第七話−2


 数人の給仕が、彼女らの前にフォークやナプキンを揃えて回る。もう気を散らしている場合ではない。
「よし、でははじめるか……とはいえ、細かいことは何も決めておらんのだがな。どちらの菓子を先に食べようか?」
 場にそぐわない、ざっくばらんなドルナダの言葉に、一瞬沈黙が落ちる。
 先に発言すべきだ、とレイリーが判断した時、フィリガルが口を開いた。
「ボクらは後攻でいいよ。ほら、こういうのはさ、チャレンジャーが先って相場が決まってるだろ? 譲ってあげるよ」
 悠然とリックを見やり、余裕たっぷりの口調でそう言う。よし珍しくよくやった、とレイリーは胸中で拍手した。フィリガルを睨み付けるリックに、ドルナダが問う。
「ふむ……メルロイドはああ申しておるが、それでよいかね、ハルーカイン? ホイロッサたちも、異存ないかね」
「あたしたちは、特にありません」
「……。ええ、僕も構いません」
 王は頷き、テーブルの逆端に立つ侍従に合図した。
「では、リック=ハルーカインの用意した菓子から食べるとしよう」
 給仕たちが一斉に動いた。全員の前にひとつずつ皿を置き、伏せられていたコップを返して手際よく水を注いでゆく。彼女らのてきぱきとした動作は、それだけで場の空気を引き締めた。
 レイリーの前にも、皿が置かれる。
(……さぁて)
 こく、と唾を飲み込んで、乾いた喉をなんとか湿らせる。彼女はじっと銀の円蓋を見つめ、継いで正面のリックに目を向けた。彼は椅子から立ち上がり、その場で準備が整うのを待っている。レイリーの視線に気づいたようで――ほんの一瞬、静かに見返してきた。
 そのまま、どちらも視線を外さないうちに、
「開けてもよいかね? ハルーカイン」
「……はい。どうぞ、蓋を取ってください」
 ドルナダの言葉に、ゆっくりと頷くリック。彼以外の全員が円蓋に手を掛け、それを取った。レイリーも、緊張の面持ちで覆いを取り、皿の横に置く。
 現れたのは、白い塊だった。
(……ん?)
 声には出さず、わずかに眉根を寄せてそれを観察する。柄のない、シンプルな白い皿の中央に、縦横大体十五センチ、高さ十センチ程度の箱型の白い物体が、ちょこんと乗っている。何が添えられているわけもなく、その箱だけが僅かに光を反射して輝いている。
 これが、リックの作ったお菓子?
 レイリーのみならず、皆きょとんとして反応できずにいる。彼女自身は見たことがないものの、積年の技術を持つリックのことだ。きっと見目麗しい相当なものを作ってくるはず――と心していたのに。
「なんだこりゃ……?」
 と、実際口に出しているバカもいる。
 ドルナダは、首を傾げてリックを見、言った。
「ハルーカイン。この箱が……お前の作った菓子かね?」
「そうです。王の仰る通り、この箱が僕の作った菓子です」
 リックはようやく、自分の皿の円蓋を取った。白い箱を手に取り、コツコツとその上部を指先で叩く。
「けど、ニュアンスは異なるのでしょうね……その名の通り、これは箱です。ですから、開きます」
「む……?」
 言うなりリックは、その直方体の上側の部分を、ひょいと持ち上げた――ぱかっと、上が取れてしまったのだ。まさしく箱が開くように。
 彼はその『蓋』で、見つめる全員の手元を示した。
「どうぞ、開けてみてください」
 レイリーは、改めて手元の菓子を見た。なるほど、箱の最上部から少し下に、薄く線が走っているのがわかる。ここから蓋になっているのか。
 彼女はそっと、右手でそれをつまんだ。その瞬間、指先に伝わる感触で気づく。
「……これは。砂糖?」
「そうさ」
 見ると、リックは無表情で彼女を見つめていた。だがその視線から、強い感情がひしひしと伝わってくる――この勝負に、自信をもって臨んでいるのだ。
 レイリーは、もう一度唾を呑み込んでから、蓋をとった。思わず息を呑む。
「……っ。……なにこれ」
 砂糖でできた真っ白い箱。それはその名の通り、ただの入れ物に過ぎなかった。
 薄い砂糖の壁で囲まれた中には、小さな小さな、色とりどりのお菓子がたくさん、ぎっしりと詰まっていたのである。
「うわあ……綺麗!」
「ほほう。これは……」
「げっ……なんだこりゃ」
「へぇ〜〜〜……!」
 多様な反応をある程度堪能するためだろうか。やや間をおいてから、リックは菓子を皿に戻し、静かに解説をはじめた。
「今、そちらの……ホイロッサさんの言う通り、周りの箱は砂糖菓子で作りました。その皿に載っているものは、全て食べられます」
 ほう、とドルナダが声をあげる。彼はまた少し間を置いて、続けた。
「中身は、見ての通り。全て一口サイズに作りました。手前から、チェリータルトとストロベリータルト、ニサピアのケーキ。王冠の形のチーズパイに、ラズベリー風味のチョコレート。まずは、どうぞ……召し上がってみて下さい」
 それぞれがフォークをとり、思い思いの菓子を箱から取り出して口に運ぶ。
 レイリーもフォークを手にして、手前のチェリータルトをそっと刺し取る。親指ほどもない小さな菓子は、崩れることなくフォークについてきた。一通り視線で撫でてから、ぱくりと口に入れる。
 さっくりと心地よいタルトの食感に続き、なんともいえない甘さとチェリーの風味が口いっぱいに広がった。砂糖で煮込まれたチェリーは、柔らかな果肉の歯ごたえが少しも損なわれていないのに、優しく転がした舌の上でとろりと簡単に崩れてゆく。レイリーは口元を押さえて衝撃を隠した――ほんの数度噛んだだけでなくなってしまう小ささなのに、なんなんだこれは!?
「ほう、このチェリータルトは……ううむ、旨い!」
「こんなに可愛らしいのに、このチーズパイも素晴らしいお味ですわ!」
 小さな菓子を次々に賞味しながら、ドルナダが頷く。その隣で、エリナも無邪気な歓声をあげた。自然、焦燥に似た感情がレイリーの胸中をよぎる。
 続いて口に入れたストロベリータルトは、ほどよく果汁を吸ったサブレ生地がしっとりと甘く、逆に乗せられた苺は甘くないのに驚くほど深い風味があって、見事にバランスをとっている。食感もチェリータルトと好対照で、甘い物好きならつい頬を緩めてしまいそうな、極上の味わいだった。
 四角い形のニサピアケーキは、白とピンクのストライプが可愛らしいスポンジケーキ。きめの粗い生地からじゅわっと溢れ出すニサピアシロップは、舌がとろけ頬が落ちてしまいそうなほど甘く、サンドされた苺クリームが全体をまろやかに仕立てている。遊び心を感じさせる、王冠を模したチーズパイは、サクサクと快い食感とこくのある塩気が特徴的だ。一噛みした途端口中に広がる上質な芳香が、圧倒的な甘さに慣れた舌を穏やかに引き戻してくれる。
 小さな小さなひとつひとつが、まるで違った美味しさで、かつ互いを引き立て絡み合うハーモニーを奏でていた。
「なぁ、おい……こんなもん、どうやって作るんだ?」
「ボクに訊かれたって……知らないよ」
 呆けたように隣で呟く二人。今度ばかりは、レイリーもまったく同意見であった。箱の中の菓子は、全て基本に忠実な菓子であるのだが――基本を突き詰めると、こうまで旨くなるものかと、それは一種の衝撃に近かった。慣れた味であるからこそ、本当に美味しいものに当たった時の揺れは大きい。明らかにそれを狙った品揃えだった。