第五話−1


「ああ、もうっ! しつっこいわね!?」
 必死で走りながら、レイリーは思わず怒鳴った。立ち並ぶケハンの木の間をすり抜け、茂みを突っ切り、何度も転びそうになりながら、それでも駆ける。
「いい加減諦めなさいってのよ!」
「ほんとになッ!」
 隣を走るマイクが応える。こちらも必死である――レイリーより頭ふたつ分ほども背があるため、余計な枝にまで注意しなければならないのだ。おまけに一番荷物が多い。それでも元気に走っているのには、やはり戦士たる体力を感じるが。
「諦めの悪い熊じゃのう」
 すぐ後ろに続くオルバの声が耳に届く。思ったよりも落ち着いた声音に、レイリーは驚きを隠せなかった。この老人、見た感じかなりの高齢に思えるのに、彼女らの走りについてきているばかりか、そうそう疲れた様子もない。いくら旅慣れているとはいえ、本当に元気な爺さんである。
(それにひきかえ……!)
 張り出した木の根を跳び越え、レイリーは一瞬後ろを見た。同時、極めて情けない声が響く。
「おぉ〜いっ……待ってくれぇ〜っ……」
 一人遅れているのは、当然フィリガルである。黒マントをそこここに引っかけながら、必死でレイリーたちの後を追っている。なんだか素敵にずたぼろである。自慢であるらしい、茶色いサラサラの長髪は、ちらりと見ただけでも汗と泥にまみれてこんがらがっているのが分かった。どうやら、既に一回転んだらしい。
「うわっと……!」
 目の前に迫ったケハンの木。とっさに横へ跳んで回避しつつ、幹に片手をかけて遠心力を利用し、足で蹴りつけて加速する。
 その一瞬の体術に、オルバがなにやら感心したらしい声をあげたようだったが、とりあえず構わずに、レイリーは再び叫んだ。
「フィルッ! あんた、コケるときはちゃんと叫ぶなり、なんなりしてコケなさいよねっ!?」
「そうだ! そしたら援護してやらんことも、ないこともないかも、しれないからなっ!」
「ないのかよッ、この薄情者〜〜〜っ!」
 怒鳴り返せりゃだいじょぶだ、とレイリーは決めつけて、張り出した木の根を飛び越した。
 山の上方から逃げはじめてしばし。あのラリーベアが、いまだまったく諦めてくれないのだ。しつこくしつこく追い掛けてくるが故に、レイリーたちも止まれない。さすがにそろそろ振り切れると思うのだが――フィリガル辺りが、何かヘマをしなければ。
(ん?)
 ふと、レイリーは訝しんだ。前方の木々の見え方が、やや異なっているような……?
 そう思った時には、彼女はケハンの森を抜け、開けた草地に躍り出ていた。思わずたたらを踏んで立ち止まる。
「あ、あれっ……?」
 変だ。こんなに早く森が、山が終わるはずはない。確かに結構な距離を走った気はするが、それでも途切れるには早すぎる。登りにはかかった時間を考えてもおかしい。
 レイリーは周囲を見回して、気づいた。この草地は、見たことがない。というか、草地を挟んだすぐ向こう側にあるのは、斜面である。また山だ。そこに見えるはずの、サンダラクトの村はどこにもない。
 ということは。
 思わず頭を抱え、彼女は叫んだ。
「降りる方向間違えたあぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
「うわっ。あれ、な、なんだここ?」
 続いて森から飛び出してきたマイクとオルバも、立ち止まってきょとんとする。あうわうと、レイリーは片手で今駆け降りてきたほうの山を示しながら、
「サンダラクトと逆側に降りてきちゃったのよ、あたしら! イノード山地の奧に入っちゃったんだわ!」
「……え。……あちゃあ」
「あちゃあじゃないわよー!」
「ふはっはっはっ、これは傑作だの」
「傑作って……! ああもう」
 山の上のほうを振り返る。同時、へろへろとフィリガルが到着した。森を抜け、レイリーのところにやってきたと思ったらへたり込む。
「はァッ……はひッ……み、みんな、なんで止まってるんだ? ふ、ふふっ、そうか、もうバテて、しまったんだね……情け、ないなァ。ボクは、まだまだ……」
「一人だけしゃがんでて、よくそういうこと言えるなお前」
「ああもう! こんな時までうるっさいわねあんたらは! お黙り! ちぇいっ!」
 両手をばたばたと振り回す意味不明のジェスチャーで苛立ちを現しつつ、レイリーは森に目を凝らした。降りてきたあたりを、じっと睨み付ける――遠く上方、ちらりと動く黒いものが見えた。
「……まだ追ってきてる!」
「っげ。なんてこった、どうする!?」
「構わない、真っ直ぐいって真っ直ぐ!」
 再び、マイクとオルバが走りだす。レイリーはベルトから弓を外し、片手に握った。
「え……ま、まだ走るの〜……?」
「当たり前! まだまだいけるんでしょ、ほら早く!」
「冗談が通じないなぁレイリィィィィ」
 情けなく呻くフィリガルの手を取り、走り出す。マイクたちの背を追いながら、改めて周囲を見回した。
 山と山の間の狭い平地。つまり、ここは谷なのである。走る方向に向かって左手に視線を走らせると、山々が狭まって谷が一層細くなっているのがわかった。おそらくあちらが西であるから、山地の終わりはそちらが近いのだろう。もしかして、新たな山がその先にあるかもしれないが。
 話に聞いていた通り、眺めは悪くない。なかなか綺麗な谷である。
(東は……?)
 逆側に目を向けると、そちら側も谷が広くなっているわけではなく、同程度の幅を保っているようだった。ようだった、というのは、谷の途中で霧が発生していたため、見通すことができないのだ。が、周りの地形から想像しても、この谷は細く長く、同じ幅で続いているのだろうと予測できた。
 しかし、
(あの霧、なんだろ……? なんだか、唐突よね)
 走りながら、思う。