第一話−4


「いや〜〜〜。参ったね、まったく」
 どっかと椅子に腰を下ろして、フィリガルは笑った。額にかかる茶髪をサッと払って、うんうんと意味もなく頷く。
「意気揚々と帰ってきて、いきなりアレはキッツいよねぇ。さすがのボクもびっくりしちゃったよ。いずれ書くだろう自伝に、ピリリと辛い一ページが加わった感じだね」
「……いや、笑いごっちゃねーぞ、全然」
 同じく、大きなテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろして、マイク。表情を険しくして――ただし、糸目なので大して迫力はない――、厚い胸板の前で太い腕を組む。
「俺たちゃ、クビだって言われたんだぞ? わかってっか? どーすんだよ。このままじゃ宮中にいられなくなるんだぞ、菓子職人として」
「わかってるよ」
 彼もフィリガルも、いまだ謁見時に身につけていた儀礼服のままである。シワになるのを気にもしないように、フィリガルはでれーんとテーブルに上半身を寝かせて、
「どうするったって、そりゃどうにかするしかないだろ。具体的には、レイリーが言ったようにさ……ね、レイリー?」
「……そうね」
 覇気なく呟いて、レイリーは椅子を引き、静かに腰掛けた。沈んだ心を気分とを、深いため息に乗せて送り出す――それで体内の鬱が外に出ていってくれたら、どんなに楽なことだっただろうか。
「でもほんとに、今回のは……ちょっと参ったわ。考えてみれば、今までうまくいきすぎてたのかもね、実際」
 言って、もう一度ため息をつき、視線を周囲に巡らせる――まさか、久々にこの部屋に戻ってきた最初の日を、ため息と一緒に迎えるなんて思いもしなかった。
 ぴかぴかに磨き上げられた、滑らかすぎないジルナ鉱石の床。隅を走る細い排水溝。でんと据えられた巨大なオーブンに、冷たい竈。棚に並ぶ数々の食器。漆喰で固められた壁には、鍋等いくつもの調理器具が掛けられている。十メートル四方ほどに、それらがぎっしりと詰め込まれた場所。
 王国菓子職人専用の厨房である。できてからまだ一年も経っていない、貫禄はないが機能的な空間だ。
 と、
「しかし、やっぱりそうなったか」
 新たな声。どこか面白がるような、微笑を含んだ男の声である。
 レイリーは、テーブルを挟んで自分の向かい側に座っている、全身真っ白ずくめの男に目を戻した。マイクも腕を組んだまま、フィリガルもでれーんと伸びたまま、各々声の主を見る。
 痩けた頬に、ざんばらの黒髪。無精髭を片手でさすりながら、妙に落ち着きのあるにやにや笑いを浮かべている。その群青色の双眸は、好奇心にも似た無邪気な輝きに満ち溢れていて、この場合見る者の苛立ちを誘った――動きやすそうな上下の白服、その上にひらひらの白衣、さらにその上にもっとひらひらの白マントを羽織っている。
 とんでもなく異様な風体。年齢の予測すら容易ではない彼は、三組のうろんな視線を受けてなぜかますます笑みを深め、男にしては高い声で言った。
「いやァ、こんな感じっぽくなるんじゃないかなーとはね、思っていたんだよ俺は。あのリックって小僧、お前らの代わりに王様の菓子作るだけかと思いきや、妙にせこせこ立ち回ってるみたいだったからなァ。うんうん」
「……ダグラス……」
 ぴくぴくと頬を引きつらせ、レイリーは声音を低く抑えて脅すように言う。
「あんた、ここで何してンのよ? 薬物学者の仕事しなさいよ」
「まぁまぁ。俺が仕事しないのなんて、いつものこったろ?」
 にやにや笑いを崩しもせずに言い返す。彼、ダグラス=デオールドは、リルクアナ城の専属薬物学者である。普段は薬物の研究を本業とする職であるし、有事の際には医者めいたこともするらしい。ルーディア王家の厚い信頼を得ている文官の一人だ。
 しかし、実際のところこの男は、よく厨房に遊びに来ては彼女らが作ったお菓子をかっぱらっていく、お邪魔虫な存在でしかない。少なくとも、レイリーの認識ではそうだった。
「それに、親友たちの危機とあっては、珍しもの好きの俺的には見物に来ないワケにゃいかないだろ。なっ」
「いつあたしらがあんたの親友になったのよ? しかも助けるじゃなくて見物だし」
「俺とフィルとは親友だから、フィルと親友のお前らはすなわち俺とも親友だ。そうだろ?」
「なんでだよ……」
 と、これはマイク。そちらにも愛想笑い――ではなく、にやにや笑いを送ってから、ダグラスはひとつ頷いた。
「ま、ナンだ。危機だっつーても、菓子職人と宮中調理師のもめ事に俺が出ばれるわけもないからな。だから割り切って見物だ。文句あるか」
「文句だらけだ。帰れよ。邪魔だよ」
「……。ったく、つれないなァこの親友は……」
 きっぱりと言い切ったフィリガルに、ぶつくさと拗ねるダグラス。レイリーは大きく息を吐き出して、テーブルに両肘をついた。指を組み、顎を乗せて脱力する。下顎ががっくんがっくんなる感覚を味わいながら、斜め上を見上げてぼやいた。
「はぁ〜あ……途方に暮れるのなんて、久しぶりだわ」
「去年、エリナ姫の誕生日にお菓子を献上しよう、って決めた直後以来かな?」
 お気楽に言うフィリガルに、苦笑して頷く。そうだ、あの時以来だ。ルーディア王国の菓子職人になろうと志し、王女の誕生日に菓子を作ろうと決め、ならばどんなものをどう作ろうかと悩みに悩んだあの時――
 まだ、自分たちが手に包丁やボウルではなく、別の物を持っていた過去。
 しかし、その時とどちらがより窮地かと言えば、それは当然今なのであるが。
「それで?」
 再び口を開くダグラスに、また視線が集中する。いちいち見るなよ、とでも言いたげに彼は片手をぱたぱたと振って、
「詳しく聞かせてくれよ。一体お前ら、どうするつもりなんだ?」
「だからさ、レイリーが……ね?」
 言って、フィリガルが視線をこちらに向ける。レイリーは頷いて、目を伏せた。
「うん……さっきはもう、ほんと、わけわかんなくて必死んなっちゃって――」


「納得できません!」
 体内で衝撃が弾けた瞬間。彼女は思いきり謁見の間の床を踏み鳴らし、そう叫んでいたのである。
「仰ることはわかりますが、そんな……あまりに突然です! いくらドルナダ王のお言葉であるからといって、納得して引き下がるなんてできません!」
「……む」
 頷かないドルナダ王に、彼女は必死で主張した。
「大体、どうしてです!? どうして我々を解任するなんて運びになるんですか!? 彼が、その、宮中菓子職人を希望しているなら、あたしたちと一緒に――」
「それが彼の言い分なのだよ」
 セリフを遮られたのと、その言葉の内容に、思わず喉を詰まらせた。怒りと動揺にゆれる視線を、再び隣りに立つ青年に向ける。
 彼はいまだ、レイリーのことを見つめていた。睨んでいる、と形容してもよさそうな、冷たく挑戦的な目で――さっきまでの表情に加え、今は口元に微笑すら含んでいる。どこか侮蔑の色を窺わせる、あるやなしやの冷笑。
 レイリーは、息を継ぐことも忘れて言った。
「……どういうことです」
「お前たちとは一緒にやらない、というのが彼の出した要望だ」
 なんだと?
 レイリーは、額に青筋が浮かぶのを自覚した。自分たちとは一緒にやらない、やりたくないということか……留守を狙われたような真似をされただけでも腹立たしいのに、どうして新人の調理師なんかがそんなことを。
 王はただ淡々と、事実のみを告げる口調で続けた。
「それをどうしても譲らない、と言う。自分一人で十分だ、とな……彼を諦めるか、お前たちを辞めさせるか。余は選ばねばならなかった」
 そして、向こうを選んだと言うのか。
 レイリーは唇を噛んだ。心なしか、青年――リックの笑みが深くなったように思える。こンのガキ、人が大人しくしてると思って。大体なんだこっちと一緒にやりたくないって、それはつまり喧嘩を売っているのか? 今すぐこの場で殴り倒し、げしげしに踏みつけて『あたしの知ったことかッ!』とでも叫べたら、どんなに気分がいいだろう……
(ダメ、ダメよ。落ち着け、落ち着きなさい)
 彼女は、震えるように小さくかぶりを振った。冷静に対処しなければ。このままでは、本当にリルクアナ城を去るしかなくなってしまう。しかし、王の心をこちら側に翻すのは、どんな甘言をもってしても不可能な気がした。今は。そう、今は――
「……ならば、王。我々の要望もお聞き下さい」
 ひとつ深呼吸をして、レイリーは言った。