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第一話−4
「でも、ほんとに随分打ち込んでるみたいじゃない」
広い廊下を小走りに行きながら、レイリーは言った。
そろそろ仕事が終わる部署も出始めているのか、通路にはかなりの密度で人がいる。その間を、真っ白な調理師姿と真っ黒な魔術士姿という目立つコンビで走り抜けつつ、彼女は半眼を横に向けた。発言内容と裏腹に、口調は決して褒めていない。
「めんどくさいーとか、意味がないーとか言ってたクセに。どういう風の吹き回し? ま、常日頃からあーゆーふーにスケベな授業ばっかやってるんなら、話はわかるけどー」
「あっはっはっ。なんてこと言うんだい、可愛いレイリー? 普段からボクをどういう目で見ているんだか」
小走りのまま、何の意味もなくサラリと前髪をかきあげるフィリガル。日頃どういう目で見ているか、首根っこ掴んで蹴りまくりつつきっちり説明つけてやろうか――とも思ったが、その前に彼が言葉を続ける。
「教えるのはね、元々嫌いじゃないんだよ。性分かな? ああいう感じでわざわざやるのには、最初抵抗があったけど。やってみると結構面白いよ。みんな、思ったよりずっと素直だしね」
「……ふーん。で、スケベな授業ばっかやってんのね」
「いやいやいやいやいや。び、美人がしつこいのは玉に瑕だよ、レイリー。今日のはほんと、たまたまだって。ねっ」
にへらりんとした、いつもの愛想笑いを浮かべて言う。まったく、調子のよいことだ。ついさっき、生徒たちの前で授業をしていた時は、普段とは比べ物にならないくらい引き締まった顔をしていたのに。
(まぁ、せっかくの機会だし、って気持ちは、こいつにもあるのかもね……)
しばらく前、彼女らはとある旅に出た。
普段の折から、菓子に使用する食材を求めて放浪することの多い三人だったが、その時は、半ば状況に追われてのことだった――宮中調理師リックの、挑発をはらんだ挑戦。サンダラクトへ向かう、それまでとは異質の決意。オルバ、いや、オリーズ老人との出会い。そして、最強最悪たるミストドラゴンとの遭遇。
(何やってんだか、菓子職人……)
切ないくらいの悪戦苦闘の末、彼女らは無事食材を手に入れ、趣向を凝らして菓子を作り、王国菓子職人の地位を守り通したのだ。
その後のことである。
彼、フィリガル=メルロイドは、その旅の経験から『強大なる共生 ミストドラゴンとラドワン』という論文を書き、魔道協会に発表して高い評価を得た。そのまま数々のごたごたを経て、魔道研究部副部長という元々の立場もあり、週に一度魔術に関する講義を受け持つことにまで話が発展してしまったのだ。
最初、レイリーもマイクも、引き受けたところですぐに放りだしてしまうだろうと、彼の飽きっぽさを理由にたかをくくっていた。しかし、一ヶ月ほど経った今も、ことほど左様な熱心さで講義を続けているのである。
「でも、だからって本業の時間を忘れてもらっちゃ困るわよ。三時にははじめとかないと、間に合わないんだから!」
「うん、それはごめんよ。試験の後に少し質問をされてね、答えているうちに熱が入っちゃって」
T字路を曲がって人混みを抜け、二人は立ち止まった。いつになく穏やかな表情で、フィリガルが続ける。
「でもね、ボク自身も意外なんだよ」
「なにが?」
「ああやって教えてること。そりゃ、ボクだって少しは興味があったから、やってみることにしたんだけどさ。どこの国より出版・印刷の技術が進んでるここなら、色んなことができるだろうと思ったし……けど、予想以上だった」
ふと、ざわめきが遠ざかったような気がした。
軽くマントを払って、フィリガルは少しだけ体の角度を変えた。通路の先に見える、厨房のドア。近くにある更衣室のドア。そして、一番近いレイリー――それら全てに対して微妙なこの姿勢は、ひょっとして、何かに照れているのだろうか?
怪訝に思って黙っていると、彼は言葉を選んだのだろう、少しだけ間を置いてから言った。
「お菓子作って、魔術教えて。毎日が楽しいよ、ほんと……傭兵時代には、こんな生活考えてもいなかった。今の全ては、レイリー。君のおかげだ」
「……フィル」
柄にもなく、はにかんだように見つめてくる青い瞳。吸い込まれるような微笑。
しばらくそれを見つめ返してから、レイリーは小さく口を開いた。
「楽しい、って……あんたまさか。生徒の子に手ぇ出したり、してないよね?」
「ぅぐ」
雰囲気全てを打ち崩す、何かが喉元に詰まったような声。
さっと目を逸らすフィリガルの襟首を即座に掴み、ぐいいと引き絞りながらレイリーは言った。
「ぅぐって言った? 今ぅぐって言ったわよねあんた?」
「い、言ってない、言ってないよ! うわぁレイリー、君のその静かな無表情がドキドキするほどデンジャラス!?」
「無駄口は犯罪よ。ねぇ、最近妙に真面目かつ大人しかったのはその所為? 授業後のお楽しみができたから? こないだあんた、『ラノーの制服って萌えだよね』とかアホなことほざいてたけど、てことは標的はあのアルトって子? そうなの? ねぇそうなの?」
「ち、違うよそんな! あの中だと狙い目は資料運営部のマリアンヌちゃんかな。ってそうじゃなくて、きょ、今日は誤解が多いねレイリー、ボクが愛してるのは君だけだってばさ!」
「あたし以外の誰を愛そうがそれは一向に構わないしむしろ推奨してるけど、責任ある仕事で妙なセクハラして、これ以上問題視されるのはや・め・ろってあたしは言ってンのよーッ!」
「おいコラ、お前ら!?」
痛いよ痛いよ、と涙ながらに訴えるフィリガルの首を、さらに締め上げながら横を向く。突き当たりのドアが半分開き、マイクがでっかい体を突き出して怒鳴った。
「そこまで来といて何遊んでやがる!? ダグラスが倒れたぞ。混ぜれてないから早く手伝え!」
「あ、やっぱダメだったんだダグラス。いま行くよ! ほらフィル、さっさと着替えなさいよね!」
「うわあ、それはさすがに酷いよレイリー……でも理不尽な君も大好きさ――」
「早くしろっての」
げしん、と魔術士の尻を蹴りやって、レイリーは厨房に走っていった。
「ナータリオ!」
「はいよっ」
マイクが、粉雪のように細かく篩われた、大量の砂糖をデンと置く。
「オーブンはっ?」
「温度よし、色よし、香りよし。もうすぐ焼き上がるよ」
調理服に着替えたフィリガルが、オーブンの大きな扉を少しだけ開けて答える。
様々な音と香りがたちこめ、短い言葉が交わされる。フィリガルだけはやたら喋るが、それに今更誰が何を言おうか。
テーブルの上の皿には、切り分けられた果物が並ぶ――たっぷりと果汁を含んだ桃は大振りに切り分けられ、その瑞々しさを何よりも主張している。丁寧に皮の剥かれたブルーベリーは、これから何になるのだろう。
ざっくりと切られたリュバーブの束は、ジャムになる時を心待ちにしている。甘さが自慢のニサピアは、大きな球形の実を半分に割られて豪快に転がったままだ。目の覚めるような酸味と濃厚な薫りをもつティートは、この時期南方の国でしか生産されず、入手が大変困難である。これもルーディアの運送技術のおかげだ。
「そろそろあがってくるよ! テーブル出して、テーブル!」
「あいよぉ」
厨房のドアが大きく開かれる。壁に立て掛けられていた折り畳みテーブルが、ひとつ残らず組み立てられてずらりと通路に並んだ。マイクが大量の食器を運び、手際よくその上に並べてゆく。
厨房の片隅、レイリーたちの邪魔にならない『定位置』の椅子には、エリナ姫がにこにこと笑顔で座っている――彼女らの作業を見ているのが楽しくて仕方ない、という表情だ。侍従よろしく傍らに控えたダグラスは、時折前へ出てフィリガルたちの作業を覗き込んでは、邪魔だと蹴りやられている。実際邪魔なので、レイリーの反応も苦笑のみだ。
食器を選ぶフィリガルの隣で、リュバーブを細かく刻む。鍋に入れてマイクにパス、お次は小さくて丸いティートの実を、ごりごりと丁寧にすりつぶす。マイクは竈の火を巧く使い、きめ細かなナータリオの砂糖を少しずつ混ぜながら、じっくりリュバーブを煮詰めてゆく。
ふつふつと、小鍋の中で小さく泡立つニサピアの柔らかな実。徐々に薫り高く匂い立つティート。一番最初に鍋にかけられたリュバーブは、だんだんとちょうどよく水気を飛ばして――
「はい、延べ棒焼きあがりー!」
オーブンを開き、フィリガルが整然と並べられた黄金色の焼き菓子を取り出す。
レイリーは鍋をかき混ぜる手を止め、わぅーんと謎な歓声をあげるエリナを振り向いた。
「はーい。姫様、いつものが焼けましたよ〜。かなり甘さは控えてありま、あ、あ、まだ食べちゃだめですよっ」
うっとりしながら早速ご賞味あそばそうとしていたエリナが、ちらりと舌を見せて手を引っ込める。レイリーは肩をすくめて、にっこりと微笑んだ。
「焼きたてももちろん美味しいですけど、ほんのちょっぴり冷ましてからね。もうじき出来上がるティートジャム、それにニサピアとリュバーブを合わせた特製ジャムをつけて、お召し上がり下さい!」
その笑顔が、どんな菓子にも勝る最高のもてなしであると、彼女を見る誰もが知っている。
今日も、王国菓子職人専用厨房は、いつも通りの笑い声、活気と陽気に満ちていた。
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