですか〜!』
 言葉を返したのは、やはり屋敷に棲む妖怪の――誰だったか。思い出せない。見えている範囲にいるのはろくろ首だけなので、やはりどうでもいいことではある。
『絶対イヤだ、死んでもやらねぇ! いや、や、やったら殺されちまうんだ……!』
『あれだけやられてもピンピンしてるくせに、また何を弱気な』
『人間なんだぜ!? 山神の連中だ! 何されっかわかんねぇだろがよ!? 小沙蜘蛛ですら、理性飛んだらあんだけのことしてくるんだ。もし山神の連中を、特にあのオヤジなんかを、万が一怖がらせちまったら……お、恐ろしい!! 考えたくもねぇ! 俺ぁ、俺ぁ絶対やんねーかんなッ!』
 やかましいな、と長は思った。
 しかし、静かにさせようとは思わない。うるさい、と口に出しもしない。周囲が静かになったところで、考えることに変わりはないのだから。
 周囲が騒がしくなったところで、答えがわかるわけでもないけれど。
 ただし、
『あっ、長!』
 関わってこられると話は別だ。
 ちらりと一瞥してみると、こちらを指さしたろくろ首が、すがりつくような目でなにやら訴えている。
『お願ぇです、長からもなんとか言ってやってくだせぇ! あいつら、あいつら俺をとこっとんバカにして、そのうえ利用しようってんですよ! ひでぇでしょ!?』
『どうでもいいわよね〜、長』
『てめぇ北城っ!? いらん口挟むんじゃねぇ、事情も知らねぇクセして!』
 御影石の上に安座した猫叉が、にゃ〜ごととぼけた鳴き声をあげる。
 代弁されてしまったので、長はまた無言で空を見上げた――だいぶ前に見飽きて、見飽きることに飽きて、飽きに意味を見出し、その意味を忘れてしまった景色。どうしてそうなったかは覚えている。今ここで、思い出してみようか?
 やめよう。
 どうでもいいからではない。
「クールじゃないのよね……」
 いまだやかましくわめいているろくろ首に、すました様子でからかう猫叉。時折頭上からも声が聞こえるが、それらは本当にどうでもいい。
 突然、バッタがもぞもぞと動き、次の瞬間空へ飛び出した。
 ろくろ首の頭に一撃をくれ、その勢いでもって塀を跳び越えてゆく――二度も天井に激突した汚名を、十分返上して余りある、それはそれは見事な飛翔であった。


雨降りの日に 了

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