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第六話−7
「うー」
エルキナ・ライディオス=リー・ルーディア姫は、行ったり来たりしていた。とことこと、同じ場所を何度も何度も。
空は、ようやく白みはじめた頃。つまりまだ早朝である。そしてここはフェルギオラ、リルクアナ城正門――周囲を八角形の外壁に囲まれた街の中央、城を真四角に囲む内壁の真南についている、最も大きく立派な門の前だ。透明な水を湛えた堀には巨大な跳ね橋が降りており、彼女はそこを歩いているのだった。可憐な眉根を寄せ、可愛らしい唇を突き出し、拗ねたような怒ったような不安げなような表情で。
二十四時間、正門を含めた王城のあらゆる場所を警備している、王城特別警衛隊――ラノーの隊員たちも、麗しき姫君のその様子になんともリアクションしかねるようで、できるだけそちらを見ないようにしながら、神妙に正門の警備をしている。
「うー。うー、うー」
姫の呻きが、時折小さく響く。それもまた、隊員たちを恐怖のどん底に突き落とす要因だった。
早朝とはいえ開城しているということは、登城してくる者がいるということで。今もまた一人、学者風の男が跳ね橋を渡ってやってきた。朝の爽やかな空気の中、陰気な顔で唸りながら橋の降り際をうろつく姫君に、ビクッと頬を引きつらせ――やがて、見ないように目を合わさないように、そそくさと隅っこを伏し目で通り過ぎてゆく。エリナのほうがこんな状態であるので、ラノーの面々も王族に対する礼儀がどうのなどと、注意できようはずもない。
そのまま、カツカツと高い姫の足音が門前に響き続けてしばし。今度は、全身白ずくめの奇怪な男がやってきた。エリナを見、呆れたように足を止める。
「う〜〜〜〜〜っ……」
「エリナ姫……まだやってらしたんですか?」
「うー?」
べそべそと、今にも泣き出しそうな様子で男を見たエリナは、その眉を少し開いて言った。
「ダグラス……だって、ああ、ど、どうしましょうどうしましょう!?」
「お、ひ、姫。落ち着いて、落ち着いて……!」
「レイリーたちが! レイリーたちがまだ来ないんですわ。今日が、今日がシニツの二十日ですのにッ!」
そうなのである。
今日この日こそは、宮中菓子職人レイリー=ホイロッサ以下三名と、宮中調理師リック=ハルーカインの菓子勝負当日。しかし、朝が訪れた今になっても、まだレイリーたちは旅から戻ってこない。勝負開始までは、あと十時間もないというのに!
うーむ、と顎に片手を当てて、ダグラスは唸った。
「一体どうしたんでしょうねぇ。あいつらのことだから、勝負放棄して逃げたーとは思いたくないけど……」
「そぉんなことは有り得ませんわあああっ!」
「ぐげゃ」
ぐいい、と薬物学者の喉を締め上げつつ、エリナ。もはや見境がなくなっているのか、その細腕からは想像もできないような力でダグラスの体を振り回す。
「あたくしが心配しているのはっ! レイリーたちが、ああレイリーたちが、良い食材を手に入れるためにまた無茶なことをしていないかとゆーことですわ! ひどい怪我でもして、動けなくなってしまっていたら……エリナは、エリナは、ああうあうあうッ!?」
「ぐふぅっ……」
呼吸不能になってただただ引きずられるダグラス。慌てたラノー隊員たちが、姫を諫めて(というか取り押さえて)ダグラスをその手から救出した。エリナはばたばたと暴れ続け、ついにはその場にへたり込んで、うわぁぁぁんと泣き声をあげる。
「レイリィー! 一体どうしてしまったんですのぉぉ…………?……」
しゃくり上げつつ、ふと横手を見る。ぐったりと倒れたダグラスの向こう、大きくぐるりと城を取り囲む深い堀のさらに向こう、閑静な朝の住宅地のこちら側を――豆粒のような馬が走っているのが見えた。二頭、いや三頭。うち二頭は馬車を引っ張っているが、どの馬も大変必死な様子である。かなり離れたここにまで、石畳を蹴るひづめの音が聞こえてくるほどの爆走っぷりだった。
御者は、男――いや女だ。金髪の女だ。
「……レイリー!」
「ごふっ」
叫び、駆け出す。途中で何か踏んだようだが気にしない。大きな堀を最短距離で回り込んでくる馬車に向かって、ガコガコと跳ね橋を走る――というか、馬車は追われているようだった。後ろから市街警備隊の馬が、存在誇示の鐘をカランカラン鳴らしながら停止を勧告している。市内での全速走行は禁じられているのだ。
エリナが橋を渡り終えると同時、一頭だけ先行していた馬が辿り着いて、ひらりと騎手が飛び降りた。喜びのあまり、両手の指を組んで叫ぶ。
「マイク!」
「エリナ姫!? どうしたんですこんな時間に!?」
「どうしたんですって、あ、あなたたちこそ、あなたたちこそ!」
どがががー、とド派手な音を響かせて、馬車も跳ね橋前に到着する。御者台から飛び降りた金髪の女性は、追い掛けてきた警備隊の兵に怒鳴った。
「だぁーもーしつっこいわねッ!? あたしらは今日に職運かかってるんだってば! スピード違反がなによ、失業したら道交法が面倒とかみてくれるわけぇ!?」
「レイリー!」
「……エリナ姫っ!?」
エリナは、両手を広げて駆け寄った。誰あろう王女の眼前で、堂々と法律を罵倒した彼女――レイリー=ホイロッサに飛びつき、万感の思いを込めて抱きしめる。彼女らが旅に出て二十日、どれほど心配したことか。三日前からはもう気が気ではなく、専任教師にどれだけ言われても、ただ彼女らのために万の祈りを捧げてきた。それが、それが……勝負のその朝に戻ってくるなんて!
「え、エリナ姫……ちょ、苦しいですよぅ。どうしたんです、こんな朝から?」
「どうしたって……もうっ、レイリー!?」
感動の抱擁の後は、怒りの揺さぶりだった。がっしとレイリーの両肩をつかみ、がっくんがっくん前後に揺さぶる。こちらも馬から降りた市街警備隊員が、間近で見る姫君の乱暴に驚くやら呆れるやらで、ぽかんとその場に突っ立っている。
「一体どこで何をしていましたの!? こんなっ、こんなギリギリまで……エリナは夜も眠れなかったのですからね!? 分かっているのですか、レイリー!」
「わ、分かってますっ、ごめなさ、ごめんなさい姫っ……!」
「ごめんなさいではありませんわ、今日が勝負の日ですのよ!? さぁお話なさい、あなたたちは一体――」
「あー!?」
突然叫んだレイリーに、エリナはオーバーリアクションでその場にひっくり返った。なんと失礼千万なことか、そちらを見もせずにレイリーはひとりごちる。
「そうだった。こんなことしてる場合じゃないわ! フィル、ちょっとフィル!?」
「ああ! よーし警備兵さん、ボクらを追い掛けたのが運の尽きだね。この馬車に積んでる荷物を王国菓子職人専用厨房へ運ぶよう、あそこに突っ立ってるラノーの連中に手配しといてくれ!」
最後に降りてきた黒マントの優男、フィリガルが、困惑する哀れな警備隊員をパシりに使う。そしてその一瞬後、彼女らは同時に走り出した――エリナを置いて、まっしぐらに。
「ま、待ってぇーっ!?」
必死で追い掛けるが、速い速い。やかましい足音を立てながら、跳ね橋の上を三人の背中が遠ざかってゆく。たとえ足元まであるひらひらルームドレスを着ていなくとも、追いつけるはずもないスピードだった。
「おお、お前らってごぶはッ!?」
友の帰還に身を起こしたダグラスを、問答無用で蹴り倒すレイリーたち。ぴったり息の合ったトリプルキックだが、きっと蹴ったのはなんとなくなんだろうなとエリナは思った。どよめくラノーの間を抜けて、三人は城内に突入する。
矢も盾もたまらず、エリナは叫んだ。
「待って、レイリー! お菓子は……食材は、どうなんですの!?」
すると、三人は同時に急ブレーキをかけた。ちょうど城門の真下で立ち止まり、荒い息をつくエリナを振り返る。
そして――にっこり笑い。親指を立て。前髪をかき上げた。
「はい! バッチリ手に入れました。最高のお菓子を作ります!」
「実は、菓子の試作をしていて、帰りが遅れたんです。村に立ち寄るたび、道すがら考えたことを試していたものですから」
「大丈夫。何も問題はないし、何も心配はいらない! ボクらが勝つよ、見ててくれ!」
口々に言って、すぐに踵を返して走ってゆく。一秒たりとも無駄にしたくないのだろう。それさえ分かれば、もう追う必要もなかった。
橋を降りたところで足を止め、エリナは大きく息をついた。良かった。無事に戻ってきてくれたし、調子も悪くなさそうだ。それにあの分だと、また随分と素晴らしいことがあったのだろう。今度は一体、どんな冒険を経てきたのだろうか?
「ゆっくり、聞かせてもらいますからね――さぁ。菓子勝負開始まで、あたくしも休むとしましょうか……あ、ふあぁぁ……」
大きなあくびを手で隠し、痙攣するダグラスをその場に残して、エリナもまた城門をくぐっていった。
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