第七話−3


 はっと気づけば、皆夢中で食べている様子だった。ドルナダも、エリナも、コーネすらも――ダグラスに至っては、がじがじと砂糖でできた蓋をかじっていた。そうか、それも食べられるんだ、とレイリーは眉をひそめた。
 どうにも、隙がなく感じられてしまう。
「この箱は」
 いまだ立ったままのリックが、突然言った。
「実は、二重底になっています」
「……二重だと?」
「ええ。上段を食べきっていただければ、その下にも同じ菓子が揃えてあります。フォークの背で、軽く仕切りの砂糖板を叩いていただければ、簡単に割れますので」
 彼の言う通りにしてみると、果たして小さな菓子を乗せていた砂糖の床が砕けた。それは大小の破片となり、下に隠れていた小さな菓子たちにぱらぱらと降り注ぐ。リックは、小さな笑みを浮かべた。
「割れた砂糖がかかって、また味わいも変化します。今一度お楽しみください」
「……っ」
 レイリーは歯噛みした。
 随所で細やかな技を見せつける彼に、かつて戦場で窮地に陥った時、背筋に走った冷え冷えとした戦慄と同質の焦燥を彼女は感じていた。この小さな箱菓子が、どんどん完璧なものに思えてくる。勝ち目など――最初からなかったのではないか?
 彼女の焦りを余所に、砂糖がかかって風味の変わったチェリータルトを堪能したドルナダが、リックに顔を向けて問う。
「ハルーカインよ。実に見事な菓子であるが、何か思って作ったところなどはあるのか?」
「……そんなに、大層なことでもありませんが」
 自分の菓子を見下ろし、彼は冷静な口調と逆に誇らしげな様子で答えた。
「今月は、シニツの月です。精霊シニツは竈の精霊と謂われていますが、同時に宝石の精霊とされてもいます……ですから、宝石箱をイメージして、こういう風に作ってみました。それだけです」
 ううむ、とコーネが唸り、大きくゆっくり頷く。ドルナダは無言だったが、やはり大変満足そうな笑みを浮かべて頷いた。エリナは、ダグラスの真似をしてカリカリと箱を食べている。
 うぅ、という呻きが漏れそうになるのを、レイリーは辛うじて堪えた。
(……やられた、かも)
 と、
「まぁまぁ。落ち着こうよ、レイリー」
「……フィル」
 彼女の内心を読み取ったかのように、フィリガルが囁いた。彼は、いつも通りの軽薄な調子で、
「まだこっちはお菓子を出してすらいないんだ。向こうがアイデアで勝負してくれるってんなら、むしろ好都合だろ? まだまだこれからだよ、レイリー」
「……。うん。そうよね」
 その通り、自分たちは出番を迎えてもいない。まだまだ勝負はこれからだ。何を弱気になっていたのか――そんな時間など、もうありはしないというのに。
(見てろ、こんにゃろ……)
 じっと、睨むようにリックを見る。相手は気づいていないフリをした。それが如実にわかって、胸中の焦りが怒りと挑戦心に変換される。ゆっくりと深呼吸をする――だけでは色々と押さえきれずに、レイリーはガリッとリックの菓子箱を噛み砕いた。
 美味しい。
 でも、負けるもんか。
「うむ……まことに素晴らしい菓子であった。ハルーカイン、そろそろ着席してはどうかな」
「はい」
 リックが椅子に腰を下ろす。給仕たちがやってきて、全員分の皿を取り下げた――結局彼は、自分の分の菓子は食べないままだった。
 さて、とドルナダがレイリーに目を向ける。
「次は、ホイロッサたちの作った菓子だな」
「……はい」
 さぁ、いよいよだ。
 レイリーは唾を飲み込んだ。期待に反して、喉は湿らない。しかしもう、気にしてはいられなかった――給仕たちが、今度はレイリーたちの菓子が乗った皿とスプーンを、全員の前に並べてゆく。リックの皿よりも、一回りほど大きなものだ。
 彼女は立ち上がり、呼吸を整えた。給仕たちが下がるのを待ち、円蓋にそっと片手を置いて口を開く。
「……ドルナダ王。わたしたちは先日、ヤルツファニア王国へ行って参りました。南部にある、サンダラクトという場所へ」
「……そのようで、あるな?」
 敏感に何かを察したか、微笑しつつ王が応えた。レイリーも小さく笑って、続ける。
「今日この日の菓子のため、その食材のための旅でした。結果からご報告致しますと、目当ての食材は――ばっちり、手に入れることができました。
 ドルナダ王。王は、わたしたちが毎度旅に出て、長く城を空けているのに、リック以下の菓子しか作れない……と。そう仰いましたね」
「なんともまた、平たい言い方をされたものだが……確かに、そう言ったな」
「実は、ハルーカイン調理師にも、同様のことを言われました。珍しい食材に頼って、適当に煮炊きして誤魔化しているだけだ、と。……正直、痛いところを突かれた、という思いは少なくなかったです。事実、わたしたちは躍起になりました。彼に彼の理屈で、王に王の理屈で、自分たちを認めてもらおうと必死になったんです。そういうやり方も、間違っていたとは思いません。
 けど、やめます。やめて、改めます」
 王がこちらに向ける視線は、今更隠す気もない期待に満ち満ちている。まったく、この王だけは推し量れない。
 レイリーはきっぱり、堂々と言い切った。
「わたしたちは、旅をします。最高の、極めて多様な意味合いで最高の食材を求めて、旅をします! それがわたしたちのやり方です。その上で! ……その上で、ルーディア王国の菓子職人として、改めて認めていただきたいのです」
 しばらく、沈黙が場を支配した。
 誰も動かない。フィリガルとマイクは、彼女に全てを任せて座っている。帰りの馬車でさんざん話し合い、行き着くしかなかった結論だった。エリナは両目をキラキラさせて、真剣にレイリーを見つめてきている。リックとコーネはぽかんとしていて――ダグラスは、いつものにやにや笑いを浮かべていた。