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第一話−5
ともかくもここは、自分がなんとかしなければならない。今この場で免職などという事態だけは、絶対に避けなければ。そこまでいってしまうともうダメだ。そんなことに、させるものか。
王がわずかに身じろぎする。
「む。……申してみよ」
もう一度小さく息をついて、レイリーは右手を伸ばした。人差し指だけを真っ直ぐに立てて、
「一ヶ月。その間だけ猶予を下さい。一ヶ月後に、ひとつ、お菓子を――王が我々を選ぶに足るだけのものを、作ってみせます。必ず!」
王は無言で眉根を寄せた。それだけで厳しさを増す竜顔に、心を絞られるような思いをしつつ、それでも言葉を切らずに言いきる。
「それでダメなら、諦めます。お願いです、ドルナダ王。何もしないままこの城を去るなんて……あたしたちにはできません!」
しばし、沈黙が流れた。ゆっくりと、何度も唾を飲み込み、無理矢理喉を湿らせる。
「……よかろう」
「王!?」
やがて静かに頷いた王に、驚きの声をあげたのはリックだった。ほぅっと、心の底から安堵の息をつくレイリーの隣で、信じられないとでも言うかのように、
「話が違うじゃありませんか!? どうしてそんなことを。僕は――」
「控えろ、リック=ハルーカイン」
王にフルネームを呼ばれ、ぎくりと青年の体が強ばったように見えた。この国を背負う紫の双眸が、じっと彼に注がれている。
「お前の要望のほうを取り下げてもよいのだぞ。余とて好きこのんで、彼女らを手放そうとするわけではないのだ」
「し……しかし……」
「もう一度言う。控えろ」
「……はッ」
背筋を伸ばすリックに、王は小さく頷いて――急に一転、面白そうに相好を崩した。
「ふむ。しかし、ホイロッサたちだけが、というのもイマイチ面白みがないな……どれ、ハルーカインよ。お前も一ヶ月後、なんぞ一品作ってみよ」
「は……? ぼ、僕も、ですか?」
「うむ。いわば、宮中菓子職人の座を賭けた菓子勝負、ということだな。わっはっはっ、面白いではないか!」
呵々大笑する王に、拍子抜けしたような表情のリック。レイリーは、ともかくも今この場で免職という憂き目をまぬがれたことに額の汗を拭って――
今に至る、というわけである。
「へぇ〜。一ヶ月後、ねぇ……そりゃまた難儀なこったけど。とりあえず、うまく逃げたじゃないか」
こぽこぽと、ティーポットから自分の分の紅茶を注ぎながら、ダグラス。なんだかやたらと楽しそうである。他人事だと思って――と、レイリーは胸中で彼に舌を出した。
「まーね……でもほんと、あ〜ぁって感じだわ」
べちゃりとテーブルに伸びて、彼女はぼやいた。似たような体勢のフィリガルが、なぜかどことなく嬉しそうであったが、きっぱりと無視して続ける。
「口から出任せ言ってみたものの。一ヶ月で何ができるのかしらね……はふ」
「どうせなら、一年待てーとか言ってみても良かったかもね? なぁ、マイク」
「そいつは名案だな。お前、今から行って頼み直してこいよ」
「ヤだよ」
軽口を叩き合うマイクとフィリガルに、こんな時にまでと深いため息をつく。身を起こし、ギシリと椅子の背もたれを軋ませて、レイリーは気の抜けた声音で言った。
「とりあえず、アレよね。ぼ〜っとしててもはじまんないわ。とにかくなんかしよう? 着替えてこようか」
「ん〜〜〜、レイリー、レイリー? ダメだよ、元気が足りないね。君がそんなコトでどうするんだい? なによりもまず先に、元気を出してやらないと」
「……あのねぇ……。こんな状態で、そんないきなり元気なんて出るわけ――」
突然、厨房のドアが押し開けられて、レイリーは言葉を切った。反射的に視線を向け――途端、ひくりっ、と己が顔面の数カ所が引きつったのがわかる。
ドアに手を掛け、開いた体勢で、件の宮中調理師リック=ハルーカインがそこに立っていた。
「…………」
向こうも驚いたらしく、無言である。室内の誰も何も喋らない。そんな状態が、数秒続いた。気まずさと敵意の入り混じった空気が、どこからともなく発生する。
わざとらしく鼻を鳴らし、調理服姿の彼はドアを閉めた。にやついたような、バカにしたような、微妙な薄笑いを浮かべて言う。
「これはこれは……いたのか、君たち」
「いたのか、とはご挨拶ね。何の用よ」
努めて静かに、しかし刺々しく返したレイリーに、リックはムッとしたような顔をした。自分から仕掛けてきたくせに、気の短いやつだ――と、少し胸中の憂さを晴らす。
しかし、こうしてちゃんと真正面から見てみると、彼がかなり若いのが知れた。レイリーと同じくらいだろうか。競争の激しい宮中調理師では異例の抜擢に違いない。
彼は片手を腰にあて、顎を突き出すようにして言い返してきた。
「何の用、って、そっちがご挨拶だな。どうして君たちがここにいるんだ?」
「……っ。あん――」
「宮中菓子職人だからだよ」
カッと激昂して怒鳴りかけたレイリー(彼女も短気である)を制して言ったのは、マイクだった。首を曲げてリックを見、こちらは本当に冷静なのだろう、落ち着いた口調で言う。
「ここは宮中菓子職人の専用厨房で、俺たちはまだ宮中菓子職人だ。誰がなんと言おうと、な。だからここにいる」
「……。ふん……」
「そういうことだよ。ついでに言うと、リックくん、だったかな? 君はまだ宮中菓子職人でもなんでもないわけだ。何の用だとこっちが訊くのは、当然なんじゃないかい?」
さらりと言い放つフィリガルを、リックはしばらく睨み付け、忌々しげに舌打ちした。人を食ったような笑みは既にないが、無愛想に口を曲げて押し黙る。
何も言わない彼に、フィリガルがさらに言った。
「それにしても、随分ボクたちを嫌ってくれてるみたいじゃないか? 君。先輩に対する礼儀がなってないねぇ。どうしてあんなコト言ったのかな? ん?」
「……お前ねぇ。俺がせっかく、レイリーに波風立てられないよう気ぃ遣ったのに、お前が突っかかってどーするよ……」
ぶつくさ零すマイクに、このくらいいいだろ、と肩をすくめるフィリガル。彼の思惑通りなのかどうか、リックはまともにカチンときたようだった。露骨に顔をしかめ、噛みつくように聞き返す。
「先輩? ……先輩だって?」
「うん? 先輩じゃないか。君がここに来て、長くても一ヶ月だろ? ボクらはもう半年以上になるんだよ。こういうのを先輩というんだ」
「だからよォ、フィル……」
「マイク」
小さく呼んで、レイリーは首を横に振った。言わせておけばいい。怒らせれば、この得体の知れない青年の考えの何かが見えるかもしれない、と思ってのことだった。ふと視線を返すと、ダグラスと――なんだか大変楽しそうな顔をしている――視線が合う。彼はひょこりと両眉をあげ、音を立てて紅茶を飲んだ。
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