第六話−5


 目の前で、散々自分たちを苦しめた巨獣が、弱々しく吼えてくずおれる。巨体が下がり、たちまちその赫い双眸から光が失われてゆくのがわかった。地面を引っ掻き、小さな土煙を起こす前脚からも、徐々に力が抜けてゆく。
 フィリガル=メルロイドは震えた。圧倒的脅威であった巨獣の最期に感慨を覚えたのではなく、きっとその巨獣を倒したのだろう女性を想って。今、彼女は――倒れゆくドラゴンの真下にいるのだ!
「レイリー……!」
「待て、行くな!」
 駆け出そうとするフィリガルを、オルバが腕を掴んで止める。もはやわずかな隙間しか残されていない銀色の鱗と地面の間を見つめて、フィリガルはその手を振り払おうともがいた。
「レイリー! レイリーが、くそっ、放せ! 放してくれ、レイリーが!」
「落ち着け。落ち着けというに!」
「お、おい! 一体、何がどうなってんだ!?」
「レイリーがあの下にいるんだよッ!」
 駆け寄ってきたマイクに、ミストドラゴンの巨体を指さす――それと同時。重い地響きを立てて、巨獣が地に伏した。長い首が、だらりと地面に横たわる。
 銀の魔獣、ミストドラゴンの死だった。
「……ぁ……っあ……!」
 フィリガルはただ立ちつくし、その死体を見つめた。任せて。それがさっき聞いた、彼女の言葉。あれが最後だったのか? 彼女の声を聞くのは、あれでもうおしまいだったのか?
 そんな、バカな。
「レイリー……レイリーが――」
 ぼこっ
「ぷはッ!」
 突然。すぐ側の地面に穴が開き、金色の頭が覗いた。すーはすーはと空気を吸い込む音に続き、けほけほと誰かが咳き込む。
「あ〜〜〜……はー。死ぬかと思ったわ、ったく!」
 呆然として見つめる中、金髪の女性――レイリー=ホイロッサが穴から這い出してきた。全身、オレンジ色がかったドラゴンの血でぎとぎとに汚れている。棒立ちしている彼らを見、彼女はえへへー、と笑ってブイサインをカマした。
「へっへ〜。やったよ。いやさァ、フラウルに穴掘ってもらったんだけど、死体で蓋されちゃうところまで考えてなくて。失敗、失敗」
「ルー!」
 ぴょこん、と緑の妖精も穴から飛び出してくる。にこにこと跳ね回るフラウルに微笑んで、レイリーはマイクの長剣を地面に突き立てた。
「この子が気の利く子で良かったわ、ほんと。不用意に剣抜いちゃってさ、したらどっばどば血が出てきちゃって。こんな大地の真ん中で溺れ死ぬのは嫌よね〜」
『…………』
「……? ね、どしたの? 大丈夫?」
『……っ〜〜〜〜〜だぁー!!』
 歓声をあげ、三人はレイリーに駆け寄った。ビビる彼女にフィリガルが抱きつき、マイクがそれをひっぺがし、オルバが肩をばしばしと叩いて――
 小山のような死体の傍。風はとんでもなく生臭かったが、霧を通さず見上げた空は、どこまでも果てしなく澄み渡っていた。


 無邪気に手を振り続けるフラウルと別れ、リビアナの森に投げ捨てた荷物を回収し、四人がぼろぼろの身体を引きずって帰途に就いたのは、もう夕焼けに空が赤く染まる頃だった。途中、ラリーベアなどのモンスターに出会わないかどうかが心配だったが、一行からミストドラゴンの臭いがしまくっているのか、ただの一匹のモンスターにも出会うことはなかった。
 サンダラクトに帰り着いた時は、頭上は満天の星空だった。心配して起きていてくれたシュリフは、ぼろっぼろになって帰ってきた四人――特に血塗れのレイリー――に吃驚仰天し、すぐに温かい風呂を用意してくれた。熱いお湯にゆっくり浸かり、清潔な部屋着を貸してもらい、そういえば忘れていた何時間ぶりかの食事を前にしたところで、レイリーの記憶は途切れている。何をどう食べたのかすら覚えていないほど、疲れ果てていたのだ。
 それでも翌日目が覚めた時には、ちゃんとベッドの上にいた――のだが、窓から窺える空は、やはり既に茜の色であった。朝焼けのはずがないので、まるまる半日以上寝ていたことになる。
 そして、
「ふぃふぇい?」
 鶏肉の串焼きをもごもご頬張りつつ、レイリーは眉をひそめてそう言った。
 空では真っ赤な太陽が、紫に煙る空に最後の残滓を残して沈もうとしている。きらきらと輝く星々が、あらゆる世界を包み込もうと無尽に広がりゆく――よく晴れた、いい夜になりそうだった。
 彼女がいるのは、つい一昨日、村人たちと踊り明かした広場である。今日もまたあちこちに篝火が焚かれ、人々が集まって飲んだり食べたり踊ったりと、大変盛大に騒いでいるのだ。日が沈もうが星が出ようが、まったく関係ない賑やかさである。
「つまり我々は、偉大なる王国菓子職人様方の勇気ある行動によって、まさに、まさに九死に一生を得たとゆーわけでありまして! 当然のことながら、あの伝説ですらあるミストドラゴンを倒し――」
 中央のキャンプファイアーをバックにしゃべくるシュリフの演説も、今回は多くの人が聞いているようだった。そう、彼らはレイリーたちがドラゴンを倒し、リビアナの実を村に持ち帰ってきたことを、こうして突発的な祭りで祝っているのだ。凶悪なモンスターが駆逐されたとあって、村人たちは前回以上の盛り上がりを見せている。太鼓や笛などの鳴り物が持ち出され、この地方に伝わる民曲なのだろうか、独特の音色で聞いたことのないメロディを奏ではじめる。軽快なリズムが心地よくテンションを高め、意味のない万歳が何度も広場に満ち溢れた。
 そんな騒ぎから少し離れ、一応の主役であるレイリーたちは、道端の丸太に腰掛けて和やかに食事を摂っていた。特に、ついさっきまで寝ていたレイリーは、猛烈な空腹に辛抱堪らず、両手に串焼きを持てるだけ持ってはぐはぐやっているのだ。昼間のうちに洗濯してくれていた、旅装のアンダーと上着、ショートパンツというラフな出で立ち。こういう格好をしていると、彼女もごくごく普通の可愛らしい町娘に見える――串焼きはちょっとやりすぎだが。
 顔を揃えたマイク、フィリガル、オルバの三人は、昼過ぎには起きて食事も摂っていたらしく、今はガツガツと肉を頬張る彼女をうろんな目で見つめていた。
「わうぃよ? うぉんわうぇうぇうぃうわ!」
「いや、そろそろ人に戻ろうよ、レイリー」
「人語を喋れ人語を」
「むくっ……んむ。なによ、うっさいわね」
 ごくんと食べ物を飲み下し、改めて問う。
「偽名って、なに? どういうこと?」
「うむ。だましとったようで、すまんかったのう」
 苦笑して言ったのは、シュリフから借りたらしい、ゆったりした白い衣服を身に着けたオルバだった。サンダラクトの地酒が入った木のカップを片手に、立木にその背を預けている。
「オルバという名は、偽名でな。わしゃ、本名をオリーズ=ルワライバという」
「はぁ……またどうしてそんな、って、オリーズ? オリーズ……ルワライバ?」
 見上げるレイリーに、彼は小さく肩をすくめた。記憶の底から、語感を頼りに情報を掘り起こす。オリーズ=ルワライバ――かつて聞いたことがある名前だった。
「元……賞金稼ぎ? レベッカっていう昔の知り合いがよく話してた。レートの高さもそうだけど、精霊に関する話をいくつも……確か、雷の裏側? あの、オリーズ=ルワライバなの!?」
「どんな大層な話を聞いたのか知らんが、確かにわしゃ、元は賞金稼ぎをやっておったよ。オリーズという名前でな」
「ボクも、最初聞いた時は驚いたよ。ったく、人騒がせだよねぇ」
 こちらも酒のカップを片手に、フィリガル。こちらも、ゆったりとした楽な――とはいえ、彼は大抵楽そうな格好をしている気もするが――普段着に身を包み、やっぱりその上からマントを羽織っている。祭りに惹かれてやってきた、安っぽい吟遊詩人のような雰囲気だった。
 フィリガルはレイリーの隣に腰掛け、いつも通りに大仰で無駄なアクションを交えつつ、
「まぁ、どう考えてもただの爺さんって感じじゃなかったけどね。ドラゴン相手にああまで立ち回るわ、このボクにも使えない魔術使うわ。オリーズぐらいではあってくれないと、そこら辺納得いかなかったよ」
「またよく分かんねぇコメントだな……」
 大皿に料理を山と積み、盛大に平らげつつマイクがつっこむ。やはり彼の食欲は並みではないようで、昼を食べていようとお構いなしである。