第一話−8


 数分かけてようやく落ち着いたらしく、エリナはレイリーから少し離れた。すんすんと鼻をすすりながら、手の甲で目頭を拭い、言う。
「ごめんなさい、レイリー……あたくし、たった今お父様からお話を聞いて、もう、取り乱してしまって……」
「どうぞ、エリナ姫」
「ありがとう、ダグラス」
 席を譲るダグラスに礼を言い、継いで差し出された紅茶を一口含む。ほっと一息ついて、ようやく懐からハンカチを取り出して目元を拭った。継いで、ゆっくりと一同を見回す。
「……レイリー。それにマイク、フィル。お帰りなさいがまだでしたわね。長旅、お疲れさまでした」
「うん。お久しぶりだね、エリナ姫」
 にっこりとタメ口をきいたのは、無論フィリガルである。毎度のことなので、エリナは怒りもせずにっこりと頷いた。しかし、すぐに表情を曇らせて、
「今回の旅のお話を、詳しく聞きたいところなのですけれど……その前に、あたくし、みんなに謝らなければなりません」
「……あの、リックって宮中調理師のことですか」
 マイクの言葉に首肯して、彼女は小さくため息をついた。しばし逡巡を見せた後、テーブルの上で両手の指を組み、視線を伏せて話し出す。
「元はと言えば、彼がこの城でお菓子を作りはじめる原因になったのは……あたくしなのです」
「またなんかワガママ言ったの?」
「あんたはちょっと黙ってなさい」
 ぺしん、とフィリガルの頭をはたくレイリー。が、エリナは弱々しく笑って、首を横に振った。
「いいえ、レイリー。残念ながら……本当に申し訳ないことなのですけれど、今回はフィルの言う通りですわ。あたくしのワガママがいけなかったのです」
「……どういうことです?」
 促すレイリーに、エリナはまた少し戸惑いを見せた。ややあって、嫌わないでくださいませね、と小声で言ってから、
「あたくし、レイリーたちのお菓子、大好きですのよ。美味しくって、面白くって、いつもよく考えて作ってるのがよくわかって……毎日、食べるのが本当に楽しみでしたの。
 あたくしの甘い物嫌いを治してくれたのだって、レイリーたちなんですものね?」
 言う彼女に、レイリーはああ、と微妙な笑みを浮かべた。
(そうだったのよねぇ……)
 約半年前――正確には、もう八ヶ月ほど経つのだが。彼女の誕生日祝いに、レイリーたちはとある特別な材料でパイを作り、自信をもって献上した。しかしなんと、エリナは甘い食べ物が大嫌いだったのである。
 その時は、紆余曲折を経てなんとか大団円に収まった。そして前述の通り、彼女らと仲良く過ごす間に、いつしかエリナの甘い物嫌いは解消され、今では父ドルナダと同じく大の甘い物好きなのである。
「だから……だから、でも」
 また目を伏せて、エリナは泣き出しそうな風を見せた。レイリーは眉根を寄せた――ダグラスが席を譲った所為で、彼女はレイリーの向かい側に座っている。この位置では、触れて慰めてやることができない。自分の席に座らせてやれば良かった。
 エリナは、細い眉毛をハの字にして、
「寂しくなってしまって。レイリーたちがいないと……宮中調理師たちのデザートも、もちろん美味しいですのよ? 美味しいのですけれど、やっぱりレイリーたちのお菓子が食べたくなってしまったのです。それで、ついお父様に……」
「ボクたちがいない間、誰か代わりの菓子職人はいないか、って?」
 フィリガルの言葉に頷いて、とうとうまたエリナは泣きだしてしまった。席の後ろでおろおろするダグラスに構わず、嗚咽混じりに謝罪する。
「ごめんなさい! 考えてみれば、そんな、レイリーたちを侮辱するようなことを。あたくし、ただ美味しいお菓子が食べたいのではなくて、レイリーたちの作るお菓子をこそ食べたいと思っていたはずなのに! それが、こんな……レイリーたちが、レイリーたちが……!」
「そ、そんなこと! エリナ姫の所為じゃないですよ」
 レイリーの言葉にも、激しく首を横に振る。ダグラスは早々と諦めたのか、立ったままのんきに紅茶をすすっていた。ちょっとは慰めるなりなんなりしなさいよ――と思うレイリーだったが、彼はもしかして今のこの状況すら、どこか楽しんでいるのかもしれない。それはそれで腹立たしいが。
「お父様の言うように、リックのお菓子もとても美味しいけれど……あたくし、レイリーたちのお菓子が食べられなくなってしまうなんて、そんな、そんなこと。嫌ですわ!」
「姫……。大丈夫ですから。もう泣かないでください。ねっ」
 顔をあげる彼女に、レイリーは微笑んでみせた――切羽詰まって見えなければ良いな、とやや不安になりつつも、椅子から立ってテーブルの上の袋を掴む。
「レイリー……? それは?」
「今回、ボクらが仕入れてきたモノだよ。ナータリオの砂糖」
 胸を張って言うフィリガルを余所に、レイリーは流し台の前に立った。木製のコックを引き下げると、細長く突き出た蛇口から水が流れ出る。
 背後で、エリナ姫の不思議そうな声が聞こえた。
「ナータリオ……ナータリオ地方? え、あそこって砂糖の精製を?」
「やってないとされてるね。けど、普通には知られていない、特別な製法があるんだよ。ナータリオだけのね。それをボクたちが行って……レイリー!?」
 フィリガルの驚く声を聞きながら、レイリーは、口を開けた袋を流しの上で逆さに振った。白く透き通った粉が塊となって、一気にどさりと落ちる――それらはすぐ水の流れに溶け、キラキラと輝きながら排水穴に吸い込まれていった。
 ぽいと袋を放り捨て、振り向く。当たり前といえば当たり前だが、室内の全員――ダグラス以外――は唖然としていた。
「な……レ、レイリー。君は、そ……なんてことを!?」
「おいおい……さすがにちょっと、穏やかじゃねーなァ」
「穏やかじゃないのは当たり前ッ!」
 ダン、と床を踏み鳴らし、レイリーは怒鳴った。両手を腰に当て、きっぱりと言う。
「いい食材じゃなきゃ美味しいの作れないクセに、なんて正面切って言われたのよ!? お前たちの力は菓子職人としての力じゃない、傭兵の力だって!
 それを見返す方法なんて、ひとつしかないでしょ!」
 エリナが驚きに両目を見開く。ダグラスが怪訝そうに片眉をあげる。ぽかんとするフィリガルとマイクに、レイリーはきっぱりと断言した。
「普通の食材で、あのスカした菓子職人より美味しいの作ればいいのよ! 同じ条件で! だって、あたしたちだってあいつと同じ……菓子職人なんだから。ねっ?」
「……ま、理屈で言えばそうなる、かな?」
 頷くマイクに、フィリガルが大袈裟に肩をすくめた。
「いや、そうだね。その通りだよ。ボクもそれしかないと思ってたんだ、うん」
「とことん嘘臭いのはもはや美徳の域だな、お前」
「うるさいなっ。デカブツは黙ってろよ。
 ともかく、そうと決まればアレだね? 早速ほら、特訓ってやつだよね?」
「まぁ……素晴らしいですわ!」
 パンと手を打って、エリナもにっこり笑う。彼女はレイリーの手をとって、
「あたくし、協力いたしますわ! たくさん食材が必要ですものね? それに、ぜひぜひ試食役もさせていただきたいですわ!」
「ええ、ありがとう! ぜひお願いします、姫」
 また抱きついてくる姫君を抱きしめ返し、レイリーはマイクに頷いた。彼はのっそりと立ち上がり、一、二度肩を回しながら厨房を出ていく。
「さ。じゃあ、フィル? あたしたちも着替えて――」
「バカばっかりだ」
 ぽそりと呟かれた言葉が、中途半端に耳に入り、レイリーは振り向いた。声が聞こえたと思った方向には、ダグラスしかいない。彼は壁に背中をつけて、相変わらずにやにや笑いを浮かべていた。
「……ダグラス? 今なんか言った?」
「いいや? それより、試食が必要なら俺も手伝うぜ。つーか食わせろ」
「あ〜……はいはい。にしてもあんた、座ってても変だけど、立ったら余計に変人度増すね? そのマント」
「ほっとけ」
 厨房のドアが開き、薪の束を担いだマイクが戻ってきた。厨房の隅にどさりと降ろし、早速荒縄を解きはじめる。
「よっしゃ、そんじゃ火ぃ入れるぞ」
「うん! あたし、着替えてくるね」
「いってらっしゃい、レイリー」
 ドアを押し開けて、厨房を出――彼女は、すぐに足を止めた。正面の角は城の廊下なので、人の行き来が見える。その手前にあるドアが、レイリーたち宮中菓子職人の更衣室である。こちら方向には厨房関係しかないので、誰も角を曲がってはこない。
 下唇を噛み締め、短い廊下の天井を睨んで彼女は呟いた。
「……負けないから」
 歩き出す。儀礼服の裾に手をかけながら、レイリーは更衣室のドアを開けた。