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第五話−8
しかし、レイリーはギリッと弓を握りしめた。
「……その、逆鱗って、どこです?」
「わからん。生まれた時は、顎の下の部分にあるらしいが――」
「顎の下」
それだけを聞き取って、レイリーは集中力を極限まで高めた。矢を抜き取り、つがえて引き絞る、その一瞬の動作ひとつひとつを己の心拍と一体化させる。自身を弓とするような感覚。呼吸は止めない――細く、静かに息を吐く。
狙いは、顎の下。
「っアッ!」
怒号とともに矢を放つ。
真っ直ぐに飛んだそれは、速度からして明らかに尋常ではなかった。うお、とマイクが、オルバが驚きに喉を詰まらせて――
ガキンッ!
という硬い音が、レイリーたちにまで聞こえてきた。一瞬、ミストドラゴンの歩みが止まり、長い首がわずかに反る――爪楊枝のような矢が、ドラゴンの顎に突き刺さっているのが確かに見えた。
「……やった……?」
と呟いた一瞬後。ぐあッ、と龍が咆吼し、光の紋様がいくつも出現した。凄まじい勢いで、光弾の群が撃ち出される。
『どわああああああああっ!?』
緊張感もどこへやら。悲鳴をあげつつ逃げ惑い、なんとか魔術を回避する。
「は、外れちゃった……のよね。うう、ちくしょ」
「あ、あぶ、あぶっ……!? うわぁ、なんか軽いなと思ったらフライパンがー!? あは、あはははは」
いまだ持っていたフライパンを、ドラゴンの魔術が吹っ飛ばしたらしい。もはや、フィリガルの笑顔にも力はない。
「てか、弱点っても、当たれば一発で倒れるもんなの? あんなでっかいの……!」
「いやいや待て待て。人の話は最後まで聞け!」
慌てた様子で、オルバが言う。
「逆鱗というのはだな、生まれた時は顎の下についとるらしいんだが……ドラゴンの鱗は、基本的に顎から生えてくるということでの。それに押されて、どんどん下へさがってゆくらしい」
「下へ?」
「うむ。だから、あの――」
オルバは片手で、迫り来るドラゴンの長い首と、胴の前面あたりを示した。
「――見えとる腹の、どこかの鱗だとは思う。しかし、どれがそれかはわからんのだ。あの大きさだ、相当年経たドラゴンだろうし……」
「そ……そんなのって」
弱点って言う?
言葉の後半を呑み込んで、レイリーはドラゴンに目をやった。距離は、約百五十メートル。どれだけ目を凝らそうと、ここからでは鱗の切れ目を確認することもできない。逆鱗という名がつき、龍の弱点ともされている部分だ。きっと一枚だけのはず。
そんなもの、一体どうやって攻撃するのだ? 頼みの魔術も使えないというのに!
まさに途方に暮れたその時、
「ぃよっしゃッ!」
ビヒュッ、と剣を振るう音。モンスターの甲高い悲鳴があがり、継いで何かが背後の地面に落ちる。
振り向くと、マイクが長剣についた血を振り払い、鞘におさめて言った。
「おい、あらかたのラドワンは片づけたぜ! もう大丈夫だ、走って逃げよう!」
「えっ」
空を見回してみると、群を成すほどいたラドワンたちは、確かにただの一羽もいなくなっていた。レイリーたちがミストドラゴンに集中している間に、マイクはきっちりと自分の仕事をこなしていたのだ。
まさに、縁の下の力持ち。レイリーは感激し、彼に抱きついた。
「マ……マイク! んもぉ〜〜〜っ、大好き大好き!」
「おわっ!? お、おいレイリー、抱きついてないで逃げろ……!」
「あっ、てめ、ずるいぞマイク!? 剣じゃドラゴンに何もできないからって!」
「うるせーな!? ごちゃごちゃ言ってねーでとっとと走れっての!」
だが、これで上に注意を払わなくてよくなったのだ。マイクには感謝して然るべきである。
ともかく、彼らはドラゴンに背を向けて、一目散に駆けだした。まずはこの忌々しい霧を抜けなければならない。そして、魔術を軸にして反撃するなり、隠れてやりすごすなり考えよう。厄介なラドワンがいなくなった以上、それも可能なはずだ。
キイイイイガシュアアアアアアアッ!! ……オオオォォーーーンン……
甲高い雄叫びが響く。
振り向くと、ミストドラゴンは長い首をくねらせ、低く長い遠吠えをあげていた。ラドワンを全て失った悲しみからか、その歩みも止まっている。諦めてくれたのだろうか?
必死で走りながら、レイリーは地形を確認した。この谷がどこまで続いているのかもわからないので、闇雲に逃げ続けて追いつめられてはまずい。途中で、山を回り込む形で逃げたほうがいいだろう。
(体力勝負だわ……でも、死ぬよりゃマシよね)
フィリガルが、ちょっと比喩抜きに苦しそうな表情ではあったが、ラドワンの脅威が消えた今、なんとかならないことはないだろう。その彼が、必死に足を動かしながらも、ちらりと振り返って言う。
「と……止まってるねっ、ドラゴン!」
「うん! 諦めて、くれたのかなっ?」
「何にしろ、今のうちということだの」
オルバの呟きに応えるでもなく、レイリーは無言で頷いた。あと少しで霧を抜ける。そうすれば、魔術での牽制も期待できるだろう――吼え声ひとつでまた霧に回り込まれる可能性もあるが、その時はその時だ。ともかく、離れることに専念しなければ。そしてサンダラクトへ戻り、このとんでもない脅威を報せないと。
しかし、それはそれとして、
(リビアナの実が……あああああ)
少し余裕が出てきた所為もあってか、胸中でがっくりと涙する。あの重い荷物を捨てなければ、さすがのマイクもああまでラドワンを倒せなかっただろうし、それ以前にミストドラゴンの魔術を避けきれなかったかもしれない。相手が相手だ、荷物を捨てさせたのは妥当な判断だっただろう。
だが、彼らの目的は達せなかった。
(機会を見て、また採りにくるしか……こりゃ命懸けだわ)
そうするしかない。幸い、このドラゴンのいる場所は霧でわかる。気を付けていれば、もう一度遭遇することもないだろう。
「しつっこい、霧だなッ!?」
マイクが焦れたように言う。全力疾走というわけではないが、もう一分近く走り続けているのに、白い世界は終わる気配を見せない。そろそろだとは思うんだけど、とレイリーは胸中で呟いて、
「頑張って! とにかく、霧さえ抜ければ――」
ギョシュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
一際長く、高く、力強くドラゴンが吼える。ただならぬ気配をビリビリと感じ、レイリーは言葉を切って肩越しに振り向いた。
そして転んだ。
ガツッ、と何かに足をとられ、身体が完全に宙に浮く。反射的に片手の弓を庇い、受け身を取って着地してなお一回転してしまうほど、それは見事な勢いだった。踵が地面に打ちつけられて、ようやく止まる。一呼吸おいて、ジンとした痛みが全身に走った。
「っつ……うっ…………え?」
ぽかんと、レイリーは口を開けた。呆然としているところに、どうしようもない混乱がやってくる。見上げたそれを、頭が咄嗟に理解してくれなかった。
正面に――真上に――銀色の巨体が屹立している。
ミストドラゴンがそこにいた。
柔軟な長い首を曲げ、真っ直ぐレイリーを見下ろしてくる――彼女は、自分がドラゴンの前脚の間に倒れているのだとわかった。その位置に倒れていなければ、こんな視点でドラゴンは見れない。転んだのは、きっと右の前脚につまづいたのだろう。
「な……んだ、こりゃ?」
声に、呆然としたまま顔をあげる。マイクの声だったが、どこにいるかわからなかった。レイリーは、自分が置かれた状況を理解して、なお信じられない。意図せず、ドラゴンと視線が合う。
低く唸って見下ろす、その銀色の喉元――鱗の一枚に、矢が一本突き刺さっているのが見えた。間違いなく、彼女らを追っていたミストドラゴンだ。なぜこんなところに?
「テレポート……テレポートだ。こいつ、こんなっ……!」
フィリガルの声が聞こえる。事態に気づいたらしく、引きつりながらもどこか芯が感じられない、驚きすぎて呆れたような声だ。テレポート、確か瞬間移動のことだったか、とレイリーは頭のどこかで考えた。
今、大きく口を開けて自分に迫ってくるドラゴンは、そんなことまでできたのか。
(噛みつく、つもりだ)
そうとわかっても、何もできない。巨獣の動きは、決して早くない――転がれ。逃げろ。まだ間に合う。立って走れ。
思考に反して、身体はまるで応えてくれなかった。何かを感じた指先だけが、ぴくりとわずかに震えただけだ。全身は強ばり、石のように固まっているのに、頭だけが妙に落ち着いて、色々なことを考えている。
「テレポート、って……ッ! レイリーは、どこだ? おい、レイリー!?」
バカ。気づくのが遅すぎだよ。いくら意表をつかれたからって、仲間がいないことに気づかないなんてダメだぞ、マイク。フィリガルも論外だ、このお調子者め。
並ぶ牙をじっと見つめながら、彼女はそんなことばかり思っていた。一本一本がダガーより太く長い、ドラゴンの牙が迫ってくる。上体を起こして真上を見上げた、その体勢のままで――これはダメだ。死んだ。
「れ……レイリイィィ――――ッ!?」
あの叫びは誰だ。既に頭も回らない。でも、いつもはもっと軽くて薄かったような声……ああ、
(終わった)
巨大なあぎとが閉じられる瞬間も、彼女は両目を見開いていた。
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