第五話−7


「くそっ! おいお前、ちょっとデカいからって調子に乗るなよ!?」
 ザッ、と両足を踏ん張り、フィリガルが怒鳴る。彼は真っ直ぐにドラゴンを指さし、唱えた。いつもの軽薄さとは異なる、重さと厚みをもった声音で。
「駆けろ駆けろ火の妃火の姫火のギーガイア其と彼の間に吹き込むならば栄光を吹き込まぬなら其は焼き尽くせ! はッ!」
 フィリガルの眼前に炎が出現し、術をもって形をなす。それは灼熱の螺旋を描きながら、ミストドラゴンへと向かって中空を疾駆し――徐々に細く弱く、勢いも衰えてゆき、龍に当たるはるか手前で消えてしまった。
「……あ、あれ?」
「ちょっとぉー!? こらフィルっ、ボケかましてる場合じゃないのよ!?」
「ご、誤解だよレイリー!? ボクはそんな……!」
「砕けよ燐火穿てよ尖炎」
 彼に続いて、オルバが低く呪文を唱えた。両手の指を複雑に絡み合わせ、真っ直ぐドラゴンに向けて突き出す。
「レルガノン!!」


 ドウドウドドウドウドウッ――


 彼の正面の地面から、巨大な火柱が順々に吹き上がり、地上の赤波となってミストドラゴンに奔った。が、やはり徐々に炎が小さくなり、勢い衰えて途切れてしまう。
 ふむ、と彼は鼻から息を抜いた。
「なるほどのう……霧か」
「霧?」
 立ち止まり、矢筒から矢を取る。いまやミストドラゴンは、体の正面を完全に彼らに向けていた。低い唸り声と、貫くような真っ赤な視線――とんでもない迫力である。そこに存在しているだけで、あらゆるものにプレッシャーを与えている。
 その重圧に対峙し、オルバは言った。
「わしらの魔術が封じられとる。この霧が、術の威力を削って消してしまっとるようだ。文字通り、雲散霧消だの」
「き……霧が!?」
「そうとしか考えられん。感知することはできんが、微弱な魔力を帯びとるんだろうよ」
 オルバは薄く笑った。感心したような、満足したような、微妙な笑み。レイリーはなぜか、その笑顔に親近感を覚えた――いつも近くで見ているような、不思議な、不敵な笑い方。そんな表情で、ドラゴンを見つめている。
「いやはや、なんとも参ったな。凄まじいモンスターだ……」
「ぼ……ボクは、今ちょっとあんたに驚いてるんだけど」
 と、横手からフィリガルが言った。なにやら、表情が驚きに引きつっている。
「陽光の精霊、レルガノンの魔術……そんなの使えたのか? あんた、ナニモンだ!?」
「さぁてのう。それよりほれ、来よるぞっ!」
 オルバの言葉に、レイリーは視線を上げる。敵は、ドラゴンだけではなかった。
 気味の悪い鳴き声をあげて、巨大な鳥が宙を滑る。


 ギィィッ!


「ちッ!」
 レイリーは弓を引き絞り、二本の矢を一度に放った。それらはラドワンの目と翼に突き刺さり、滑空してきた勢いのまま地面に激突させる。
「おおおおおッ!」
 雄叫びを上げ、マイクが疾った。低く向かってくるラドワンの群に突っ込み、縦横に剣を振るう。熟練の技が鋼のきらめきを伴い、たちまち数羽のモンスターを斬り落とした。
 即時対応に明確な危険を感じたのか、ラドワンたちは一斉に高空へ逃げ去った。ざっと見て十数羽、上空を旋回して隙あらば襲いかかろうとやかましく喚き続けている。
「ちくしょっ。あいつら……!」
「マイク! はしれぇ―――――ッ!!」
 喉が破れるかと思うほどの大声で、無我夢中でレイリーは叫んだ。ハッと気づいたマイクが、全速力で前に走る。ミストドラゴンの放った灼熱の炎弾が、今まで彼が立っていた位置をよぎって地面に激突した。ボジュン、と背筋を震わせる音が響き、一部の土が溶解する。
 間一髪、身を投げ出したマイクに、ラドワンの群が襲いかかり――
 猛然と放たれた矢の雨に叩き伏せられ、次々と地面に落下した。気づいたマイクが立ち上がり際、剣を振るってもう一羽仕留める。
「マイク、大丈夫!?」
「ああ、怪我はない。けど……こいつは正直、ヤバすぎるぜ」
 ゆっくりと歩みを進めてくるドラゴンを見、呟くように言う。ゆっくりと言っても、それは動作がゆっくりしているだけで、スピード自体は決して侮れたものではない。とっとと逃げ出したいところだが、ラドワンが邪魔すぎる。
 それに、肝心のドラゴンに攻撃できないとは!
「魔術がダメなら――」
 ぐ、とレイリーは弓を引いた。一本だけ矢をつがえて、狙いをミストドラゴンの顔面に据える。背後にマイクが立つのがわかった。ラドワンたちから守ってくれるのだろう。
「――ぅらッ!」
 ビチッ、と激しく弦を弾く音。放たれた矢はまっしぐらに飛び、ドラゴンの右目を掠めて飛び去った。
 巨獣は瞬きひとつせず、歩みを進めてくる。
「ちっ……距離キッツいわね」
「このっ!」
 マイクが剣を振るう気配。すぐ頭上で肉の裂ける音がし、猫の喉を捻ったような絶叫があがった。べちゃり、と首筋に生暖かいものが落ち、すぐ側の地面にラドワンの死体が土煙をあげる。
「レイリー! 走れ!」
 背後からフィリガルが叫ぶ。振り向くと、彼はオルバと一緒に駆け出しながら、
「霧から出よう! ミストドラゴンをおびき出すんだ。そうすればこっちの魔術も通じ――」
 その言葉が終わらないうちに、ドラゴンが首を真っ直ぐ上に伸ばして咆吼した。人外の魔術が発動し、周囲の霧が躍動する――霧が動いたのだ。フィリガルたちの行く手に回り込み、摩訶不思議な『見通せる白さ』で遠くの山裾までも包み込む。
 思わず足を止めるフィリガルたちに追いつき、レイリーは歯噛みした。
「お見通しみたいね……霧から出る気はないってさ」
「くっそ、これだから頭のいいモンスターは嫌いなんだ!」
 毒づき、振り向きざまに術を放つ。飛翔する炎はやはり、ミストドラゴンに到達することなく、弱まりゆく途中でたまたま宙を過ぎったラドワンを直撃して消し炭と化した。
 威力はある。だが、届かない。
「う、う〜〜〜っ……なんか弱点ないのかあいつ!?」
「逆鱗、じゃな」
 さすがに焦った様子で叫ぶフィリガルの隣りに並び、オルバが静かに言った。
「わしも、あんな化け物なぞと戦うのはこれが初めてだが、ドラゴンといえば弱点は逆鱗だと大体相場が決まっとる」
「逆鱗……」
 確かに、その話は聞いたことがある。レイリーは、じっと目を凝らした。どんどん近づいてくるミストドラゴン――ふと、彼女は場違いに思った。
(なんて……綺麗な獣)
 銀色に輝く肌。オルバの言う通り、きっとあれは鱗なのだろう。長く伸びた首も、胴体も、全てその鱗に包まれて、霧を透かした陽光にキラキラと光り輝いている。
 ずんぐりした、いかにも鈍重な体躯ではあるが、間違いなくそれは美しかった。己を護る霧を生み出し、独自の魔術を使役する頭脳と魔力を有する銀の魔獣。とても、逆鱗などという一般的な弱点があるようには思えない。
 霧谷の主、ミストドラゴン。