第三話−4


 そして翌日。
「う……ん〜〜〜っ、む〜……」
 ベッドに身を起こし、レイリーは思いきり伸びをした。シュリフの家の二階――この家が三階建てだったのは、実はサンダラクトに一軒しかない宿屋を営業しているからだった――、柔らかなベッドで、なかなか快適な睡眠を得たことに満足する。昨夜は、身体の芯に響く長旅の疲労と、突発的な祭りでの心地よい疲労にサンドイッチされ、泥のように眠り込んでしまったのだが。すっかり体力が回復しているのを、肩を回して確認し、ベッドから降りる。
 身支度を整えていると、ドアがノックされた。
「レイリー? 起きてるかい?」
「フィル? うん、起きてるよ〜……開けるな」
 ぴくりと震えたドアノブを横目に、レイリーはささっと衣服を身に着ける。多目的ベルトを締めながらドアを開けると、いつもの軽薄な、しかし心なしか残念そうな笑顔がそこに在った。
「やあ、レイリー。お早う。起き抜けの君も綺麗だよ」
「くだらない試みに寄せていた期待が失敗に終わって宙ぶらりんだ、って顔してるわよ」
「はっはっはっ、一息に何を言ってるんだい? 昨夜ちゃんと寝た?」
 わざとらしく笑うフィリガルの額を軽く小突き、レイリーは廊下に出た。階段の方へと向かいながら、
「で、なに? 起こしに来てくれただけ?」
「それがねぇ。なんかちょっと、妙なことになってるみたいなんだ」
「妙なこと?」
「うん。ともかく、外だよ。マイクはもう行ってる」
 はてな、と小首を傾げながら階段を降り、台所に立っていたシュリフ夫人に会釈して顔を洗わせてもらう。朝餉の時刻をやや過ぎたところだろうか。外へ出ると、爽やかな朝の空気が大変心地よかった。
 前庭を囲う垣根に、マイクが腕を組んで寄りかかっている――もっとも、彼が体重を預けたりすれば、貧相な垣根に支えきれるわけもないので、背を触れさせているだけなのだろうが。レイリーたちに気づくと、よ、と片手をあげる。
「おはよ。なに、どしたの?」
「や、なんつーか……俺にもよくわからんのだが」
 言って、マイクは視線で往来を示した。見やると、シュリフがこちらに背を向けて、両手を振って話している。誰かと言い争っているような口調である。
「ですから、これはもうここの特産品なので、勝手に採られるのはちょっと……」
「そんなに固く構えんでも良かろうに」
 老いた男の声。レイリーは小首を傾げ、歩みを進めた。角度がずれ、シュリフの体に隠れていた人間が視界に入る。
 短い白髪。不機嫌な表情を縁取る鋭い顎先を、片方の手でゆっくりとさすっている。浅黒い肌に、小柄な体躯。くすんだ濃緑色のマントをまとい、見た感じは大分齢を重ねているように思えるのだが、まとう雰囲気からか何からか、どこか精悍な様子が窺えた。
 パッと受ける印象は、さしずめ『元気そうなじーさん』といったところか。その老人は、己が顎をさする手を止め、不愉快そうな口調で言った。
「わしゃ何も、そんな仰山くれだのと言っとるわけでないんだぞ。ただちょっと採らせてくれればいいのだというに。度量の狭い男だのぅ」
「むっ……」
「シュリフさん? どうかしたんですか?」
 声を掛けると、シュリフは振り向いて、どこかわざとらしい大きな笑みを浮かべた。安堵したように、それでいて何かを誤魔化すように両手を広げる。
「ああ、お早うございます、ホイロッサさん。よくお眠りになれましたか?」
「ええ、とても。……?」
 ちらりと、視線を老人に向ける――弾みで目が合ったので会釈したが、彼はむっつりした表情をぴくりともさせず、わずかに額を前後させただけだった。
 彼女の目の動きに気づいたか、シュリフは片手で彼女を示し、老人に言った。
「オルバさん、でしたな? あなたにも紹介しましょう。こちらはレイリー=ホイロッサさん。ルーディア王国で菓子職人をなさってらっしゃる方です」
「あ……どうも」
 慌ててもう一度頭を下げる。いちいち肩書きを付け足されたところで、と複雑な心境で思う。この村でそう言ったところで、昨夜の少女たち以外には大した関心もなかろうものだし。自分たちにしてみれば、クビになりかけている現実を再認識させられるだけで微妙に鬱である。
 が、オルバと呼ばれた老人は、レイリーが挨拶した時とは比べものにならないほどの反応を示した。片方の眉をぴんッと跳ね上げ、への字口をわずかに開いて彼女を見る――シュリフの言葉に、本当に驚いたようなリアクションだ。自分のことを知っているのだろうか?
 何か言われるのかな、と黙って立っていたのだが。しばらく見つめた後、オルバはふいっと視線を逸らしてしまった。何事もなかったかのような、変わりない無愛想な声で言う。
「ふむ……。今は関係ないだろう。話を逸らさんでもらいたいな」
 物言いと態度に、なんとなくレイリーはムッとした。何よ今の思わせぶりな反応、こっちが挨拶したんだから挨拶返せ、たとえそうでも関係ないとか言うな等、数種類の文句が脳裏を駆け巡る。
 そんなレイリーの胸中を知らず、シュリフは彼をなだめるように言った。
「まぁまぁ。レイリーさんとお仲間は、つい昨日到着されましてな。あなたがお望みの、そのリビアナの実の名前と有用性を教えてくださったんですよ。その実をここの名産にすれば、自給自足するだけで発展性のなかったこの村も大いに――」
 べらべらと喋るシュリフ。昨夜の演説でも思ったが、口はやたらと回る男らしい。
 が、老人は話の途中から、既に聞いていない風ではあった。自分から逸らした視線をレイリーに戻し、また驚いたように「ほう」と息をつく。レイリーは、なんとなく居心地の悪さを感じた――先程の反応の意味が分からないうちに、再び興味を持たれたような雰囲気が戻ってきたからだ。リビアナの実がどうこうというシュリフの言葉も気にはなったが、それはとりあえず置いておくとして。
(なんか、この人……なんだろ……?)
 眉根を寄せる。会ったばかりの、まだ向こうの紹介すら聞いていない老人であるが、どこか掴み所のない不安を覚えた。なんだかこの男、気味が悪い。
「――と、いうわけなのです。この裏手の山はわたしの私有地でもあることですし、勝手に入って採らせてくれというのは、ちょっと受け入れかねるのですよ」
「ああ、もういい。あんたの懐の浅さはよくわかった、頼まん」
 今度はシュリフがムッとしたようだった。まぁ無理もないが。
 それにしても、なんと口の悪いじいさんだ――と呆れ半分、感心半分でレイリーは思った。老人は彼女に向き直って、さっと一瞬の視線移動だけでその全身を視る。当のレイリーも見逃してしまいかけたほど、それはさり気ない目の動きだった。
 ふむ、とひとつ鼻息をつき、老人が言う。
「……なるほど。噂には聞いておったがな。あんたが……いや、あんたらが、そうか。傭兵から菓子職人に転向したという話は、嘘でなかったんだの」
 その口調に嫌味を感じたわけではない――こともない――のだが、レイリーは眉根を寄せた。自分たちのことを知っている。それも、なんだか傭兵時代から知っているような口振りである。それなりに名を通していた傭兵時代、そこから突然菓子職人になったことでの評判等、見知らぬ誰かが自分たちのことを知っていても、それはおかしなことではないのだが……しかし、何かいちいち引っ掛かる。