第六話−3


「あ……くっ」
 レイリーは慌てて矢を射ようとしたが、跳び回るフラウルたちが逆に邪魔で放てない。ドラゴンの眼前に光が集まり、複数の紋様を描き出した――それらはたちまち砕け散り、無数の光弾を四方八方に放つ。
 しかし。
 イナゴの大群のように空を覆うフラウルたちは、縦横無尽に跳ね回り、光弾を易々と躱してしまった。魔術は当たることなく地面に落ち、派手な炸裂音を響かせる。その爆音は、何度も谷間にこだましてから、ゆっくりと消えていった。
(……そうか!)
 レイリーは気づいた。
 あの魔術の霧は、人間の攻撃魔術を無効化させるだけでなく、音の反響をも吸収していたのだ。ミストドラゴンの領域――リビング・ミストの範囲に入ってしまった獣たちは、本来の意味を成さない無為な叫びをあげて、殺されていったに違いない。仲間に助けを求めることもできずに。なんと狡猾なモンスターなのだ。
 そして、霧が完全に晴れる。
 見える範囲は変わらないが、視界からすっきりと白が消えた。同時、騒がしく跳び回っていたフラウルたちが、波が引くように下がっていった。すさまじい速度でドラゴンの傍から離れ、土に木に溶け込んで消えてゆく。
「ぃよぉしッ! いくぜ、オル爺!」
「おうともさ!」
 こうなったら作戦変更である。
 引いていくフラウルたちに吼えかかるミストドラゴン。その脇腹目掛けて、二人の放った炎がまっしぐらに突き進む。何にも遮られることのない攻撃魔術は、勢いを衰えさせることなく、銀色の巨体に突き刺さった。
 爆発。
 ミストドラゴンが咆吼する。魔術の雄叫びではなく、それは明らかに苦痛の悲鳴だった。
「ッし、いける!」
「ふはっはっはっ、ミストドラゴンから霧を取れば、ただの龍さな……ん?」
 ギラ、と、今までにない勢いでドラゴンが首を向ける。真っ直ぐに彼らを睨み付け、巨獣は吼えた。


 ギュアアシュオオオアアアアアアアアアアッ!!


 ヒュインヒュイン、と音さえ立てて、光が紋様を描き出す。
 今までとは比較にならない、猛烈な数の魔術群は、その全てが彼女らに向けられていた。
「え……うそ。霧がなくても魔術は使えるのか!?」
「逃げるわよッ!」
 叫び、駆け出す。直後、紋様が砕け散り、圧倒的な攻撃の嵐が辺り一面に降り注いだ。
 あちらに炎が着弾すれば、こちらで光弾が炸裂する。渦を巻く風は草を吹き千切り、その威力だけで大地が揺れる。
「うわっぷ……!」
 砂埃を突っ切って、レイリーは伏せていた顔をあげた。どうにかこうにか乗り切ったようだが――どんな攻撃をどう躱したのか覚えていない。それほどまでに凄まじい猛撃であった。
「な、なんて……! ああもう、希望が見えたかと思ったら」
「考えてみれば」
「わっ!? あ、わ、オ、オルバさん。ご無事で」
「いやあ、レイリーさんは避けるのが巧いのう。あんたの後に付いていっとれば、大抵当たらずに済むわい」
 それ、大抵じゃない一発が来たら二人まとめて死ぬのよね? と思うが口には出さないレイリーに、オルバは肩をすくめて苦笑した。
「考えてみれば、たとえ普通のドラゴン程度になったとしても、十分以上の強敵じゃったのう。困ったもんじゃ、まったく」
「え、ええ。ほんとに、そうですね……」
「ルー! ルー!」
 声に驚いて振り返る。最初に出会ったフラウルが、まだ彼女の後ろで跳ねていた。オルバを見ると、ずっとくっついていたよ、と苦笑で教えてくれる。さすがにレイリーは笑えなかったが。
「ちょ、もうっ……何してるの! 早く、あんたの仲間のところへ逃げ――」
 一際高くドラゴンが吼え、レイリーは言葉を切った。銀色の巨獣は、高く低く咆吼して、空中に紋様を描き出している。また、あの嵐のような魔術を放つつもりだ。
「くっ……!」
 レイリーはとっさに弓を構え、引き絞った。瞬間。


 彼女の思考は弛緩した。


 突如として、感覚が圧倒的に研ぎ澄まされる。周囲の全ての事物が置き去りにされ、その視線がただ一点――ミストドラゴンの口中に向けられた。今しも魔術を放とうとしているのだろう、その強力な魔獣に、最も効果的な一撃を加えねばならない。今すぐに。
 刹那の落ち着きと、永久に続くかのような平坦が訪れる。それは決して無心ではなく、距離、角度、風向き、愛用の弓、ドラゴン、魔術、そういった諸々の要素が複雑に絡まり合い、彼女の中で一瞬のうちに整理された結果、湖面のように滑らかで尖鋭な精神をもたらしたのだと解る。レイリーはただ、弦を引く手の指を放すだけで良かった。
 ビゥンッ! と鋭い音が響き、刹那が終わる。
 その直後、龍が短く重い悲鳴をあげて揺らいだ。光の紋様が砕けるが、魔術は発動せず、ただ光の残滓を宙に漂わせて溶け消える。
 レイリーの放った矢は、咆吼していたミストドラゴンの口中、上顎の内側に、深々と突き刺さっていた。
「ぃよしッ!」
「なんと……なんと、見事な」
 オルバの賛嘆に応える間もなく、声が響く。
「奔れ奔れ風の身風の美風のルオド其と彼の間に斬り込むならば鮮鋭に斬り込まぬなら其は微塵に刻め! くらえぇーッ!」
 魔術が失敗したと見て取ったフィリガルが、巨獣に対し真っ正面から一撃をお見舞いする。鋭い音が重なって響き、首の辺りからキラキラしたものが弾けるのが見えた。オルバが、ほう、と感心する。
「鱗を狙っておるな。なかなか考えよるが……逆鱗には当たらんかったようじゃな」
「おいっ、何休んでんだよ、オル爺!? 手伝えー!」
 怒り狂ったミストドラゴンから、今度は逆に逃げ惑いながら、フィリガルが怒鳴る。オルバはひょいと肩をすくめ、ゆっくりと歩いていった。呪文を唱えているのだろう、ぶつぶつと呟く声が聞こえる。
 レイリーも苦笑して、もう一撃矢を放とうと構えた。と、気づいて振り返る。やはりにこにことそこにいたフラウルに、わざと怖い顔を作って、
「こらっ。だから、今は出てきちゃダメ――」
 ふと、レイリーは考えた。出かけた言葉を切って、黙考する。
(……あれ? ……もしかして)
 レイリーは、小走りに駆けだした。フラウルが嬉しげに後をついてくるが、それはとりあえずほうっておいて。怒りで何度も唸りながらフィリガルたちを追い回すミストドラゴンを、じっと観察する。
 そして、気づいた。
「……ひょっとして」
 呟いて、ともかくもレイリーは手にしていた矢を放った。背の青い鱗をかすめて、矢は彼方へと消えてゆく。それを見送りもせず、レイリーは振り返った。
 変わらず立っているフラウルに、今度は笑いかける。
「ねぇ。ひとつ、お願い聞いてくれる?」