第一話−2


 延々とその作業を続けながら、レイリーはちらりと厨房のドアに目を遣った。テーブルを挟んだ向かい側で、大量の果物を一心に刻んでいるマイクに問う。
「あいつ何やってんの? まだ授業?」
「ああ、今日はなんか、試験なんだってよ。三時に終わるって言ってたから、もう来るだろ」
 そ、と頷いて、彼女はまた作業に戻った。しばらく木の実と格闘を続け、やがて最後の実をくるりと剥き終わる。
「……よし、と」
「でも、驚きましたわよねぇ」
 と言ったのは、室内にいるもう一人。滑らかな栗色の長髪に、大きな紫色の瞳をもつ可憐な少女である。楚々と着こなした青いルームドレスが、優しげな雰囲気によく似合っている。その美しさも、どこか気品が漂っている特別なもののように思えた。
 彼女に顔を向けて、レイリーは聞き返した。
「なにがです? エリナ姫」
「フィルのことですわよ」
 この国の王女たる、エルキナ・ライディオス=リー・ルーディア姫は、レイリーの問いににっこりと答えた。ロール特級葉のストレートティーを優雅に嗜みながら、
「彼があんなに熱心になるなんて、あたくし思ってもみませんでした。ゼアードさんも驚かれてましたのよ、『リルバの研究室では、一度もあんな真剣な顔は見たことがない』ですって」
「それ、驚いてるって言うより、嘆いてません?」
「うふふふ、ええ、そうかもしれませんわね。……ところでレイリー、それは何ですの?」
 先程の木の実を、包丁の柄で叩いて小さく潰している彼女の手元を指さし、言う。レイリーは、砕かれた実をひとつ摘み上げて、
「これはケーノ」
「ケーノ?」
「常緑樹の種で、とってもいい香りがするんですよ。今夜は、ケーノと果物をたっぷり使って、フルーツグラタンを作るんです。カスタードクリームの分で卵白が余るから、いつものも焼いてあげますね」
 きゃー、と歓声をあげるエリナに微笑して、レイリーは潰した実をひとつにまとめた。すり鉢に入れてマイクに渡す。彼がそれをさらに細かく砕く間に、彼女は大量の卵を卵黄と卵白に、てきぱきと選り分けはじめる。
 彼女たち宮中菓子職人は、毎日このような作業を繰り返して、宮殿の菓子を作っているのだ。実際のところ、彼女らのような宮中専任の菓子職人は、これまで類を見ないものであった。製菓業自体、近年各国の情勢が落ち着き、大きな街が各所にできはじめてから注目されだしたものなのである。それまでは、どの国でも調理師たちが、中途半端に菓子分野をカバーしていた――無論ルーディアでもそれは同じで、レイリーたちが今の地位を得てからも、色々ともめ事があったのだが。
 竈の火で鍋を温め、バターを放り込む。たちまち、香ばしい芳香が周囲に広がった。手際よく色をつけて、すぐ小皿に移す。レイリーは食器棚を開き、大きなブリキのボウルを両手で取り出した。選り分けた卵白を全て入れ、ふむ、と大きく鼻から息を抜く。
「マイク? ケーノは?」
「ちょい待ち、もう少しだ」
 力仕事を主に担当する彼は、細かくすり潰したケーノの実を篩にかけた。レイリーも別の篩で砂糖と粉をふるい、残った塊を丁寧に潰す。それを一通りやり終えたところで、大体の準備は完了した。
「楽しみですわー、楽しみですわ〜♪」
「……う〜ん」
 材料を眺め、にこにこと期待するエリナ。レイリーはむつかしく眉根を寄せ、腰に両手をあてて厨房の扉を見やった。
「ちょっと、ほんとに遅くない? 何やってんのかしら」
「呼んでこようか?」
「うん。あ、ううん。その前に――」
 突然、レイリーの言葉を遮って、厨房のドアが大きく開いた。
 意味もなく両手を高々と掲げた、全身白ずくめの奇怪な男が、鳴りもしないファンファーレに合わせるような歩調でツカツカと入ってくる。痩身長躯、ざんばらの黒髪に、奇妙な光を宿す群青色の双眸。薬物研究室長にして自称彼女らの親友、ダグラス=デオールド博士だ。
「やァ! 今日も三時だおやつが旨い。菓子職人の諸君、頑張っとるかね――」
「あ、ちょうどいいトコに来た。あんたちょっと手伝いなさい」
 やってきた彼の首筋をダイレクトキャッチし、レイリーはそのままマイクにパスした。おわっとか言いながらよろめくダグラスを、マイクの太い腕ががっしりと捕まえる。
「よう、白き変態。間が悪かったな」
「な、なんだ? なんだお前ら? いきなりどういう扱いだ。放せよ、なんだよ」
「こんにちは、ダグラス」
「おお、これはエリナ姫。今日はまた一段とお美しい。時にお訊ねしますが、こいつらは一体何を――」
「登場三秒で悪いんだけどさ」
 でんでん、と巨大なボウルや入れ物を彼の前に並べ、レイリーは言った。
「延べ棒焼きの生地作るの。マイクが混ぜるから、これ押さえてて」
「はァ!? 押さえるって、おま、いつもお前とフィルが必死に踏ん張ってる、アレか!?」
「そう、そのフィルが来なくってさ。あたしちょっと呼んでくるから、その間あんたが踏ん張っといて」
「できるか! 相手見て物言え! 俺なんぞ生地と一緒に吹っ飛ばされるさ!」
 甲高い悲鳴をあげるダグラス。レイリーは笑顔のまま、その肩をぽんぽんと叩いてやった。何を感じ取ったものか、ダグラスの表情が引きつる。
「たまには運動もしないと。それにほら、人助けだと思って。ね?」
「うるさい、お前に俺の健康を気づかってもらいたくなんかないぞ! くそこの、ええい、放せマイク! 後生だ!」
「まぁまぁ、ダグラス。楽しいじゃありませんか。あたくしもお手伝いいたしますわ!」
「!? エリナ姫、おやめください。普段から見ているでしょう!? お菓子作りと言えば聞こえはいいですが、こいつらのしている作業といったら――」
 やいやいとうるさく騒ぐ彼に肩をすくめ、レイリーは流しで手を洗った。柔和な笑みを浮かべながらもダグラスの腕を掴んで放さない、かなりいい性格のマイクに頷く。
「じゃ、ちょっとだけよろしくね。予想通りならすぐ戻るから」
「おう」
 ひらりと一度だけ片手を振って、レイリーは厨房を出ていった。


「つまーり!」
 ばしこんッ、と派手な音が響きわたる。
 窓の多い、広々としたその教室には、二十人ほどの人間が集い、長椅子に座って講釈に聞き入っていた。老若も男女も様々で、着ているものからもその共通点を見いだすことはできない。
 特に若い一人の男が、教壇に立って彼らに向かい、なにやら熱弁を振るっている。
「魔術を使う上で最も大切なことは、事前に精霊をよく知ることだ! 頼る前に情報を掴む。今日の講義のまとめを言うから、ちゃんと何かに書き取っておいてくれ」
「フィリガル副部長。今日は元々、講義じゃないのでは?」
「面白くない質問は厳禁だ!」
 オーバー気味のリアクションに、茶色い長髪がサラリと流れる。
 深く澄んだ青い双眸に、すっきりと整った面立ち。確実に美男子の部類に入るが、妙に軽薄な仕草や雰囲気、動きやすそうな私服の上になぜか羽織った真っ黒マント等が、全体のバランスを見事にぶち壊している。サマになっていないこともないのだが、容姿の秀逸さとマントの野暮ったさと仕草のぺらぺら感がアンバランスに過ぎる。
 そんな彼は白墨を取り上げ、教室前面に張り付けられた黒板に、ガツガツと汚い字を並べたてた。
「ボクたちが人間である以上、精霊を頼らない魔術は使えない。素人にとっちゃそれだけのことだけど、君たちには注意してほしいことがある。それはね、魔術を使う過程がもつ意味だ……大体、精霊を下に見る人間も、人間を下に見る精霊も、どちらも多すぎる。それじゃダメなんだよ。めーめーだ」
 弁舌爽やかに、かつ軽薄に言い切る。
 どうも、先ほどの発言にもあったように、彼は今日授業を行っていたわけではないようだった。教室の前半分ほどに集まった生徒たちは、ノートの代わりに反古紙を使って、彼――フィリガル=メルロイドの喋る内容を懸命に書き留めている。学者風の若い女性も、頬に傷痕のある老練な男も、皆隔たりなく真剣な様子である。