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第二話−8
「フィル。マイクも、どうぞご無事で」
「うん。ごめんね、急な出発でさ。考えてみたら、あと二十日しかないもんでね」
笑顔で言うフィリガル。マイクも頷いて、リュックを背負い直す。腰に帯びた長剣の鎖が、控えめに存在を主張して鳴った。
「馬を三頭借りることになります。そこら辺、よろしく」
「……ふふ。はいはい」
エリナはにっこりと笑み、頷いた。一国の王女に雑用を頼むなんて、と腕をつついてやると、マイクはどうにも困った顔をした。それを見て、また笑う。
「じゃあ、行ってきます!」
「それじゃ」
「できるだけ早く戻るからね〜! あ、ねぇ、レイリー? あのにかわの材料さ、食ってみたんだけどまっずいね〜! 味もなにもあったもんじゃない」
「いや、食べなきゃいいじゃんあんなの!」
「なんか付けたら食える気はしたな」
「……あんたも食べたの、マイク……?」
わいわいと賑やかに、廊下を遠ざかってゆく。その背中に手を振りながら、エリナは小さく頷いた。自分が勉強している間に、何があったかは知らないが――きっと、彼らは彼らなりの答えを探しに行くのだろう。自分にできるのは、彼らの無事を祈り、帰りを楽しみに待つことだけである。
「……あれで徹夜明けなんですよ、連中。最初はうっと暗〜かったってのに、ったく、騒々しいったらありゃしない」
振り向くと、ダグラスが立っていた。いつものにやにや笑いを浮かべ、去りゆく菓子職人たちを見つめている。思わず苦笑して、言った。
「あら。あなたも徹夜明けなんでしょう、ダグラス? 今朝は大活躍だったそうですね」
「お恥ずかしい。またラノーの連中の厄介になってしまいましたよ」
はははと笑って、ダグラスは踵を返した。厨房に入ってゆく――ついていくと、彼はエリナに椅子を勧め、皿に盛られた薄いピンク色の物体を示した。
「お食べになりますか。連中が勢い込んで出ていった原因です」
「……? ええ」
差し出されたフォークを受け取り、ひとつ刺しとってみる。
適当な賽の目に切られたそれは、とても柔らかく、弾力があった。窓から滑り込む陽光を返して、キラキラと光り輝いている。フォークが刺さった箇所から、少しずつ透明な液体が流れ出しているのもわかる。
「……果物、よね?」
「そうです。そのままどうぞ」
言われ、エリナはその液体――果汁なのだろうが――が垂れないように、ぱくりと口にくわえて一噛した。
たちまち、肉厚な果肉からたっぷりの果汁が溢れだし、強烈な香りが鼻腔を満たした。相当な甘さを予想させる濃厚な匂いに、しかしやや酸味の目立つ果汁。その果肉は瑞々しく、すっきりとした酸っぱさがあり、食感は熟れ時のオレンジを連想させる。なおも噛むと、控えめな甘さが、ほんのりと舌全体を包むように広がった。
たちまちうっとりしてしまった直後、エリナは驚いてその果物を見つめた。
「まぁ、これ……なんて美味しい! 初めて食べましたわ。一体なんという果物ですの?」
「リビアナの実、というそうです」
リビアナ。
聞き慣れない単語に、エリナは可憐な眉をひそめた。もうひとつフォークに刺して、しげしげと眺める。
「リビアナの実……? 聞いたこともありませんわ」
「わたしもです。先程レイリーたちも食べたのですが、フィルのやつがそうだと言っていました。これは先日、サンダラクトに住むわたしの友人が送ってきたものでして――」
ダグラスの熱心な解説を聞きながら、エリナはもうひとつリビアナの実を口に含んだ。再び広がる重たい香りと、裏腹にすっきりした味わいを――
ッ
「んっ」
「でありますからして、薬物的な価値は……エリナ姫? どうかなさいましたか?」
「い……いえ……?」
なんだろう。今何か、口の中で妙な感じがしたが……?
自身首を傾げつつ、しかしうまく表現できない。眉をひそめて覗き込むダグラスに、慌ててにっこりと笑みを浮かべた。
「いいえ、何でもありませんことよ。とても美味しい果物ですわね」
「左様ですか。それは良かった」
「ええ。……それより、レイリーたち。無事に戻って来てくれるかしら」
「なぁに。今回は、いつもほど心配はいらんでしょう」
気楽な調子で言って、彼は頷いた。リビアナの実をひとつ指でつまみ、口に放り込みながら、
「サンダラクトへは何度か足を運んでおりますが、実に平和なところです。緑豊かな山、美しい谷、そしてお祭り好きの善良な人々。自然が大変素晴らしい……まぁ、友人からの手紙には、最近山地の奥にモンスターが発生して、目障りだとも書いてありましたが。果物には、何の関係もないことでしょう」
「あら……ええ、そうですわね。でも、それはきっと大変でしょう」
「あそこの住民は、林業ではなく農業で生計を立ててますからね。生活に差し障りはないようですよ、今のところは」
ダグラスは紅茶を注ぎ、エリナに差し出した。今日はもう、仕事をする気はないらしい。
「しかし、レイリーたちには困ったもんですな。毎度毎度、巨大蜂の棲む山だの、空飛ぶ蛇の棲む森だのに、好んで出掛けてゆくのですから」
「ええ、本当に。心配する側の身にも、なってみてほしいものですわね」
にこやかに頷いて、エリナはもうひとつ、リビアナの実を口に運んだ。
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